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樋口雄一の気まぐれBLOG

2024年正月 「ぐらこん」

今年初めの投稿になりますが、
正月早々から暗いニュース(地震・事故)ばかりでお祝いの言葉もありません。
そこに私ごとですが追い打ちをかけられました。

 みなさんはむかしCOM(コム)と言う月刊誌があった事を覚えていらっしゃいますか?
当時手塚治虫さんのいらっしゃった虫プロという会社から出版されていました。
ガロと並んで?(たたかって)人気を二分していました(笑)。

 勿論私はコム派でこの本を新潟市の本屋さんで初めて見つけたときは鳥肌がたつ程大喜びしました。
自分の町の小さな本屋さんには無かったし知らなかったのです。
 私も漫画家を目指していたのですが、COMにはそうした少年の夢を後押ししてくれるパワーがあったのです。その本の後ろの方に「ぐらこん」と言うページがあって、漫画の募集と漫画家を目指す人達の地域の集い応援コーナーがあったのです。勿論私もすぐに新潟支部に参加しました。高校一年生でした。

 その中にいた私が言うのも恐縮なんですが、その新潟支部はレベルが高く、学校はそれぞれ違いますがほぼみんな同学年でした。(20人くらい会員?がいたと思いますが、10人程がプロの道に進みました)。
 私が入会した時点ですでに雑誌に掲載経験のある女子(高校二年生)がいましたし、そのあと高校を卒業とともに手塚さんのアシスタントや、石井いさみさんのアシスタントになった人もいました。
そのごも専門学校へ行ったりバイトをしながらアニメーターになったりイラストレーターになったりしています。

 その時の「ぐらこん」で2代目のリーダーだった友人が先日亡くなりました。彼とは高校三年生のとき四人で?東京の漫画家巡りをしました。当然手塚さんにもお会いして「君たちの「ぐらこん」の出来は今年一番だったよ」とのお褒めの言葉も頂きました。リーダーの力だったと思います。
 私がこの道に進んだきっかけと楽しい想い出を作ってくれたリーダーにご冥福をお祈りします。合掌。


近況状況2023.10.14

現在柏では「アートライン柏2023」がスタートしています。
私も参加していまして、増尾駅の近くにある「カフェBOB」さんで
平和のOS(方程式)AIガールズ/色紙展をゆる〜くやっています。

※「カフェBOB」さんは年中休みなしで(1/1と1/2のみ休み)
朝九時過ぎから夕方7時くらいまではやっていらっしゃいます。

今月末の10/29日は池袋のサンシャインで
サンライズワールドのイデオングッズの販売とサイン会をおこないます。

11/25も池袋の同じ場所でサイン会をやります。

12/15日ごろからお台場のホテルニッコーで展示会に参加します。
こちらはもう少しはっきりした時点でもう1度紹介します。

こんな状況ですが、
昨日、今年初めて金木犀の匂いを嗅ぎました。
千葉にも秋が来たようです。

皆さん冬を迎える準備できていますか?

私は11/11日に新潟の「五線応援団」というイベントで東京プリンスホテルでパーティもあり参加しますが、
11月初めの週末は新潟に帰ってきます。

それから年賀状を書き出そうと思っています。


今月(9月初め)のブログ。

・先日ラジオで面白い番組を聞きました。パンサー向井と川渕キャプテンの対談。
もうひとつはロンドンブーツ一号二号の田村淳と明石市長の対談。
パンサー向井と田村淳の事は一旦置いておいておきます(笑)

 川渕キャプテン(87歳)は今人気のバスケットリーグを作った人でもある。(数十年前Jリーグを作った時は川渕チェアマンと呼ばれた)
この人がすごいのは時代の移り変わりに敏感な事だ。
最近のスポーツ界では野球の栗山監督とサッカーの森安監督は対談してみて同じタイプだという。まずは選手の話を聞いて(コミュニケーションをとって)指示を出して、後は信頼して本人に考えてやってもらう。 
 トム・ホーバス監督もそれに似ていると言う。負けた試合でも(ハチムラがいたらなどと)不満は言わない。今いる選手を信じて、良いところを引き出している。上から押し付けるやり方はこれまでのやり方だと言う。
ただこの人の場合は甘いばかりではない、組織の作り方では激しい改革が必要になる事から、随分内部から不満も出たようだ。
が、時代は着いて来ている。高校野球の慶応高校をみてもそう思う。大まかに決めて後は選手の自主性に任せ楽しんで精一杯やらせる。こういう人に日大の理事長をやってもらいたかった。
 川渕キャプテンの名言「時期尚早という人は100年経っても同じ事を言う、前例が無いと言う人は200年経っても同じ事を言っている。出来ない事にチャレンジして出来るようにするのを仕事と言う」。カッコイイ!!

 もう一人の明石市長(泉房穂氏)は10歳の時から「政治家になって冷たい社会の復習する」「子供のためになる事をやりたい」と考えていたと言う。
今の政治家は目指す所が政治家だから、政治家になって終わり、総理大臣になりたい人ばっかりで何をやりたいのかが分からないと言う。庶民の方に向こうとせずに有権者の方ばかり見ていると言う。
これはマスコミにも責任が有ると言う。確かに毎日のニュースは首相が料亭で誰々と会食とか派閥の長が…とか政治の外側ばかり報道しているから若い人の政治に対する興味も無くなる。もっと中身の話をしなくちゃと、全くその通りだと思う。
なので今日は明石市長の本「政治はケンカだ!」を買いに行って来よう。


暑中見舞い申し上げます2023.8.10

 暑い日が続きます。
皆様お身体にはお気をつけ下さい。
私は7月生まれのせいか暑さには強いのですが、
それでも先月一日だけですが、ひょっとしてこれが熱中症?
と思う事がありました。

 そんな中ですが池袋のサンシャインシティで、
今年5月上野と横浜で「TV放映40周年記念伝説巨神イデオン展」をやった、
「樋口 雄一と8人の造形作家展」の私のグッズが発売されています。
発売アイテムは
メンコセット4種、ステッカー10種、トートバック2種、ポスター2種、
ポスター2種、クリアーファイル1種、です。
池袋に行かれたらぜひ寄ってみてください。

東京都豊島区池袋3−1-3サンシャインシティ
ワールドインポートマートビル3F
https://bandainamuco-am.co.jp/official_shop/sunrise-world/


72歳になりました!

 昨日は私の誕生日でした、72歳になりました。72歳と言うともっともっと大人になっていると思ったのに、まだまだ分からない事、出来ない事がいっぱいで小学生の頃と変わらないように思います。とは言ってもここまで生きてこられたのは私に関わってくれた皆様のおかげです。ありがとうございます。
 今年は五月に上野と横浜でイデオン放映40周年記念(樋口 雄一と8人のモデラー展)をやりました。これも一人では何も出来なかったと思います。

 私の父や妻の義父が共に72歳で亡くなっているので、私も72歳くらいで死ぬのだろうと漠然と考えていました。その所為か昨年はかなり落込んでいました。終活を考えていると全く楽しくありません。車を買い替えるにも興味が湧かず妻に選んでもらいました。本を買おうと思っても、こんなに買ってもどうせ読めないんだからと諦めてしまいます。
 なので終活はやめる事にしました(笑)。年賀状を始めようかとも思いますし、「平和のOS(方程式)」はライフワークでこれからも描き続けますし、油絵がやっと楽しくなってきましたA.Iガールズも描き続けます。展示会のお誘いがあれば出来る限り参加していくと思います。「う・そ会」だって未だやりたいですし、そのほか興味が湧いたら多分手を出していくでしょう。これからもこうして私は好きな事をやって生き散らかして生きていくのでしょう。ご迷惑をかけるかもしれませんが皆様よろしくお願いします。


久し振りの帰省

先日田舎(新潟)に帰って来ました。
4/1、2は地元の花見祭だったので友達を集めて久し振りの花見をしたかったのです。
しかも地元の中学校はこの公園の中にあったのでほぼ毎日通った公園です。
人を集めてもらおうと中学校で柔道部だったひとつ先輩に声をかけたら、本人は3年前にがんの手術をして未だ治療中だとの事。更に私の同級生二人も同じ病気で闘病中で今回は無理との事でした。
 なのでこの公園には妻と親戚の人一人を誘って三人で行ってきました。
次の日は一泊しか出来ない妻を駅まで送ってから、高校時代の柔道部の友達を尋ねてみることにしました。
ナビで聞いた住所に向かうと庭でバスケットボールのシュート練習をしている子供(中学生)がいたので「◯◯さんのお宅はこちらですか?」と聞くと「はい、家です」というので、「私は樋口と言います。お父さんの◯◯◯◯君とは高校の同級生でした。お父さんいらっしゃいますか?」と聞くと「じっちゃんですね」?とすぐ返事が返ってきました。
そうか、子供のいなかった私には同級生がみんなおじいちゃんになってしまったのを改めて実感した一瞬でした。
中学の同級生のようにいつまで健康でいられるか分かりません。同級生に限らず、今思い付いた会いたい人には後でと言わず直にあっておきたいと思いました。(すみませんが相手がどう思っているかは考えていません(笑))
あと何回田舎に帰って来られるか分かりませんが、田舎に帰ったときみんなで集まって風呂に入る場所を作りたいと思いました。


サンライズワールドTOKYO

株式会社バンダイナムコフィルムワークスと・・・(省略)
 2023年3月18日〜5月8日まで池袋サンシャインシティ ワールドインポートマートビル3階でサンライズワールド展が開催されます。
私の関わった作品「タンサー5(ファイブ)」と「伝説巨神イデオン」も展示されるとの事。詳しくは3/14日(火曜)配信のヤフーニュース(エンタメ)をご覧ください。
https://mantan-web.jp/article/20230314dog00m200013000c.html

実はこの内覧会に元サンライズさんから私も招かれていたのですが3/15日までの確定申告で、焦っていたのと、その最中に大変な事が発覚し、内覧会の事をすっかり忘れていたのです。それをファンの方が親切に当日に私FACEBOOKに記事を貼付けて教えてくださったのです。

1979年1980年の作品ですが私にとっても強く記憶に残っています。実際に昨年9月に谷中でやった伝説巨神イデオン放映40周年の私と8人のイデオン展は800人以上の閲覧者がいらっしゃり好評を頂きました。そのおかげで今年の五月にも上野と横浜で伝説巨神イデオンの移設展を行ないます。


今月の締め切り

五月の展示会に向けてあまり代わり映えのしない絵を描いております。
未だ途中ですがほぼ全体の上がりは見えてきました。
私は不安症なのか、一点ずつ仕上げる事が出来なくて、
やるもの全て同時に進行させないと落ち着かなくてダメなんです(笑)
じつはこれある商品になる予定です。
展示会は5月なのですが、
制作日数が必要なので2月中に納品しなければならないのです。
もう少ししたらはっきり説明致します。


おひさしぶりです。

 そろそろ自分のHPに何かを書かなくてはと思いながら、つい年を越してしまいました。
なかなか更新する気にならなかった理由は、書かなくても何の問題も無いと思ったからでした。
これが、ブロガーとか、ユーチューバーだったらそうはいかなかったでしょう。(笑)

 何もしなくていいというのは本当に楽です。今まで無理してやっていた訳ではありませんが、人を喜ばせようと何かイベントをしたり、展示会をやるのはやっぱり疲れます。

 このコロナ禍の三年間はそうしたイベントをやろうと思ってもやれなかったので気楽でした。
なのに、それがきっかけで軽い鬱になっていたのかも知れません。
とにかく昨年9月にやった「イデオンTV放映40周年記念」の展示会をやっている途中から、気が抜け落ちて何もやる気がしなくなったのです。久々に大きなイベントをやって余計に疲れたのかも知れません。

 歳のせいか一寸無理をすると知らないうちに溜ってしまいあとで反動が来るようです。今回はゆっくり休んだのでようやくその成果か気分が上がってきた感じがします。これからは無理をしないで徐々に次のイベントに向けて進めて行こうと思います。遅くなりましたが今年もよろしくお願いします。


暑中お見舞い申し上げます。

6月ももう少しで終わります。
そして来月私は71歳になります。

72歳(親が亡くなった年齢)までは何とか・・・と思っておりましたが、
あっという間の70年間でした。
色々整理しておりますがまだまだ途中です。
それでもひと段落付いたので風呂上がりに庭で一休み。

皆様も健康には気をつけてお過ごしください


「イデオンTV放映40周年記念・樋口 雄一と8人のモデラー展」準備

 来月から始まる予定だった「イデオンTV放映40周年記念・樋口 雄一と8人のモデラー展」は9月の15日から10月の9日に延期が決まったのですが、その準備を始めています。
 先日展示会場にあたるギャラリーからの連絡で「仮にいまある作品を並べてみた」というので見に行ってきました。
 40年前の頃のイラストは当たり前ですがイラストボードに描いてあります。なので額装しなければなりません。
 そのタイトルやキャプションを付けていかなければなりません。もうすっかり忘れているものもありますが、何とか思い出して、或は昔の記事を探して書きたいと思います。
 さらに展示会用の最新のイラストも用意しなければなりません大変ですが楽しいです。


