昨日は終戦記念日(敗戦記念日)だった。
その式典やドキュメンタリーのTVやラジオを聞きながら、
何とかブログを書いてみようかと思ったのだけれど、
考えが纏まらずに断念した。
一晩置いて考え直した。何かしら描いておこう、と。
「戦争は嫌だ」と言うのはほぼみんな思っている事だと思うが、
「何故」?にはほぼ答えられるのに対して、
「どうやって戦争をしない」かと言う事になるととたんに意見がバラバラになる。
バラバラでいいからみんな考えて欲しい。
「何故」?には、戦後75年と言うけれど、
ほぼ今生きている人は現体験している人はいないと思う。
それでも俺ら世代は戦後5年しか経っていない時代に生まれたので、
祖父母、或るいは父母の話からほぼ原体験に近い感覚を身に付けている。
だから先ず感覚的に戦争は嫌なのだ。
人を殺したくない、殺されたくないだけだ。
しかしその俺らの世代の子供はほぼその感覚は無いだろう。
これからもどんどん無くなって行く。
それが普通で日本は過去の戦争をしたから云々ではなくて、
もっと知識として戦争の悲惨さや恐ろしさを学んで自分で意見を持って欲しい。
どの位本気で考えられるかが戦争を疑似体験出来るかだと思う。
その上で今問題になっている核問題を考えて欲しい。
「どうやって戦争をしない」かと言う事に関しては、
俺は何度も「平和のOS(方程式)」で書いているように、
核だけでなく武器を持つ事に反対の立ち場だ。
武器はどうしても相手より強力な物を持とうとするようになる。要はきりがないのだ。
単純に言えば日本のように武器を持たないで街を歩けるのがいいか?
アメリカのように武器を持っている人かも?と用心して付き合うか?
或はレバノンや中東のように皆武器を構えて歩いているがカッコいいか?
どれがいいか?と言う事だ。
そんな中で一番いけないのは友達に武器を持たせて自分は丸腰で、
「俺は持っていない」と威張る事だ。
30年位前、車の飲酒法がまだ大らかだった頃、
自分は酒を一緒に飲んでおきながら、
車で来ていた友達に送ってもらったりした事に似ている。
しかし今はどちらもダメなのだ。