他力本願

 なかなか先に進まない事がいっぱいあって、少し落込んでいます。
パソコンのメールが使えない。直せない。
なのでFACEBOOKなどSNSのアカウントを変えようとしても、
変更したIDが届かないメールボックスに溜っているのです。

 その他にもなかなか説得できずに悩んでいます。
なんか待つているだけだと人生を無駄に過ごしている気がします。
若い時は何とか相手を説得しようと、
言い負かす事ばかり考えていたからでしょうか?(笑)。

 そう言えば”つり”も得意ではありませんでした。
しかし自分が焦ってもどうしようもないこともあります、
理屈だけではダメだと言う事をようやく知りました。

 なんで相手は分かってくれないんだろう?
とこちら側から考えるのではなくて、
何が不満で、何が不安で、なんに納得できないんだろう?と
相手の側にたって考えてみることにします。
相手が納得してくれるかは他力本願です。

少し自分も大人になったなあと感じるこの頃です(笑)
※解決したら原因が何だったか話します。
私への緊急、でなくても連絡には、携帯が使えます。
ショートメールも大丈夫です。


近況報告です。

 最近パソコンのトラブルが多くて困っています。
先週からメールもプリンターも使えなくなってしまいました。
プリンターは教えられた通り一度アプリをダウンロードし直し、
インストールからやり直したらやっと使えるようになりました。
 SNSも文字を打つと文字が何回も重なって入力されるので、このところ使っていません。
「いいね」を押すくらいは出来るのですが、ストレスが溜まるのであんまり見ないようにしています。

 いずれにしても本体のパソコンの寿命が来ているのだろうと思います。どっちが先まで生き延びるか、自分と競っているようです。
スマホもデーターがナンタラコウタラ、電波がナんタラコウタラなどいまいち表示が出ても分からないので、使い切れていません。一度ドコモの教室に通って教えてもらおうと思ったら「ドコモはiPhoneの販売はしていますがアフターケアは行っていません」なんて言われて憤っています(笑)電話は使えるのでこのまま使いますが。

 それでもまだ創作活動は続けてやっています。今月末は柏の市民ギャラリー「パレット」で行われる「柊展」に60号を出品します。
 6/10日からは谷中のギャラリーHOW HOUSEで一年間のびのびになっていた「イデオン放映40周年記念展 メカニックデザイナー樋口 雄一と8人の造形作家」に向けて追加のイラストを描いています。
 以上何とか生きている樋口でした(笑)


出来なかった花見

 今年に入ってもう4月になってしまいました。
本来の計画なら家も売れてすっきりして
友達と集まって派手な花見をしてはしゃいでいる予定だったのに(笑)

 コロナは収まらないは、戦争は始まるはで、気分も落込んでしまいます。
気分が落込むとブログをアップする気分にもなり難いです。
現実も上手くいったり行かなかったり、人生には浮き沈みはつきものでしょう。 

 私は昨年70歳になり少しだけ人生について考えるようになりました。
と言うのは70才は親父の癌が発覚した年なのです。
私はがん検診も何もやっていないのであと3ヶ月で癌が発覚する事はないと思いますが、
この年で癌宣告された親父はどんな気持ちだったのだろう?と考えたりします。

 自分なら余命宣告された場合は残りの時間一体どうするだろうかと日々考えて生活います。
と言う割には毎日のんびり生活しています。勿論やり残した事はいっぱいあります。

 そのひとつが「平和のOS(方程式)」がまだ世の中に広まっていない事。
今年はロシアとウクライナの戦争もやっている事だし、
2017年に発表した「平和のOS(方程式)」が出来ていたら・・・
(これは私のアイデアの話でなく現実的に世界が平和協議するのに使うP-OS{ピュアなオペレーションシステム}が出来ていたなら)
平和を願う為にももう一歩「平和のOS(方程式)」を進めていこうと思います。


40周年イデオンの展示会

 先日、とは言ってももう何週間も経つのですが、西郷輝彦さんが亡くなられてから急に昔の歌が聞きたく成ってYouTubeで聞いていました。するとどんどん昔聞いていた音楽が懐かしく成って、フォークソングとか映画音楽(当然ひまわりとかもあります)なども聞くように成ったのですが、当然歌を聞くと当時の事を思い出してしまいます。

 高校時代柔道部でいつも一緒だったあいつは今頃どうしているんだろうとか?あの娘も今はしっかりおばあちゃんになったんだろうなとか、しかし昔ばかり思い出しているとどんどん暗くなってくるのですね。
なので、あんまり昔を懐かしむのはやめました(笑)

 そこでこれからの予定ですが、あ、その前に3/10〜21まで横浜の丸井スカイビルの7階でイデオンのアオシマBOXアート展をやっています。なぜかこの中に私の作品(イラスト)は一点もないのですが、図録のあたまのページには私の「展覧会に寄せて」というコメントが掲載されています。興味がありましたらどうぞ。

 本題ですが、私と6人のモデラーが集まってやる「イデオンTV化40周年記念展示会」をようやく6月くらいにはやれそうという見込みがたって来ました。この辺なら少し長いスパンで開催できそうなのです。
相変わらずまだ詳しい事はこれからですが、もう少しだと自分には言い聞かせています。


平和な世界を願って。2022.03.11

 先日、東日本大震災から11年と言う事で色々行事が行われていたりマスコミでも特番をやっていた。自分でも11年前を思い出してみた。この11年は自分の力が出せなかった時代だったと思う。そして今もそれは続いているかも知れない。
13年前私は以前勤めていた会社を辞めていたので時間がたっぷりあった。向島でデザイナーやアーチストを集めてアート展をやろうと言う事にした。それには仕事仲間が出来れば良いなという考えもあった。
それを二年間やってすぐ足立区から柏に引っ越して来た。それにはいろんな事情が含まれていた。決して前向きな計画だけに基づいた決定ではなかった。
 そんな年の3月あの大地震が来た。それから11年、社会の状況も自分環境も一変した。オリンピックもあったし、福島はまだ遅れ気味だが地方では、ようやくいろんな重しがとれていざ動き出そうという時に今度はこのコロナ禍とウクライナの戦争だ。
 これだけ社会が発展しても人間は本当に残念な生き物だなあと思う。政治家を見ていて尚更そう思う。コロナの対応にしても地味で遅く結局は国民に我慢をしてくれというだけで先行きの案内もなかった。
 ロシアのウクライナ攻撃になるとなおさらで、世界はロシアの動きを知っていて止める事が出来なかった。ロシア国内では世の中の情報網がこれだけ発達しても情報統制できるのだから独裁国とは怖いものだと思い知らされた。
 私はこの世紀は嘘の時代だったと思っている。情報戦略という言葉を耳にしたあたりからそれは段々怪しく成ってきた。企業が自社の製品や企業のあり方を多少良く知らせる事は自然な事だが、それは政治家やメディアの既得権益や自己保身に迄及んだ。
 しかし我々にはまだ、世の中の情報を正しく見る為に、相反するそれぞれのメディアを交互に見ることで正しい情報を得る事は出来る。間違った情報に流されず自分の判断を正確にする為にも基本となる意識は自分で作っておく事が大切だと強く感じている。

平和を願って、制作途中の「平和のOS(方程式)」未来型居住ロボット「ロビッタ2」を掲載します。


今、起きている事。

 昨日家を出たらあまりの天気の良さで、このままアトリエにこもるのは勿体ないと思い谷中に行って来ました。安藤さんには会えなかったが、WESTの方に作家の森田さんと言う方の展示があった。
動物をあまりデフォルメしないでかといってリアルだけではない線を省略してアイコンのようなタッチで顔だけを描いていらっしゃった。滋賀からいらした福田さんには都内のコロナの対応があまりにも厳しいのでビックリしていた。久し振りにいっぱい喋って自分のストレスは発散できた。(笑)
 そんな中相変わらずウクライナとロシアの戦争が続いている。ロシアは核兵器の使用も散らせながらウクライナに降伏を促している。一方アメリカを含むヨーロッパ及び世界では、まさか幾らなんでもロシアは核兵器は使わないだろうと言っているが、この状況で核爆弾を使ったのがアメリカだった事を日本含む世界中の人々は忘れていないだろうか?
 当時日本とアメリカの戦況はほぼ決定していて、あとは何時日本が降伏するか?時間の問題だった時に使われたのが原子爆弾だった。広島と長崎の街の中心地であり戦争なんかに手も出せなかった民間人の居住区だった。この事は核兵器を持てばお互いが使わないように成ると言う事ではなくて、持っていれば使いたく成ると言う事だ。みんな不安から武器を持ちたくなるので、その不安が増すとどんどんエスカレートしてしまう。
 そんな兵器に金を使うより足りていないインフラや未来のことに金を使おう!と言うのが私の「平和のOS(方程式)」です。こんな時だからか最近になって私に「平和のOS(方程式)」でイベントを開きましょうという誘いが来ている。勿論それとは別に私は今日も本気で平和を願って、「平和のOS(方程式)」2022(添付)を描いています。


昭和の記憶

先日、西郷輝彦さんが75歳で亡くなった。
私より4歳年上だった。
私の年代だと昭和の御三家と言うと西郷さんの他に舟木一夫さん橋幸夫さんですが、
私は三田明さんと橋さんを入れ替えていました。
大した意味はありません。自分の好きだった順番です(笑)
特に西郷さんは好きで似顔絵をよく描いていました。

この似顔絵を描くという行為はその後私がイラストレーターになる基礎を作ってくれたかもしれません。
高校一年生の冬休みに大やけどで3ヶ月入院していた時も、看護婦さんが小さい写真を持って次々やって来てこれを「大きく描いて」と頼まれて、当時のアイドルを描いたり、(勿論西郷さんも入りますがこの辺は平凡や明星で大きな写真やヘタするとポスターが付いていましたので)院長先生や誰か分からない人を描いてあげていました。似顔絵なので似せないといけないというのはプレッシャーでしたが、「上手い!そっくり!!」と褒められたい一心で頑張りました。勿論無償です(笑)

私はコロナに関係なく、カラオケには行きませんが、一昨日はアトリエで一日中YouTubeで西郷さんと舟木さんの歌を聴いていました。
するとどうしても新潟にいた当時のその歌にからんでいろんな事が次々思い出されて来ます。
「ああ、あいつは今どうしているんだろう?」とか、いっぱいあります。
小学校、中学校、高校生の頃は感受性がすごく出て来て、やっぱり自分を作る時代でもあったんですね。
その時代の歌と共に両親や家族親戚は勿論ですが、友達やその当時関わった人々が全て良い人だった事に感謝します。残念ですがそのお世話になった人達がどんどん鬼籍に入ってしまいます。
仕様がないですが、昭和の景色や記憶が段々薄れていってしまいます。

ですが、私は本当はあまり昔話ばかりするのは好きではありません。
出来るだけ次の事を考えていたいのです。
昔の友達と会っても「一緒に田舎に帰って花見をしよう」とか、「今度の企画は◯◯にしようかとか」出来る限り先のスケジュールを作って、もう少し先の何かを考えていきたいのです。


2月の想い出

 毎年2月になるとアンパンマンの作者「やなせたかしさん」を思い出します。
やなせさんが責任編集長?を努める「詩とメルヘン」が2003年迄続いていたのです。
毎年その表彰式(と言うよりは大パーティ)に妻のツレで私も参加させてもらっていました。
 その「詩とメルヘン」の廃刊とともにそれまで(いつから始まったかは知らないのですが)毎年赤坂プリンスでやられていた詩とメルヘンのパーティがそこで無くなってしまいました。
 毎年とは言っても年に一回だけですが、そのパーティで楽しみだったのがメンバーと会える事。
それが全て無くなるのを惜しんだ「詩とメルヘン」の常連及び仲の良くなったスタッフはやなせさんの誕生日である2月6日の誕生日に、「やなせさんの誕生日会」をやらせて欲しいとお願いしたのです。
 そして毎年の「赤・プリ/パーティ」が復活しました。
とは言ってもその経費は全て「やなせさん持ち」なのでメンバーはせめて何かプレゼントをしようと、参加者からお金を集めてプレゼントをする事にしました。
 最初は「米寿だからベージュ色のハットとブーツ」とか「歌が好きだからマイ・マイク」などをプレゼントしていたのですが、ある日(何故か我が家で打ち合わせをしていたので)私がつい「みんなクリエーターなのに何でオリジナル作ってプレゼントしないの?」と言ってしまったのです。
 そこで帰って来た言葉が「樋口さん作れるんですか?」だった(笑)。
私は以前のデザイン会社で玩具に深く関わっていたのですぐに引き受けました。
 写真は某玩具会社のゲーム版を下書きにした「やなせさんの人生ゲーム」と「リカちゃんとわたるくん」?のオマージュ?で「ダンディーやなせ」です。世界に一個しかないですがクオリティは商品そのままです。
 楽しかったプレゼント作りも2013年にやなせさんがお亡くなりになって全て無くなってしまいました。
ただ、現在も続いています(とは言ってもコロナでこの三年はやっていませんが)「う・そ会」はそのパーティのスタッフから発生したものです。


今年は健康改善年間。

 最近10年ぶり位で「70歳にもなったし」と言う事で妻と二人で特定健康診断?を受けました。
特別悪い所が分かった訳ではないのですが、二人とも少し血圧が高いのです。
 そして言われたのが「塩分と油の多い肉は避けた方がいい」でした。
しかし妻が肉が嫌いなのと、妹は肉は臭いも見る事も大っ嫌いなので、我が家の食卓はほぼ野菜で埋め尽くされます。
 野菜だけとは言っても納豆や、豆腐、がんも、油揚、煮豆、など野菜に見えない物も沢山あります。
しかもカレーや鍋とかスパゲティと調理法が変わってしまうと肉が無くても気にならないです。
なのであとは塩分のとり過ぎでしょうが、いつも妹には「味が薄い」と言われるくらい、気は使っているのですが。・・・
 そうなると決まってくるのは、二人とも運動不足なのです(笑)コロナが終わったらスポーツセンターでも行って泳いだり運動しようと思います。それ迄は今迄の散歩を少し早足でウオーキングに近づけるようにしようと思います。

 話は突然変わりますが、我が家の猫は今年で16歳位になるのですが、(私は元々小動物はそんなに好きではなかったのですが)最近夜中から朝方にかけて私が起きていると二階に上って来て食事をねだります。
かなり足腰が弱ってきているので、(自分にも足腰の弱ってきた自覚があるので)わざわざ階段を上り二階迄来たかと思うと同情を感じて餌をあげています。
「あと4〜5年は大丈夫」と妻は言いますが、取りあえず生きている間は私も精一杯可愛がってやろうと思っています。


少しづつ身の回りの整理始めています。

 寒さも厳しく、コロナもオミクロンが拡大を続けていますが、
皆さんお変わりありませんか?

 私も70歳になったけじめではないのですけど、少しずつ身の回りの整理を始めています。
きっかけは昨年ニッカの森に借りていたアトリエを追い出されたこと。
取りあえずコンテナを借りて持っていた物を放り込んだものの、
その後でアトリエ代わりにアパ−トを借りたため必要なものをもう一度見直すハメになったと言う事です。

 現在のアトリエ(アパート)は必要なものだけを身の回りに置いてコクピットのように使ってみるとかなり使いやすい事が分かりました。
いら無いと言うよりは読まないと思う本も1.000冊以上捨てたり、物も大分整理したつもりなのですが、それでも懐かしい物はなかなか捨てられません。
たとえば添付した写真は1975年〜1977年くらいだったと思いますが、私がデザイン会社に入って2〜3年目(だと思いますが未確認)ミクロマンの小冊子(ゼロゼロ)を作る事になりスタッフ数人で担当を決め、文字通り夜も寝ないで作りました。
その時表紙を担当して描いたイラストです。こんな物がぞろぞろ出て来ます。
ああ懐かしい、人生は懐かしさで出来ている。(笑)

 懐かしいと言えば竹ノ塚の家も処分しようと思っています。
そこに住んでいたときは、毎月蕎麦を打って友達を呼んで酒を飲んでいた懐かしい場所ですが、
もうそこに帰る気がなくなると、持っていて煩わしい事が多くなり手放す事にしました。
気楽になって、(今でも充分楽しいのですが)更に楽しい後期高齢者生活を始めようと思っています。


一月の展示会。

京都の伊勢丹で行われていたイベントは先週で終わり、
貸し出していたイデオンのイラストも帰って来ました。

お台場のホテルグランドニッコー、GALLERY21での
展示会も今週末で終わります。
いらしていただいた方には感謝いたします。
期待していた年末のビッグサイトのイベントも、
人数制限があったりで、人出はメチャクチャ少なかったと言います。


終わった事は終わった事として、次は4月と5月のイベントの制作にとりかかろうと思っています。
1つは4月のイデオン40周年の個展ですが。
3度も延期すると狼少年になりつつあります。コロナ禍だからと言う意味で多少の免罪符はあるのでしょうが気分は落込みます。
もう1つは地元柏でやる「柊展」に出展する作品です。
イメージはまだ無いのですが漠然としたテーマは決っていますのでこれから徐々に詰めて行こうと思います。


寒中お見舞い申し上げます。

 随分前から気付いていたのですが、
SNSやホームページに投稿する回数が私も含めてお友達も急激に減少している気がします。
今年の年賀状もメールでの挨拶も含めて大分少なくなって来ました。
(とは言っても我が家はこれから年賀状の返事に「寒中見舞い」を使って書こうとしています(笑))

 SNSの1つ「ふぇーすぶっく」を私はやっているのですが、
かなり前のmixiの終わりの時のような雰囲気がしています。
FBのシステムから誕生日のお知らせが来て相手の書き込みを覗いて見ると、既に何年も前の誕生日のお祝いメールが最後のやり取りだったりする人が増えてきました。
私もSNSでは自分のイベントのお知らせとかをメインにしていたのですが、
それだと昨年はあまりに少なくなってしまいました。
何かを無理にでも書こうと思っても気力が湧かずアイデアも出て来ません。
年に何回かこういう状況が起こります。

 なんせあまりにもやる気がしないこの頃なので、これが老化なのか単なるサボリ癖なのか分かりませんが、今年は週一のブログのアップとゴルフの練習は欠かさないようにします。
今年は週に一回は何かしら此処に書いていこうと思っています。
これが私の今年の抱負です。
このやる気の無い気分が払拭できたらもう少し前向きな事を考えて此処で発表して行きたいと思います。


新年のご挨拶

 皆様、昨年はありがとうございました。

 お世話になった人も一度もお会いできなかった人も、
今年こそは出来ればお会いしてお話ししたいと思います。

 年末は恒例の蕎麦を打ちました。
蕎麦は近所のお蕎麦屋さんから分けていただき、つけ汁は知り合いからいただきました。
今年も美味しく出来ました、家族全員(3名)で1kgいただきました。(笑)

改めて、明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

 大分長い挨拶を書いたのですが、
途中で文章が消えてしまい、もう一度書く気力が無くなってしまいました。
こんな事が時々起きて(PCが古くなった所為です)、途中で諦めてしまう事が多くなる最近です。
また気分が戻って来たらつづきを書きます。


忘年会をやってみました。

このところ毎週土曜日は(この曼陀羅webで)近況のアップを続けています。
何時止まるか分かりませんが、なるべく続けようと思います。
今年はあと二回。(笑)

 さて、コロナが少し落ち着いていますが、
(そして今はまだ嵐の前の静けさのようでもありますが)
私はコロナ禍の前は、毎月色々なイベントをやっていました。

 月1「勉強会」と称して都内のアートイベントや展示会に行ったり、
月1「北千住会議」と称して北千住のゲームソフト開発者やイラストレーター4人で打合せしたり、
月1「新宿アニメ会議」(これは復活して今も)アニメの企画会議をやっています。

 その他は年単位ですが、自分の展示会や「う・そ会」(うどんとそばを一緒に作って食べる会)
その他人のイベントに参加するのであれば秋葉原で「メイドさん達と宅のみをする会」や
誘われたイベントにはほぼほぼ行っていたのですが、今は自粛しています。

 その他に毎月地元のクリエーターとただ珈琲を飲みながら雑談をしているのですが、
強いて言えば「南柏月1雑談会」。今年の締めとして先週忘年会をやりました。
地元に昨年オープンしたスーパー銭湯に会場を移して、風呂上がりに一杯と言う感じです。
これは参加者(と言っても4人ですが)には非常に良い評価でした。
「毎回此処でも良いんじゃないですか?」と言う事になりそうですが、
私は出来れば毎回いろんなところでいろんな事をやってみようと思っています。

 来週も元クライアントの人達と忘年会をしますが、
こんな所があったらなあと今から探します。


私的、2021今年最後の展示会が始まります。

随分早いですが、今年の仕事はもう終わりです(笑)。
昨日、お台場のグランドニッコーホテル3Fにあるギャラリー21に
(2021Wonderful World!Ⅲ展の搬入に)行って来ました。

今回私はブライガー、バクシンガー、サスライガーの三点を描きました。
ぎりぎりまで描いていたのとそれが昨日で終わったので、
(学生時代の試験が終わった気分で)すっきりして今朝は
8時迄(9時間)も寝てしまいました。(笑)


<2021Wonderful World!Ⅲ展 概要>
会 期   : 2021 年 12 月 18 日(土)~2022 年 1 月 16 日(日)
開廊時間 : 11:00~19:00(仮)入場無料
会 場 : GALLERY21(ホテルグランドニッコー東京台場内)
〒135-8701 東京都港区台場2-6-1 グランドニッコー東京 台場 3F
ゆりかもめ線台場駅より徒歩1分
東京都港区台場 2-6-2 グランドニッコー東京 台場 3F
主 催 : GALLERY21
キュレーション : 開田裕治 開田あや


*年内に私はもう一度か二度行こうと思っています。
どなたかとお会いできるといいですね。


最近の身近で気になる事。

 私は東京に来た当時から喫茶店が好きで、何処に行っても気にいった喫茶店を見つけては定期的に通っていた。
この柏に引っ越しして来てからはほぼ六ヶ所のお気に入りの喫茶店を見つけ毎日代る代る通っていた。
そんなに喫茶店に行く私だが珈琲の味にはそんなに(全く?)うるさくない。
 料理なら尚更だ。どんなに高級な店でも高いものでも私にはあまり意味が無い。(勿体ない)
それより店の雰囲気とか対応だとか、一緒にいる人だったりその時の会話の内容が楽しければ完璧で、料理にはほぼ「美味しい」としか言えない。(グルメではないしストライクゾーンが広い)

 そんなコロナ禍の中で最近ほぼ毎日通っていた近所の(増尾駅前)喫茶店のシャッターが下りたままになっている。
その喫茶店は今年の6月まで、私が通っていたアトリエの途中にあって、気にはなっていたが毎日通り過ぎていた。
 今年の6月迄はニッカウヰスキーの工場のある場所の近くにあった「スペース1033」という所の中にアトリエがあり、そこにあった喫茶店に通っていた。
 そのアトリエを6月に追い出されるように出て来てからは、増尾の喫茶店に通うようになった。
その一番の理由は、「いつ行ってもやっている」と言う事だった。
「休みは年2日、12/31日と1/1だけ」と言い、「朝は8:30から夕方も8時頃まで」何も無ければやっていた。
だから、今日は何曜日だっけ?とかいま何時?とかあまり考える必要が無く、気が付いたら行くようになっていた。そしていつ行っても開いていた。

 その店のシャッターが、もう一週間以上閉まっている。
40年前からやっていると言う喫茶店は当時はジャズ喫茶だったと言うが今は音楽は流れていない。
いつもカウンターに座り(私の行く喫茶店は全てカウンターがある)経済談義をするのが楽しかったのだが、
マスターは私より2つ年上で若いときは都内で銀行員だったようだ。その所為でお金には詳しかった。お客の対応が終わって一息つくと奥に行ってパソコンに向かいいつも株をやっていた。

残念ながらプライベートな事はあまり知らず自宅も個人の携帯も知らないので、連絡が取れず心配している。果たして店の再開はあるのだろうか?
今一番気にしているのは、自分を含めこんな風に会いたい人と急に会えなくなる事である。
そうなる前に来年は気になる人を思い出したらすぐ会いに行こうと思っている。


面倒くさいの続き。

 先週の(めんどうくさいの)つづきになりますが、
SNSの(たとえばFACEBOOKなど)アップする間隔が広がって来ています。

 FACEBOOKをやっていると誕生日のお知らせが入ってくるので、
気になるときは最近何しているのかな?とメッセージを出しながらアップ記事を覗いて見ても、
もうSNSはやっていないのかが分からなくなっている人もいらっしゃいます。
二年前や三年前の誕生日のメッセージが最終になっていたりする事があります。
(私も元々そんなに頻繁でないですが)面倒になって来たのかなと思います。
私もmixiがそんな終わり方をしたと思います。

 歳の事はあまり言いたくもないのですが避けても通れないので
気になったことや、思い付いた事は、言ったり聞いたりする事にしています。
 楽しいと考えた事をスルーすると次のチョットしたハードルが尚更上がって来ます。
するとどんどん楽な事、階段を降りる事、坂道を下る事しか出来なくなってしまう気がしています。

 この一二年のコロナ禍ではあまり大げさにはできませんが、
近所の友達とは銭湯で忘年会をやろうとさそったりしています。
私なりに抵抗しているのです。(笑)

(これからも抵抗がてら、週一土曜日には曼陀羅webにブログを書く事は続けようと思っています)


面倒くさいと思う事。

 最近何かと「めんどうくさい」と言う事を考えています。これが年をとると言う事なのかなあとも。
と言うのは私はいつからとは言えませんが、そして自分で言うのもなんですが、好奇心が強かったと言うか何にでも興味を持って近づいて行く性格だったと思います。(多分今でも)
それに行動力が伴っていて、高校生の夏休みに東京に出て、ちばてつやさんや手塚治虫さん、さいとうたかおさん等々に会う事が出来た訳です。

 仕事でもこんな物(或は事)が面白いのでは?と、思った事はすぐに企画書にしてプレゼンしたりしていました。
仕事以外でも面白い事や友達がおもしろがってくれる事(「う・そ会」や、向島アート展、やなせ先生への誕生日のプレゼント作りなど)はむしろ積極的に関わっていました。

 ところが、そう言う事を引き受ける事はじつは「面倒な事」なのだなと言う事に、このコロナ禍の中で気が付いてしまいました。思い付いてしまうと、おせっかいかなと思う事が出来難くなってしまいます。

 たとえばこの冬の忘年会とかは自分が発起人になろうとするとすごく気がめいるのです。逆に人のイベントに参加するのは何と楽なのだろうと思います。だから、あまり自分からやろうとしない人の方が多いのだなとも思います。
しかしそうなると世の中の動きが少なくなってつまらなくなるのではないかなあと思ってしまいます。

 毎月一度、会っている近所の友達に「忘年会をスーパー銭湯でやろう!」と言ったらすごく喜ばれました。
 なので小規模(4人程度)ながら自分でやれる事は少しはやっていこうと思います。
先ずは12月一日から光が丘のカフェ・ラ・ビアンヴニュと言うところでA.Iガールの色紙展(個展)を今年いっぱいやらせていただきます。
 次にこれはグループ展ですが(12/18日から来年の一月16日迄)お台場のギャラリー21でアーティストファイルIIIに参加させていただきます。


最近の思った政治の事。

 昨日は大谷選手がメジャーリーグのMVPを取った事でニュースが明るいものになったし、コロナも今のところ日本はかなり落ち着いて来て良い感じである。
会いたい人には今のうちにあっておきたいと思います。

 しかし既に第六波が来ると予想され他国は三回目の接種が始まっているのに日本はまだ三回目の接種が8ヶ月後なのか6ヶ月後なのか曖昧でその説明が下手と言うかごまかそうとしてかえって分かり難くなっている。
 国民給付金の18歳以下10万円給付も、何で18才なのか何でクーポンを使うのか等々経済対策云々と言っているのだが相変わらず政府の政策が曖昧で納得できない人は多いでしょう。全然過去の反省をしていない。

 1日の新人議員に文書通信費100万円が全額支払われたことが問題提起されているが、「何を今更」感が強いし、更に言えば何で日割りなんだと思います。
 一日で新人がもらおうが31日間何にも使わない先輩議員がもらおうがそれは自分の小遣になってしまうのか?と言う事に何処からも何の疑問もでえてこないことがおかしいと思います。(普通は使った分だけでしょ!)
 政治家は票集めの為の政策をつくる前に自分たちが法律を作る立ち場にいると言う事を強く心に刻み、先ずは自分たちを律するための法律改正を先に進めて欲しい。河井夫婦や木下議員のように(言葉は悪いが牢屋に入っていても)働いていなくても、国民の税金から給料をもらえるのはおかしいと思っているのは私だけではないでしょう。ほとんどの人は自分がその立ち場になれば利権は手放さそうとするので。
(そこで私の考えるスーパーロボットAIガール「法務大臣」の登場が必要なのです。)

 自民党は、先ず「新しいとか寄り添うとか変わる」と言う前に何から変わるのか、何がいけなかったのか?はっきりさせて欲しい。反省と総括が先なのである。安倍政治のグレーな部分は1つも解決していない。
 立憲民主党もまったく同じで、何でこんなに国民に嫌われてしまったのかを自分たちの反省をしてから先に進んで欲しいと思っているこの頃です。
 今年フリーになって約十年(歳とった所為?)、特にニュースを見たり聞いたりするようになって、政治が気になって来ています。


最近、動き始めました。

 10月の末に自分の二回目のワクチン接種が終わったからではありませんが、
渋谷でゲームの打合せをしながらアルコールを嗜んだり、
新宿に行ってアニメの企画を話合った後で、
若い頃(20〜30年代)よく足を運んだアカシアと言うレストランで食事をしたりしました。

 更に、上野に行ってメタバース(フェースブックックの会社?)の話を聞いたり、
恵比寿で自分の昔の作品のファンにお会いしてごちそうしていただいたりもしました。
世の中が徐々に動き出して来た感じがします。

 今回お会いした人々は、元々仕事がらみでの知り合い。
今迄は仕事以外ではなかなか声もかけづらいし出かけ難かったのだけれど、
最近ようやく注意を払えば出かけてもいいような雰囲気が出て来たように思います。

 とくに今回は自分が好意を持っている人達なので楽しくて仕方がありませんでした。
今後もコロナには気を使いながら少しだけポジティブに動こうと思っています。
それにしても自分の遅筆が歯がゆい、ニーズはあるのに(笑)
(12月は二箇所で展示会があります。1つは地元柏で、
もう1つはお台場のグランドホテルです。
詳しくは来週お知らせします。)


10/31、選挙が終わって気付いた事

 いつも選挙が終わってみて気になるのはやはり投票率です。
自分の人生残りが少なくなると、ああしたいこうしたいと自分が思う事よりも、
(それは流れなのだからしょうがないとして)、
国民の関心がもう少しあってくれたらなあと思います。

 政治に興味が無いと言う人もいますが、それは責任放棄の言いわけだし、
いずれ自分の身に及ぶ事だからここはやっぱりしっかりと理解して欲しいですね。

 日本が今どんな状況か若い人にはもっと興味をもって欲しい。
それは未来の自分たちに及んでくる事だからです。

 30年も前に地球温暖化の事を警告していた人がいたのに各国は目先や自国の事ばかり考えて行動してきました。
その結果が現在の状況です。

 日本の現状は同じように30年前は「ジャパンアズNo.ONE」等と世界中からもてはやされた時代がありました。
そんな時日本は、先の事は心配せずに今儲けられるだけ儲けようと、
企業と政府の談合?なれ合いが続いた結果が今の現状です。
海外からの労働力を得るための技能実習生度を作ってもその歪んだ構造と実態や、
SDGs等とキャンペーンをしているのに化石賞を受賞してしまうなど、
政府の方向は選挙の自分の票集めにしか政策をして来なかったのです。

 選挙に行かない人は「自分には分からない」と言う方がいますがそれは恥ずかしいと言う意識を持つべきだし
(海外では高校生ともなれば政治談義は誰でもします)「自分一人が選挙に行ったって変わらないから」
と言うならあなたはその選挙以外でどのようにして国を変えていく力を持っているのですか?と聞きたい。

 現状は今のままで良いと言う50%の人達の意思で動いていると言っていいと思う。
選挙と政治の仕組みを正しく知り興味を持つ人が100%近くになったら、
政治家は今の政治家ではいられなくなるはずなのですから。


2021/10/30日の日記から。

私は小学生の頃から日記を書いてきましたが、勿論人に見せるためのものでなく、
所謂ブログとかSNSに載せるものとは随分意識が違うような気がします。
SNS(特にFACEBOOK)では自分のイベントのお知らせ等に使っています。
ところがコロナ禍の所為で二年近くも誰とも会えなくなくなると、
用事もないのにメールも出し難くなってしまいます。
友達が何をしているのかも当然分かりません。
そこでせめてこの曼陀羅webでは私が現在今「何しているよ」と元気な事をお知らせしたいのと、
少し気になっている事を自分なりに意思表示していこうかと思うようになってきました。
かと言ってもそれほど書く事も無いので取りあえず毎日日記で書いているものを利用しながら書いていこうと思います。
何せもう70歳になりましたので残された時間が少ないのです。
そこで先ず今日の日記から・・・①〜⑤迄は起きた時間とか天気とか体温とか血圧とかです(笑)

⑥ 日記/昨日のメモ/
昨日は天気がよかったが気温はそんなに高くなくアトリエにいても寒かった。
その所為なのか、身体に気力が無く一昨日の二回目のワクチンの所為かもしれないが、なんか精神的に不安定な感じがする。風邪をひいたのかもしれない。そう言えばアトリエは寒かった(笑)。
⑦ 今日の気づき/明日が選挙なので。
選挙に行くのに、「誰に入れていいか分からない」とか「関心が無い」と言う大学生や若者が、TVのインタビューでよく見かける。
それに対して自分の指示政党が分かるソフト等が出てきている。
70歳の我々の年代は10代後半から20代はデモに行ったりしていたので政治については元々関心があった。
政治の話が出来ないのは恥ずかしいと感じる世代だ。
私の選挙に対する考え方は、与党はもっと過去の実績(特にこの四年間の成果)を語るべきだとおもう。
未来のことを語るのは全体の1か2で、残りの8か9は過去の成果を語るべきだ。
そうでなければ野党のように「自分の今迄の党の否定」をしっかりして、「私は違う」と言って欲しい。自民党なら安倍政権のグレイの色を全て剥がして綺麗にしてから私は「これからこうする」でなくてはならないと思う。
未来のことを語れるのは野党だけだ、まだ白紙なのだから。
もっとも立憲民主党も過去の反省をはっきりさせてから一歩を踏み出して欲しかった。
未だに不信感があるのは今の自民党と同じで自己分析と反省がないからだ。

裁判官の国民審査に関しては、
私は「平和のOS(方程式)」の中で裁判官はいらないと主張しています。
なぜなら日本国憲法があるのに、評判のあるある判事がつくと勝てるとか、新人では負けるとかでは法律の公正性が保証できないからだ。
裁判では、お互いが言いたい事を全て述べた後、それをAIで判断を下すのがいいと思っています。
でも今回はAIが間に合わないので自分で選んでこようと思っています。


今年を振り返る(その一)

10月で今年を振り返るのは少し早いと思われるかもしれないが、
毎年10月になると文具屋さんや本屋さんで来年のカレンダーが売られ始める。
するとすぐに買って来る。
来年の計画をたてる気分だけで楽しくなってくる。
昨年もその予定だったが生憎コロナで予定を狂わされ、
今年こそはと意気込んだがやはり勝てなかった。

そこで来年の計画である。
今年できなかった事の1つにこのブログを定期的に書けなかった事がある。
私はほぼ小学四年生から日記を書いてきた。
残っているののもあれば引っ越しの度に捨ててきた者もある。
決して日記は残すためだけではなくその時の心の整理に役立つから続けて来れたのだろう。
しかしブログは違う。
少なくとも人の目に触れる事を前提で書かれる。
その事は少しだけ意識しているから、
自分のイベントの告知等を載せるようにしていたのだが、
今年70歳を迎えて残りを考えると、
思った事とかは少し外にはきだしておこうかなと言う気にもなる。
少しでも生き様を残したいと言う事だ。

たまーに極たまーに人と会った時、
「樋口さんブログ見ているよ」と言われたりする事もある。
それはすごく嬉しい。
最近友だちからメールやら電話で「久し振りに会いませんか」と連絡が来ると、
それだけで嬉しくなってくる。
あッ忘れられていなかったんだとか、覚えていてくれた事に感謝する。
なので、またどこかで見てくれている人に、
まだ元気だよと伝えるために、
出来れば毎週一回ブログが書けるよう頑張ってみよう。

本格的には来年からだが、
すこしリハビリ程度に今年から書き出そうと思います。


こんな五輪心から楽しめますか?

今となっては遅いけど、

国民が一丸となると言う事はその他に共通する敵がいる場合です。
現在の共通敵はコロナなので、政府国民一丸となってコロナに取り組むべきでしたね。
当然それは東京五輪をやるか、やらないか?からです。
(私は五輪そもそも反対派なので外に置いておくとして)

 やるとしたら、「皆で何とかオリンピックがやれるように協力していただきたい」でそのためには、
こうこうして感染を広げないようご注意くださいと細かい注意点を述べるべきで、
コロナが広がらないようGoToとかイートだとかはしゃがせるのはだめだし、
 やらないならやらないで「皆で我慢してもう少し自粛して行きましょう」その代わり、
◯◯協力金や◯◯金を用意します、でしょう。

 いずれにしても、最初から討論無しのオリンピックに関わる人だけに向けられた忖度政治と言うか
利益還元政策が国民を二分したと言えます。

 こんなオリンピックで心から楽しめますか?
見るには見るけど(それしかテレビ放送がやっていなければ)

 主催者側は事あるごとに「安心で安全な五輪にする」と言ってきましたが、
最初から(国民の反対が70%をしめていた五輪に説明なしでの)「安心」はありませんでした。
もはや「安全」さえもあやふやです。
聖火リレーも辞退者が次々出たり、公道を避けたり盛り上がりをさけるリレーの意味はありません。
パブリックビューイングや観客を入れる入れないから1万人更には別枠問題や、
バブル方式の崩壊等、それでもオリンピックをやれるのは、
今迄我々がある事を無しにする政治にNOが言えずに無かった事、
見なかった事にして来た付けであると私は思います。

ボランティアの方も選手の方も参加に加勢する全ての人はその事を意識して欲しいと思います。
(何が言いたいかと言うと五輪は政治と密着しているということを意識してほしいと言う事です)


6/7日 教壇に立って来ました。

群馬県の女子大学の先生方も生徒さんも私も皆マスクをして、
一時間半の講義(って呼べるかな?)をして来ました。
本来なら一般の方も入られるのだそうですが、今回は(コロナ禍のため)
一般の方の入場はお断りして学生さんだけで更に席はディタンスを取り
(一見いっぱいに見えましたが)結局半分くらい(とは言っても7〜80人)
の数だったそうです。
内容は、
第1章 私の漫画家を目指して、
第2章 グラフィックデザイナーの仕事
第3章 メカニックデザイナーの仕事
第4章 現在アーチストとして、そしてこれから。
と言う事でお話しをさせて頂いたのですが、
20代の方にどれだけ話が伝わるのかな?と気にはしていたのですが、
結局は終った後、先生側の人達から「懐かしい話が聞けてよかったー」
と感想をいただきました。
一時間半一人で喋るというのは初めてだったので(喉はカラカラ)緊張しましたが、
用意した42枚のスライドに会わせて話を進めたので時間はぴったりでした。
終わってみれば反省する事ばかりですが、
改めて自分の関わって来た仕事の多さをを再確認できました。
とは言っても今回は全部を網羅したものではありません。
いい機会なのでここらで一度全てをまとめて見るのもいいかなと思いました。
そんな良い経験をさせてもらった感じです。
新しい事はこれからもチャレンジして行こうと思っています。


何故か私が教壇に?!

 どういう風向きの変化か竜巻のごとき一風で私が
群馬県立大学の美術史学科の講義を一こまではあるが受け持つ事になったのである?!

 そんな所為で今週は資料作りに専念した。
なので自分の今までやって来た事、仕事などを整理しながら考えると、
本当に多くの人と出合って来たなと思う。

 その中でも、やなせさんのプレゼント係になったり、
手塚さんに会えたり、ちばさんと話が出来たり、
バロンさんと現在も一緒に展示できたりしているのは
本当にラッキーだったと思う。
小学生の頃は雲の上の存在だった人と一緒に仕事を出来たり、
自分の周りからも有名ではないけどそれ以上にすごい人にも沢山会えた。
 尊敬する人も近くから多く出て行った。
数え上げたらきりがないが、せっかくそう言う人達と出合えたのだから
俺も少しはそう言う人達に近づけるよう努力はして行きたい。


・政府や菅首相が使い続ける予断の意味。

・政府や菅首相が使い続ける予断の意味。(あらかじめ判断を下す事)だが、首相はずうーっと「予断を許さない状態だ」等と言って、くださなければならない判断を下せ無かった。お陰で世の中には油断がうまれた。なぜ先が読めないというのか?それがどう言う理由かは此処まで先の読めない政策を取って来た菅首相に直接聞かなければ分かるはずもないが、菅首相の事だから答えないだろう。
(おかげで何度も読み間違えて結局自分の展示会も今年の9月に延期した)
 コロナの第三波の波がきた時点で中止を宣言したら此処まで日本経済は落込まなかっただろう。(菅さんの株も少しは上がったのにと思うが)
 世の中の多くの人は先を読んで計画を立てて行動する。お店であれば長い短いの差こそあれ、発注もしなければならない。それが「結果を見て専門家に判断してもらって、私が発表だけする」なんて事を宣言されたんじゃ情け無い。商売をやる人の事を真面目に考えろよと言いたい。
 しかしその間にどんどん国は疲弊し、コロナの重傷者の数も増え多くの人も亡くなっている。
私はオリンピックはどっちでも良いと思っている。テレビで放映すれば成り行きで見るが、別に無くてもかまわない。熱はほぼほぼ奪われてしまった。多分そう言う人は多いと思う。
 少なくとも初めにオリンピックをするならするで、「何故コロナ禍でもやらなければならないのか」その理由をはっきり説明して、国民に納得させてから、オリンピックのノウハウを一般に公開し
「政府のやり方を守れるならスポーツはやっても良いよ」と言って学校の運動会の行事やスポーツ観戦もやらせるべきだろう。
そしてダメならダメで「オリンピックも中止しますんで此処は皆さん一丸となって家にいましょう」と言えば良いだけなのだ。
 社会を1つにまとめるはずのオリンピックで二分化をして来た政府は総辞職に値する。(ワンオール・オールインワンは何処に行った。都合のいいときだけ使うんじゃない)
 緊急事態宣言の定義も仕分けも判断も全てが曖昧だ。この一年半政治家は何をして来たのだろうか?昨年の正月ものんびり休んでいたが国民の為に政治家は何をしているのだろう。
 未だに自己保身と利益追求に取り組んでいるとしか私には見えない。

(※以下私の「平和の方程式」のコマーシャル)
こうした時、判断を正しく下せるのが「A.Iガール」だ。彼女らには、自分たちの都合で曖昧な表現をくだす事は無いからだ。今ある法律で出来る事はこういう事だという最良の解決案を出してくれる。

 A.Iガールには、
「日本の国民の行動を制限する緊急事態宣言は憲法に触れないか」?
「お願いしか出来ないはずなのに罰則を設けるのは違法ではないか」?
「一部の企業団体(オリンピック関係者)に自由を与え国民に不自由を強いるのは憲法に違反しないか」?
などを含めて是非A.Iガールに判断してもらいたい。


イデオン40周年記念展示会延期のお知らせ。

 残念ですが昨日緊急事態宣言の延長が発表されました。
緊急なのに延長とか、さらに緊急事態宣言の活用範囲が広がっているのに一部緩和とか、
それでも都内は引き締めるとか、何が何だか分からない政治家の対応です。
私個人なら従いたくないのですが、医療関係者の言っている変異株のウイルスの脅威は充分理解できています。
 そんな状況で皆様に来ていただくのは非常に怖いのです。
そこで残念ですが一旦展示会を延期する事にしました。
延期の日程はギャラリーのスケジュールを確認して改めてお知らせします。
 つい先日拡散をお願いしたばかりなのに、延期になった事をお詫びします。
皆様のご理解と(拡散の)ご協力をお願いします。


コロナ禍の中で。

 東京都及び大阪等で緊急事態宣言宣言が出された。
都や県の長は若者の外飲みが多い事に苦言を呈している。
都の職員は昨日繁華街に出てアンケートをとっていた。
声をかけるのに聞きやすい言い方を調べるのだという(笑)
皆もう我慢が出来ないのだ。
ふくれあがるものを無理やり押さえ込んでもちょろちょろ漏れるか一気に爆発する。
 そもそもから東京都は法律も無いのにロックダウンだとか言って脅しをかけたり
緊急事態宣言も出ていないのに(補償金の話もしていないのに)
自粛を呼びかけたりフェィクを流し続けた所為だろう。
 更に政府と菅首相の本気度が足りないのも気になる。
「全集中の呼吸で取り組みます」と言った菅首相だが、
緊急事態宣言が出た後で自分たちや公務員の人達が規則破りの飲食をしていた事がバレたり、
学生の運動俱楽部や大会を中止にしたりしている中で、
7割以上の人が止めたらいいと言う五輪を強行しようとするのは
(聖火リレーとか未だにやっているのは)
まだ余裕があるのだろうと思ってしまうのは当たり前だろう。
 歴史のある三社祭を我慢していたり、店を閉めたりしている一方で、
五輪の選手だけを贔屓するオリンピックはやがて
選手を見る目にひずみがこなければと思ってしまう。
池江さんが「こんなに国民に嫌われるオリンピックなんか辞退します」
と言ってくれないかなあ。


マスクのある日常

 昨年の9月頃からほぼ毎日歩いてアトリエに通っています。
片道45分ほどかかるのですが、歩く時はマスクをほぼかけていません。
お陰で知っている人からは「お早うございます」と声をかけてもらえる事もあります。

 マスクをしながら二人で並んで話している人と、
一人でマスクをしないで口を結んで歩いている人ではどちらが、
ウイルスをまき散らす可能性が多いのか?

 よく「マスクをかけないで歩いている人がいる」とか、
人の多い所に出かけて行って、「気が緩んでいる」とかいう人がいるが、
いい加減この状態に慣れてしまわなければいけないと思っているのは私だけだろうか?

 根拠も無くお店に「コロナをうつすな」!と張り紙したり、
人を非難している人はそもそも、正義感よりも正確な知識が少なく
不安だけが空回りしている気がする。
 こうした事は、福島から避難してきた人を口撃した人やエイズがで始めた初期に見られたが、
後になってみればいかに愚かな事だったか分かる事だ。

 勿論コロナに遷りたくないので私は店に入るときや人混みに向うときはマスクはするし、
電車のつり革やエスカレーターを使ったらあとで手持ちのスプレーで消毒をする。
 いつも行きつけの近所の喫茶店ではマスクをして喋り、飲む時はずらして飲む。
そんな事は慣れてしまった。食事も同じ。
 そろそろじっと家でストレスをためるよりは自己防衛本能を発揮しながら街に出て、
この状態の日常になじんだ方が良いのではないだろうか。
 勿論私は、缶ビールもって花見に出かけます。


今は昔(世の中の流れは思ったよりも早い)

 最近オリンピックの問題や3.11から10年などの特集から色々考えさせられる事があった。
森元首相の女性蔑視ともとれる感覚、自分にも無かった訳ではない。
現にいまイギリスでも問題になっている。
 どの位自分の意識が子供時代と変わってきたかと言えば、ほぼ時代と同じスピードだったと思う。
森元首相と若干違ったのは私は社会の中にいて一緒に時代の流れを養分にして育ったからだろう。

小学校に入る前はTVも無いし知識も無いから、両親やおじいちゃんやおばあちゃんの言う事が全てだったと思う。
 私は新潟の農家の生まれだった。女性は男性につくすのが当たり前みたいな風潮があった。
今から考えると100年前と同じような生活をしていたようにも感じる。(笑)
 村で外国人を見かけた日にはスパイのように後を付けたりした。
高校時代クラスの同姓から告白みたいなものを受けたときは別けがわからなかった。
 社会人になって友達が給料が入ったから面白い所に連れて行ってくれると言うので付いていったら、ゲイバーだった。
後で「お前は精神的に問題ある人を笑い者にするのか」と怒った。
 会社ではパワハラが当たり前だった?自分も部下も皆会社に寝泊まりしていた(笑)。
その他上げればきりがないがそれが今は異常だったと気付く。

 日本社会も時代とともに変化し、情報時代と言われ海外との交流も頻繁にしていれば新しい価値観も自然に入ってくる。
そう言う事に一般人は気付くが同じ仲間だけで固まっていたら分からないのだろう。(会社の中とか学校の中だけにいると)
交流をしたとしても常にクライアントに奢られたりいていては、忖度した情報しか入ってこないだろう。
 日本の政府人の中には、突然一般人だった人が大臣になったりしているが、
(別にそれはあっても良いのだろうが)入れてもらった恩義や義理とかを感じて、
言いたい事が言えないと言うか、状況が分からなくなっているのではないだろうか?

 政治の世界に長くいる人は「井の中の蛙」になっていると思う。
しかし、現在はSNSもあり、「世の中の蛙」は透明なガラスの中にいて全て見られている。
政治家は勿論、公務員も日本のインフラを作っているのだから衿を正して欲しい。
このままではA.Iガール*に替えられてしまうだろう。
(*A.Iガールは欲は無く嘘はつかず、誠実に公僕につくすのみ)。


オリ・パラ問題を考えて見た。

オリパラ組織委員会の会長、森氏が辞任しました。
 森氏が最初に記者会見を開いた時思ったのは、
人は人に説得されて変われるものでは無いということ。
変わるには、相手の言う事がしっかり理解できる能力がある事。
その時の状況を客観的に把握できている事。
最後に自分のプライドを捨てられるかということ。
特に、この三番目のプライドを捨てる事が中々出来ない。(高橋源一郎さん)
と言う事だった。
 しかもこれでオリパラ招致に関わった招致の顔だった四人がいなくなった。
2013年当時東京都知事だった猪瀬直樹氏、日本オリンピック委員会会長だった竹田恒和氏、
前首相だった安倍晋三氏いずれも金に関わる不祥事で身を引く形になっている。
(竹田氏も安倍氏もその説明責任は果たされていない)

 招致当時首相だった安倍氏は「二度目なのでなるべく金をかけないようにやる。
元々あった施設を利用してコンパクトにやる」今回は「福島復興五輪」だ!と宣誓していた。
なのに、結局福島は忘れられ、オリンピックは金のかかるものなってしまった。
 五輪とは(元々と言うか途中から)こんな風にお金を儲けるための式典になっていたのだ。
利権が絡まなければやる必要がない、という人もいる。
 竹田氏の辞任、安倍氏の辞任を曖昧なまませず、しっかり説明責任を果たさせなければいけなかったのだ。
ところが「死体に鞭打つ必要は無い、もう辞めた人だ可哀想だ」と言って曖昧にしてきた。
このシッポ切り文化が無くならない限りこの風潮は続く。

 誤解を恐れずに言えば、オリンピックは今年無い方が良い。
日本の大事な金を利権社(者)に使うよりは、
今使うべきは「福島復興五輪」の福島と、いまコロナで困っている人々にだ。
 日本学術会議の人事に政治が関わっていた事が分かって開き直った政府だが、
こんどはオリパラの人事にも口を出したらしい。
こっちは日本国内の曖昧な日本のけじめと違ってと違って、世界が問題になってくる。
つくづく日本の政治や社会の組織に自浄能力が無い事が分かった。

私は、いま日本に必要なのは、世論だけなのだなあと思った。
そこで、日本の世論を集めて立候補する本音トークA.Iガールを
誕生させようと思いました。勿論「平和のOS(方程式)」の中でです。


感染症法の改正に反対

感染症法の改正のニュースが流れた。

 感染症法の改正を主張する知事や政府が自分達の政策の失敗を棚にあげ、
説得力が無くなったのを権力で押さえ込もうとしているように思う。
 過去感染法が出来る前は(結核やハンセン病)の人を犠牲にしてきたが、
その反省から感染法を作り、住民の理解と協力を得て社会を防衛して来た。

 経済を止めるなと言いながらこうなってしまった政策の失敗
(GoToのスタート・ストップのタイミングその他、曖昧な、緊張感の無い
お願いの数々)を先ず認めて反省しお詫びしなくてはならない。

 それに一般人の罰則を求める事を歓迎するムードも気になる。
元々日本人には自己責任論者が多い事には気付いていたが、
(年金受給者の)自分は行かないとか、(若くて体力がある人の)俺には関係ない
という前に、本気でその人達の気持ちになって考えれば分かると思う。
 私には政府を責める具体的な事は幾らでもでてきますが、
飲食店含む商売をする人達に「自粛」しなければならない理由はみつけられない。

 尚私にはどうしても、国会で118回も嘘を言っても罰則もない政府の人達が作った法律で、
一般人の自己防衛の嘘に罰を付けるのには納得がいかないのです。
 先ずは政府が国民に信頼されて(その為には反省と内部の改革が必要)、
コロナが落ち着いてからもう一度審議するのが良いのではないだろうかと思っています。


今年もよろしくです。

今年は昨年末家族に不幸があったため
形式上の新年の挨拶は控えさせて頂きます。

年末から、ブログで何らかの(年末か年頭の)
挨拶をしようと思っていたのに、既に3日も経ってしまっていました。
昨年はただでさえコロナ禍でやりたい事も出来ないでストレスの溜った1年でした。

昨年末の開催を予定していた個展も今年の5月に伸ばしました。
今やっているのは、お台場のW/Wアート展だけ。
しかし今月18日から始まる北青山のオリエギャラリーの展示。
それに渋谷の丸井での1/28日からのアートマーケットの展示会です。
が、
そうこうしている間に都は国に対して緊急事態宣言を出すように
提言したと言うニュースが流れました。
政府が命も経済もどっちも大切だと言うのは勿論分かるが、
「経済はお金で解決できるが命はお金で解決できない」といいます。
こうなっては緊急事態宣言は仕様がないにしても、
こんなに急に拡大したのがGoToトラベルにあった事は確かな事です。
政府はその責任をしっかり取って欲しい。
「GoToトラベルに因って感染者が拡大した証拠はない」と本当にそう思っているとしたら?
そんな無知な政治家に国の事を任せられないと思う。
もし其の信念があるなら何故世界はロックダウンとか都内でも動くなと言うのだ。

菅首相も二階氏も芸能人と会食している場合じゃない。
一刻も早く現場に行って病院や職を失って困っている人の話を直接聞いて欲しい。
ああ、腹が立つ。(笑)
年明けからの毒吐気でした。今年もよろしくお願いします。


近況まとめ

9月から(血圧を下げる為に)始めた散歩(時々ウオーキング)も順調になじんできました。
やりだしてみれば不思議なもんで、いろいろ良い効果も生まれる。
特に気付いたのは散歩が血液の循環を良くして身体に良いのは分かっていたが、
頭の血液もしっかり巡ってくれるようで、良いアイデアも生まれる(気がする)。

特に最近は「平和のOS(方程式)」のアイデアに凝っている。
最初に考えたのは「世の中を平和にするには武器を作れなくするOS」だったが、
今皆はどんな事を考えているんだろう?
勿論大前提が「戦争のない平和な世界」の実現なので、
核をもって自国を守るとか、それに近い武器を持つ等と言う事はありえない。
と私は思っていますが、
今は誰が何を考えているのか分からなくなってきている。

自分が昔考えていた事も根本から変わってきているものもある。
男は男らしくとか、日本一のお金持ちを目指すとか、正義は絶対だとか、
書き出したらきりがない。ここは1ついろんな方々の案を
七夕の短冊のようにシンプルに願い事及び考えを書いてもらって
集めてOSにした方がいいのではないかと思ったりする。

取りあえず今はコロナの解決方法のアイデアが必要だ。

追伸
12月に予定していた「イデオン40周年記念個展」はいろんな要因で
来年の3月に仕切り直しをしました。
12月は19日から2021年1月17日まで
wonderful-worldⅡ展が昨年と同じホテルグランドニッコーで開かれますが、
それに私も妻も参加します。


アートライン柏展終了。

10月8日から11月8日まで続いていましたアートラインかしわ020。
光が丘のカフェ・ラ・ビアンヴニュで展示していただいておりました
私の展示は機関は終わりましたが未だ展示してあります。

ここ10年位、健康には全く気を使わず過ごしてきましたが、
2月の目眩以来(血圧高めに因ると思われる)気になっていた
生活習慣病を何とか改善したいと思って、
9月から始めた朝の散歩もしっかり身に付いたようです。

しかも楽しみが1つ増えた気がします。
と言うのは歩いているといろんな事に気が付くのです。
勿論仕事のアイデアも、イラストの構図等も、机の上から持ち出しているような物ですが。
何も考える物がないよりは1つのテーマを持ちながら歩いた方が、
私の場合はいいようです。

気になっている事に頭が回って行くような気がします。
最近気になるのはやはり政治的な事です。
基本批判的な事が多いのですが、政治家の発言に腹を立てていても仕様がないので、
その対策は「平和のOS(方程式)」の中のアイデアで解決して行こうと思っています。

私としては、アメリカの大統領選挙が、
バイデンさんが次期大統領に成りそうなので、少し安心しました。
もう自分が、仲間が、我が国が良ければいいと言っている時代ではなくなってきたと、
思っています。
アメリカには世界の模範になれなくても、
せめて世界で良いようにまとまって行く流れを壊さないで欲しいと思います。


参考までに私の経験を語ります。

最近コロナ禍の所為か自死が増えているようですが、
ひょっとしたら自分も20代の頃死んでいたかもしれないからです。

その時は急に本当に急に「自分は狂うんではないか」?と思い、
「だったら人に迷惑かける前に電車に飛び込まなきゃ」と言う強迫観念が襲ってきたからでした。
当時は親から散々「世間に迷惑をかけるな」と教育されていましたからね。
その時ちょうど電話がかかってきてその電話で救われました。
その相手に情況を話して、来てもらいました。

 次の日すぐ病院に行ったのですが、「あなたには何も問題がありません」と言われました。
これは自分で直すしかないなと思い薬も捨てました。
同時に酒もたちました、何となく酒に溺れるかも?と言う不安があったからです。

 病院には二度程行ってやめました、その代わりその類いの本は100冊程読みました。
これは私の独断でしたがどっちが良かったかはわかりません。

 皆さんにはそういう事があったら、「これがあれか?!」と思い出してもらい、
冷静に(冷静ではいられないと思いますが)
取りあえず、なるべく何も考えずに(これは難しいので気にせず)顔を洗う、トイレに行く、
風呂に入る等なんでもいいが、何か具体的な行動をとって一撃が通り過ぎるのを待ちます。
そうやっていける時に病院に行って下さい。

 じっくり考えて死を選ぶ人を私は救えませんが、急に来る死へのいざないは、
一度なんとか踏ん張れば何とかなります。
(多分パニック障害か、鬱病か不安神経症なんかだろうと思いますが40年以上前は、
鬱病も一般的ではなかったので分からなかった)
最近多いので一人でも救えたらと思い書きました。

※スケッチは毎日描いている1枚です。
私の話とは関係ありません?


最近の日常思う事

 なるべく人と会う時は楽しい話をしようと心がけているが、
70歳前のこの年代になると、同年代の友達と会うと病気の話ばかり。
10年以上も前からゴルフに行くと皆病気の話ばかりしていると思っていたのだが、
(当時自分はかなり年下だったから)今となるとよくわかる。
特にこの年まで健康だった俺は病気の知識も少なく知らない事が多い。
それぞれ自分の不安を払拭するために話がしたいのだ。

 今年二月に初めて目眩がしたときは死ぬかと思った。
それがどうも血圧の高さらしい事に気付いたので、
それからは食事の時少しだけ塩分を気にしている。
更に今月は天気のいい朝は、8000歩を目指して散歩する事にした。
すると10〜20位血圧が下がる。出来ればこの元気のまま死にたい。
かといって、やりたい事はまだまだたくさんある。

 来月は「アートライン柏」に参加しているので、光が丘のカフェ・ラ・ビアンヴニュで、
「平和のOS(方程式)」「AIガール」の個展をやるし、
12月は伝説巨神イデオン40周年の個展を谷中でやる。
その他年末から来年に掛けても・・・
きりがなくまだまだ死ねない。

 体力はあるのだが、気力は少しづつ落ちてくる。毎日が通り過ぎるのが早過ぎるのだ。
やる事はいっぱいあるのだが、締め切りが目の前に無いから、何も成果を出さないままに一日が終わる事が多い。
会社に行っていた時は、その日のやるべき事が終わらなければ帰らなかったので自然成果は出していた。

 現在の朝は何時に起きてもかまわないので、早ければ5時に起きるし、眠ければ二度寝する。
それから散歩しながら、今日の予定や忘れていた事をメモする。メモは思い付いた時メモしないと後では思い出せない。
歩き出しが早いときはマックで珈琲(ここしかやっていないから)、出発時間が遅くて余裕がある時は喫茶店で珈琲を飲んで帰る。

 それから夏は風呂に入り本を読む、風呂では大抵「文芸春秋」だ。この本は水につかって汚れても読み終えたらすぐに捨てられるし、考えさせるテーマが多いからだ。今月だと芥川賞が読める。
風呂から上がってやる事は、ラジオを聞きながら、珈琲を煎れて、午前中のノルマ。
今年は日記、英会話、似顔絵、ニュースチェック、そして仕事で使うデータを出力してアトリエに車で向う。
するともう昼近くになる。実際に絵を描き出すのは午後からだ。
こんな日があまりにも早く通り過ぎる気がする。
添付は意味なく今日のスケッチ
(この目覚ましスケッチはもう何年も続けています)。


自民党の総裁選で思った事。

今月の初め、自民党の総裁選があって、新しい総裁が菅さんに決まった。
その選挙を見ていて安倍さんは菅さんに自分の身を守る事を条件に首相の座を譲ったんだと思ったのは私だけだろうか。

首相に就任した菅さんはすぐに「国民の為に働く政府」をモットーに掲げた。
しかしこんなことわざわざ言い出す背景には、やはり少し後ろめたい事があったのだろうと思ってしまう。
もし菅内閣が安倍さんのやってきた不祥事(森友、加計、桜、河井、IR・・・etc)を全部隠してしまったら、
政府は又信用出来ないことになってしまう。

私がこの件にこだわるのは、公文書を隠したり、捨てたり、改ざんしたりする事が、大した事でなくなってしまったら、この国はどうなってしまうのだろう?と言う事だ。
政府が信用できなければ、国際摩擦の起きている件でも、韓国や中国の言っていた事の方が正しかったのではないか?なんて不安も出てくる。
それでも国民はしばらくすると「そんな亊よりコロナだろう」と言って忘れてしまうかも。

ここは一度石破さんに首相になってもらい、「泣いて馬謖を斬る」ではないが、今までのうにを全て出し切って欲しかった。
そうすればその次に菅さんが首相になったら国民も安心して応援出来たのに。
長く首相を務めた安倍さんだったが潔い人なら、それに周りにそれを諭す人がいたら、とっくに辞めていなければならない人だった。


安倍首相の辞任に思う。

・安倍首相が28日辞任を発表した。
私には支持政党はないから、その時々でいろんな人に投票してきた。
しかしこの7年間の選挙には、自民党以外を選んできた。
安倍首相は7年もやったのだから「えらい」
と評価する人もいるが、私には何の恩恵も無かった。
見えたのは自民党を支持する経済界や、利権がらみの
制作に寄って支持基盤を強くしていく様だった。
そのやり方は徐々に激しくなって行った。
特にそれがはっきりしたのが、森友から始まる日本の歴史を書き換えたり隠したり、
無くしたりしても自分の出世しか考えられなくなった省庁の事件だ。
私にとって日本の誇りだった公務員が地に落ちて信用を失ってしまったのはつくづく残念に思う。
安倍さん個人がいい人かどうかは分からないが、
多分いい人なんだろう。そうでなければ周りの人は忖度しない。
ちなみに芸能界でも一度でも安倍さんとあった人は安倍さんの悪口は言わなくなる。
あの爆笑問題の太田氏だって直にあって挨拶してからはほぼ悪口は言っていない。
自分にとって利益のある人にNOと言うのにはよっぽどの意思が必要だ。
そこで「平和のOS(方程式)」のA.Iガールが必要となる。


東関東人図鑑 第32回(再放送)

先週、お向かいさんから「TV観ましたよ」と話しかけられた。
この地域は足立区に比べて近所との交流が少ないので、
私が何をやっている人かを知らない人ばかりだ。
(普通はそうなのだろうが足立区は違った(笑))

私が毎日ぶらぶらとお昼頃からどっかへ出かけているのを
近所の人には不思議がられていた事だろう(笑)
なのでこれを観た人は何となく分かって頂けたのではないでしょうか?

そのTVと言うのがこれ。(放映後ネットに上がったもの)
東関東人図鑑 第32回樋口 雄一さん(曼荼羅WEB・ロボットクリエイター)
https://jinzukan.myjcom.jp/higashikanto/post/343

「再放送する時は連絡させて頂きます」と
3月頃に連絡はあったもののその後連絡は無かった。
友達からの「見たよ!」と言う電話とお向かいさんからの、
会話で知った次第である。


誕生日プレゼント買ってもらいました。

私は先日69歳の誕生日(多分)を迎えました。(笑)

母は49歳はともかく、父は72歳で亡くなっていますので、
私もそろそろ先を考えて生きていこうと考えています。

いえ、いえ、終活とかエンディングノートとか
そういうのではなく、逆に社会に恩返しと言うか、
生きてきた事に意味があったように、
今までの仕事とかをまとめて形にして残したいと思っています。

妻が誕生日プレゼントを買ってくれると言うので、
柏の「アトレ」に行って、帽子と靴を買ってもらいました。
(ちなみに私の今までの衣装はオール妻セレクトです)

その帰りに本屋のコーナーを通り抜けたときです、
妻が本棚を眺めて突然言いました。
「プレィボーイの後ろにヘアーカタログってのが置いてあると、
プレィボーイを動かすと男性の下半身が並んでいるみたいだね」(笑)

思わず写真を撮ってしまいました。
その写真がこれ、妻の言葉には時々ドキッとさせられます。


本日誕生日を迎えました。

思えば年をとったものだなあとつくづく思う。
昭和26年7月13日の誕生だから・・・
まあいいや正確な年は。

先日近所のお宅でご老人が庭の木の枝下しをしようと
苦労されていたので代わりに木に登って枝卸しを手伝った時は、
以外と身体が思うようには動いた。
多分今年になってから毎朝ストレッチをしているのが、
良かったのだろう。
これからも毎日のストレッチや運動は続けよう。

その上で、これからの人生少しは先の事も考えて、
世の中に少しだけは恩返ししていこうと思う。
我々の年代なら多分小学生時代「一日一善」なる言葉は
身にしみていて、隙あればいい事をしようと思い、
そうした事が(例えば電車で席を代わってあげた位で)一日を
気持ちよく過ごせた。

今年の春。妻に
「いくつになった?」と聞くと「ひ・み・つ」と言う、
もう年は気にしないのかと思っていた。
しかし、先日近所の喫茶店に一人で行ったとき、
「先日奥さんに「お年いくつですか?」と聞いたら、
トシってなんですか?」と返されたと言う。
相手によって使い分けているようだ。

あまり年の事は気にしたくもないが、
父も、妻の父も70歳でガンを発症し72で亡くなっている。少しは気になってくる。
20代から30代の頃は死についてやたら怖くて
60まで生きれればいいやと思っていたのに、
もう70近くになってもまだまだやりたい事は治まりそうも無い。

制作の方は、「平和のOS(方程式)」を何とか世に出して行きたい。


生存確認(笑)

皆さんいかがお過ごしですか?
私はこの6月まであったイベントが全て延期、及び中止になって、
気力を落としていました。

そんな先週、突然電話がかかってきました。
「あ、樋口さん、オレ」
「え?どなたですか?」
「オレだよ、オレ、オレ。スギちゃんだよ」
おれおれ詐欺かと思った。

「あのう?どちらのスギちゃんですか?」
「なに言ってんだよ・・・」
ここで相手も冷静になって、2〜3年前はスペース1033(いまアトリエのある場所)で、
よく会って一緒に遊んでいた人だと言う事が分かった。
実は、昨年放送された「東日本人図鑑」が再放送されていたらしい。
(ナイツの塙さんが司会するその番組に私は出ていたのです(笑))

そのTVをスギちゃんは奥さんと観ていて「あ、俺この人知っているよ」
と奥さんに言ったら「そんなわけない」と言われて電話してきたらしい。
このコロナ禍であまり人と会話していなかったので、
電話してくれたのは嬉しかった。

その電話が終った後、暫く会っていない人が大勢いる事に気付いた。
最近は年賀状もご無沙汰している人もいる。
何となく毎日がいい加減に過ぎていってしまうのだ。
自分の気持ちのなかでも、大した大きさではないが、
もういいか、あとはひっそりと身を引いて生きようか、等と思ってしまう事もある。

しかしそんな亊は一瞬ですぐに打ち消して、俺は未だ大した事はしていない、
これからだ!と思う事にしている。
今年は、これから「漫画家のアート展」にも「アートライン柏」にも参加するし、
ハックルベリーの「第二回フクロウ展」にも、参加する。
更に年末の「樋口 雄一イデオン40周年記念個展」には力を入れて準備を進めている。
そして一番大事な「平和のOS(方程式)」を世に出すまでは、幕引きは終わらないと思っている。

しばらく会っていない人が気になったのと、私は
まだまだ元気でいますよ、と言うお知らせでした。


みんな頑張っている。

先日、駐車場迄歩いている途中
(※私の車の駐車場は家から1キロ近くあるんです)(笑)
その途中、二三年前に出来た新築の家が並ぶ住宅の前を通った時、
家からでてきたご主人が、いきなりタバコを吸われました。
次にスマホをお尻のポケットから取り出すと、
黙々と何かを打ち出し始められました。
メールでもしていらっしゃるのでしょうか?。
外でタバコ、その間に業務連絡?エラいなあ、
と思っていたのですが、彼はそのままスクワッドを始めました。
よっぽど身体動かしたかったんでしょうね。
みんな頑張っているなーと思いました。


昨日も一人ランチ。

元々家とアトリエの往復しかしていないので、
自粛生活を要請されたとて、
私の場合普段とあまり変わらないのですが、
誰かと会う事が出来なくなったのは辛い。

元々おしゃべりの私なので、
たまにテレカン(テレビ電話?)で
打ち合わせをしたりするのは楽しい。

電話だけでもいいのだけれど。
見えると少し安心します。

昨日も好い天気でしたので、森で一人ランチしました。
アルコールゼロのビールを飲んで気分を盛り上げようとしましたが、
一人で飲むアルコールゼロのビールは虚しい(笑)
席はいっぱい空いているので誰か遊びに来ないかなあ。


アマビエで「コロナ退散」祈願

知り合いの画家から、こんなときだから「皆でアマビエ描かない?」と
お誘いがかかりました。
最初は「アマエビ?」と思ったのですが調べて分かりました。
コロナ退治のお祓いのような、魔除けのようなものだそうです。

漫画家やイラストレーターの方がメインですが、
誘われたので、描きました。
私の尊敬するちばてつやさんもいらっしゃるしね。

勿論私のは「アマビエロボ」です。


こんな時だから、敢えてピクニック気分で。

コロナウイルスの影響で、
知り合いの店がどんどん消えて行く。

自分の参加予定のイベントも、
ほとんど自粛で、延期か消滅。

こんな時だから、
少しでも気分を盛り上げようと、
スーパーで総菜を買って
アトリエのあるスペース1033のベンチでお昼を食べました。

テーブルは未だいっぱいあります。
暇な方は弁当を持ってお出かけください。
一緒にランチしましょう(笑)


私が街で出合った子供に玩具を配る理由

 私は50年以上玩具作りに関わってきました。
なので、いつも回りには流行の玩具がありました。
それを親戚の子供や近所の子どもたちにあげていました。
ところがいつの間にか、子供達はみんな大きくなり、
玩具を欲しがる子供がいなくなり、寂しく思っていました(笑)

ところが、状況が変わったのは、
15年くらい前?、やなせたかしさんのイベントに
スタッフとして参加してからです。
スタッフになると、参加者に配る為に用意したバッジが余分にもらえたから、
それを帰りの電車やあちこちで配っていました。
(やなせさんの話や行動に感化された事もあります)

その後会社を退職しても、クライアントの皆さんとは仲よくしていただいていて、
ここ十年程は元クライアントの人々を集めるイベント(主に忘年会的な事)を
やるときに「サンプルがありましたら持ってきて頂きたいのですが・・・」と
お願いして集めております。

そしてそれを、子ども食堂の子供や(勿論親御さんに断ってからあげるのですが)
知らない子供に配るのは、子供が喜ぶ顔が見たいのが一番!!
ですが、もう1つは町に良いイメージを持ち、
世の中の偶然(未来)は楽しい、と思ってもらえれば
いいなと思っているからでもあります。

おもちゃには子供を喜ばせる力があります。
その楽しい力を世の中に広める事が、
長くおもちゃでお世話になった私の恩返しだと思っています。


私のウイッキペディアの内容が変わった。

前から気になっていたのですが、
ウイッキペディアの存在。
誰がどういう基準で書くのか?又は書かれるのか?
以前(かなり前ですが)「樋口さんウイッキに載ってますよ」と言われ
見た事があったのですが、所々違うところもあって、
ある人に聞いたら
「それは気にしたらダメです。
書いた人はそれが正しいと思って書いているので、
何度描き直してもまた直されます」と。
ところが、最近内容が全部変わったのです。
果たして合っているかどうか分かりませんが、
好意的に書いてある事に文句は言いません(笑)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%8B%E5%8F%A3%E9%9B%84%E4%B8%80_(%E3%83%87%E3%82%B6%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%83%BC)


車のダイブ!?

朝ゴミを捨てに家を出たところ、
ああ、ビックリした。
駐車場で車がダイブしていたのだ。

既に救急車が来ていたので、
邪魔にならないように隊員の方に聞いてみた。
「運転なさっていた方は大丈夫だったんですか?」
「ええ、問題ありません」でした。

これ以上は個人情報になるので、
すぐに現場からはなれたのですが、
あとから聞いた話では、お年寄りではなかったとの事でした。

誰でもギアの入れ間違いはあるんだから、
人一倍おっちょこちょいの我が家は特に気をつけようと
誓い合ったのでした。


ほぼはじめての目眩(めまい)

先週の日曜日、朝起きたら目眩がして、
死ぬかと思いました。
私は怪我とか、熱とか痛さには比較的強いのですが、
内面的な事(精神的)には凄く弱いのです。

すぐに妻を起こし
「脳梗塞か、脳卒中か分からないけど死にそうだ、
すぐに病院に連れて行ってくれ」と叫びました。
「目が回って死にそうだ。詳しい事はメモしておくから」
と伝えながらベッドに横になりました。

すると妻はパソコンに向っていろいろ調べてくれて
「先ず、電気は消して部屋は暗く安静にして、それからよく聞いて・・・」
と言って説明してくれました。

「目眩は身体と脳のバランスが崩れた状態で、
脳梗塞でそんなにおしゃべりできる人はいないし、
メモをとれる人もいない」と、それで安心しました(笑)

そのあと病院に連れて行って薬をもらいました。
ちょっと血圧が高かったようです。
甘いものは大好きな事は意識していましたが(摂生はしていません)
「塩分の取り過ぎと運動不足に気をつけて」と言う事で事無きを得て
帰ってきました。あ〜怖かった。


銀ぶらしていて思った事。

昨日久し振りに銀座に出た。伊東屋に寄ったついでに銀座の中央通りを歩いていたら、
20m先で獲物を探している風の二人の男性に目でロックオンされた。
10代の頃だとこれは「ガンを付けられた」となるのだが60代になるとそんな闘志は無い (笑)
そのまま真っすぐ近づいてくると一人が「TVア◯ヒのインタビューですが」と言う。
そして、
「突然ですが、奥さんに不満と言うか直して欲しい事とか、
言いたい事はありませんか?」と聞かれた。
頭の中では面白そうだから喋っちゃおうかなとか、
あとで怒られるのもいやだなとか一瞬でいろんな事が頭の中を駆け巡った。

掃除が嫌いな事だとか、忘れ物が多い事とか、
実際今ここにいる理由は妻の忘れ物を届けにわざわざ柏から来ていたのだからとか(笑)。
つい先日も近所の喫茶店から「お財布忘れたので来て」と呼び出されたばかりなのだ、
とか思い出せばいくらでも人に話したら面白い事はいっぱいある。
(しかしその時は届けた俺も財布忘れていて、
すぐに自転車で家迄取りに戻ったので何も言えなかったのだ)(笑)。

夫婦の恥を世間にさらすのもなんだし、
「いやあ、別に妻に言う事はなにもありません」と応えた。
「37年も一緒に生活していて喧嘩とかありませんでした」?と聞かれたが、
「ありませんでしたねえ」と応えたが、
心の中では(おちょこちょいも含めて何を起こすか分からないのが妻で、
それがあるから面白いんじゃないか)と思っていました。(笑)


今年の計画序盤。

昨日の夜1/20妻が無事台湾から帰って来ました。
(1/16日から行っていましたので4日間の展示会でした)。

1/19日は昨年からギャラリー21で開催されていた
ワンダフルワールド展が終わりました。

1/17日からは谷中のハウハウスで
「ゆけ!俺のロボット」展が始まりました。

こうして見ると1/17日から1/19日迄三日間同時に展示会に参加していた事になります。
自分でもビックリです。

今年は「平和のOS(方程式)」をメインにプラス、
イデオン40周年に向けて夏迄に20点くらいは描きたいと思っています。
先ずは4月の柊展(柏・パレット)から準備に入ります。


2020 新年のご挨拶。

昨年は皆様には大変お世話になりました。
特に展示会に足を運んでいただいた方、
本当にありがとうございました。
今年もよろしくお願いします。

尚、義母が5月に他界した事もあり
新年の挨拶は控えさせていただいておりますが、
頂いた賀状に関しては改めて寒中見舞いを出させていただきます。

昨年度は展示会が例年になく多くあった事で、
一年通してアタフタとしてしまいました。
今年はもう少し計画的に、昨年以上の活動は仕掛けて行きたいと思います。

現在も昨年12/20から1/19日迄台場の
ニッコーホテル3Fのギャラリー21で、
Wonderful World 展が開かれています。

今月17日からの台湾での展示会にも参加します。
あと今年の計画としては、
4月の柊展、10月アートライン柏展、11月ゆけ!俺のロボット展、
12月キャラクターアート展への参加は決っていますが、
その他イ◯オン40周年記念展をやろうと企んでいます(笑)

どうぞ今年もよろしくお願いします。


樋口不動産始動(笑)

足立区、竹ノ塚の家を借りてくれる方募集です。

以前私たちが10年前迄住んでいました
竹ノ塚の一軒家です。
柏に引っ越して来てその間、知人に借りていただいていましたが、
この度空く事になってしまいました。

この家は、私と妻が内装を手がけた、とっても愛着のある家です。
床は桐を貼って(桐は空気を多く含むので冬は暖かく夏はさらっとしています)、
壁は珪藻土を塗りました。(珪藻土は臭いや湿度をとったり防虫効果もあります)

住んでいた頃は私が毎週のようにイベントを
やっていた事もあって、いらした方も多いと思います。
その後借りてくれた方も結構頻繁にお友達を呼んでいたようで、
お友達を呼びやすい家だと思っています。

一家族、子供一人か二人いらっしゃる夫婦には
理想の家かと思います。
先ずは気になる方連絡ください。

詳しくは今後載せていきますが、
駅迄10分、車庫付き一階リビング・ダイニング
二階2部屋(現在3部屋ですが壁を抜くとすぐ二部屋になります)
私の携帯を知っている方は直接でも良いですが、
PC mail:mandala@kcf.biglobe.ne.jp
こちらに頂けるとありがたいです。
よろしくお願いします。


気まぐれに、ブログを書いてみました。

突然ですが、こんな取材を受けていました。
2019年の7月14日号?(あ俺が68になった翌日だ)(笑)
https://akiba-souken.com/article/40690/
アキバ総研というアニメに特化したネットニュースを発信する所ですね。
ここで書けていなかった事を書いてみました。

私は漫画も読まなくなったし、映画館にも行かなくなりました。
とは言っても最近の事ではありません。
多分30〜40年前からその傾向はありました。(笑)
多分仕事が落ち着いた時期で、(とは言っても忙しかった事は変わりません)
漫画家を諦めたと言うか「漫画家よりもイラストレーターがいいや」
と割り切ったのでしょうね。

18歳で上京した年から毎年何かひとつ新しいものに
チャレンジしようと決めて、それは今でも続けています。
その選択肢に映画を見ると言うのがなかったと言う事です。
趣味がいっぱい出て来て、映画館に行くより
ゴルフをやったり本を読む事が好きになりました。
テレビもなくてかまいませんが、ラジオは必須です。
テレビをつけた時にやっているスポーツの試合とニュースはほぼ毎日見ます。

インターネットはメールはよく使うしFACEBOOKもTwitterも加入してはいますが、
Twitterはひと月に一回見るか見ないかで、意味がありません(笑)
FACEBOOKは時々見ますが、主に告知がある時ですね。
インターネットのニュースはよく見ます。
その中でこの記事を見つけました(笑)


J:COMに出演決定(笑)

先日アートライン柏のインタビューを受けた話をしたばかりなのに、
今度はジェイコムのテレビに出演する。(笑)

内容はナイツの塙さんがやっている「東関東人図鑑」と言う、
地域で活躍をしている人を紹介すると言う番組。
ゲストとしてインタビューを受けたが、
しかし今になって疑問が・・・

果たして俺は柏で活躍しているか? いやしていない。
何を喋ったのだろう? 昔の想い出話をしただけでないか。
等々
塙さんには「樋口さんは一回では終わらないな」と言われ、
「う・そ会」の事等外されたのに、
聞かれるままに昔話をしていたら時間が来てしまった(笑)
お陰で、今俺が何をしているか、これから何をやろうとしている人間なのかが
全く話せなかった気がする。なんか反省する事が多かった録画だった。
放映は11月11日。
見れた人には優しい感想を頂きたいものだ(笑)


AIガールの判定

日韓関係の最近のニュースを見ていると、
TV局によっても違いますが、コメンテーターは
ほぼほぼ韓国が悪いと言う論調になっています。
(ラジオのコメンテーターはほぼほぼ中立のようです)(笑)

私の考えるのは、こんなとき皆一度AIガールの裁判官になったつもりで、
物事を考えて欲しいと言う事です。
私の考える「平和のOS(方程式)」のAIガールの裁判官が判断すると
感情を持たないので割と正解に近づくと言う事です。

「日本人だから」とか考えたらその時点で判断が偏ってしまいます。
目指すのは、最良の結果を得る為にはどうしたらいいか?
相手の意見を無理に論破して変えるのではなくて、
先ずは相手の言い分を良く聞いてそこで、だったらどうする。
と最善の案を考えるのです。

このAIガールには大前提があります。
先ず絶対に戦争とそれに近づく判断はしない。
絶対に国民に迷惑をかけたり、
不安にしたり不利になる結論は出さないと言う事です。

こんなAIガールを作ったきっかけは、
もともと自分が短気だったのと、
相手の事を考えられなかった性格だったからなのです。

自分が絶対正しいと言い切る人にはほとんどの人に既に問題があります。
DVをやる人やストーカー或はネットに脅迫めいた事を書き込む人は
自分を神のように思っている人が多いのです。
先ずは冷静に自分の事を見つめ直し相手の為に何ができるかから
考えてくれるのが私の考えるAIガール裁判官です。


ネットニュースアキバ総研にUPされました。

今月は私の誕生月です。
68歳になったからと言って67歳から急に変わるわけはありません。
本来なら梅雨も開けてもっと暖かくて気分のいい季節なのですが、
今年は未だ梅雨が続いています。皆さんの体調はいかがですか?

そんな中先月受けたインタビュー記事がネットニュースにUPされました。
https://akiba-souken.com/article/40690/?page=2

歳のせいなのか?少しづつ自分のことから世間の事、
とは言っても近隣の事ではなくて、急に世界の事が気になります。
要は世界のニュースです。(笑)

毎日Newsを観ては世の中を不安や危険な目に会わせているのは、
政治家ではないか?と思ってしまいます。
失言やフェイクや忖度などを繰り返す政治家は、
殆どが自己保身の為、更に言えば自己欲の為にしか動いていないように見えます。

だったら、私の作る出来のいいAIガール※に託す方がいいと思います(笑)
(※「平和のOS(方程式)」の中のロボット)
AIガールは、自己欲が無いため設定した目的の為にだけ働きます。

「平和のOS(方程式)」を扱ってくれるトークショーやインタビューには、
いつでも応じますので、ご連絡ください。(笑)


猫の世話に追われて・・・(笑)

先日義母の四十九日の法要で都内にあるお寺さんに行って来た。

母が5/1日に亡くなって我が家の生活は大分変わってしまった。
ほぼ毎日食事を作ってくれていたので、
家に帰ればいつでもご飯が食べられた環境だった。
その他助かっていたこまごまとした事はいっぱいあるのだが、
逆に困った事が1つ出て来た。

一番困った事は残された猫の事だ。
私は普段地元にいる事が多いので(家とアトリエの往復)
家族が留守の時は餌をあげなければならないのだ。
そして残念な事に私は犬猫は全く興味がない(笑)

更に問題なのはこの猫の餌を3時間おきにあげなければならないので、
9時12時3時6時が自分の役割になる。

どうして母はこんなクセ?をつけたのだろう。
多く与えれば吐くし、少なければ夜中でも、鳴いてないて家人を困らせている。(笑)
なのでアトリエに行っても12時、3時には一度帰って来なけれなならない。
しょうがないお母さんの生形見なのだから、
今年は未だこれから秋冬の展示会に向けて絵を描かなければならないが、
精一杯面倒を見よう。


東京おもちゃショー開催

今日から有明の国際展示場において
東京おもちゃショーが開催されます。

今年は絵を描いてばっかりで、
おもちゃはほとんどやっていませんが、
行ってきます。


ラフ絵展に行ってきました。

5月に行う自分の展示会「平和のOS(方程式)展」
の説明と確認の為、久し振りにサンライズさんに行ってきました。
イデオンの使用許可をいただく為です。
そこで、大河原さんら四人の「ラフ無限絵展」の展覧会の
招待券を頂いたので行ってきました。その内容を知りたい型は
http://www.tokyoartbeat.com/event/2019/2E4A
をご覧ください。4/16日迄やっています。

いやあ楽しかった。
それにすばらしかった。
初日登壇したのは、
秋本治さん大河原さん高田明美さん天野さんの四人。

この四人からそれぞれ話が聞けたのもうれしかったし、
ラフ絵が観れたのもありがたかった。
おまけに(いやおまけではないが)会場にはガンダムの富野さんや安彦さん
ボトムスの高橋さんもいらっしゃって
お酒を飲みながら挨拶が出来たこともうれしかった。
更にアニメ研究家の氷川さんとも展示室で偶然会って挨拶出来たり、
漫画家の平松さんをサンライズの人に紹介も出来た。

なんか忘年会のようないい気分で多くの人に会えた
楽しいイベントでした。
元々私は滅多に写真を撮らないので無いのですが、
実際にこの場では写真を撮らないよう注意があったのです。
撮った人もいましたが注意しておきました(笑)
誰かは内緒(笑)


2019.03/23ちょっとゴルフの事

今年からゴルフのルールが大分変わりました。
今迄分かりにくかったと言うのもありますが、
それが良かったと言う事もあります。

大ざっぱに言うといいかげんになった感じがします。
今迄も素人のコンペや、
プライベートでやっていた事ですが(笑)
(あくまでも私の個人的な感想です)

例えば一番分かりやすいのがロストボールの処理。
プライベートでもルールは公式と一緒のはずですが、
大体が、「その辺でいいよ」としていたのが、
公式でもそうなったと言う事です。

今迄はアメリカが何でも強引に商業主義的にルールを変えてきて、
イギリスは反対してきたと言う流れがありましたが、
今回はどういう流れが会ったのでしょう?
気になるところであります。

いずれにしても、ルールは簡単になったのですが、
ゴルファーが増えるかと言うと限りません。
元々やらない人には関係ないですし、
せっかく休みの日に接待ゴルフなんかしたくないと言う人は多いでしょう。

一般の人が興味を持ってやりたくなる
仕組みが必要だと思います。
まずは来月になったらミニコースに行ってみようと思います。


イベント渡り?

忙しいときは重なるもんで、今日(2月24日)は
楽しみにしていた世田谷のイベント
「ゆめとぴあフェスタ2019」に参加する。
昨年の末に主催者の杉山さんから何回か誘われていたのだ。

そこから練馬に移動して、
江古田斎場で山本優さんのお別れ会に参加する。
山本さんは「銀河旋風ブライガー」等のJ9シリーズや、バトシーラーなどで
一緒に仕事をした事があるのだ。

ここ何週間、暫く家で絵を描くだけになっていた自分にとっては、
楽しい事とそうでもない事と、
1日にゆれ巾が変わる2つの行事に関わる。

柏から下北沢に行って更に江古田まで移動すると言うのは、
(江古田の斎場に飾るブライガーのイラストを持って)
かなり自分なりに奮起しないとどっちも断ってしまいそうになる。
そんな時は義理を果たす気分ではなくて
いろんな人に会える事を楽しみに行ってきます。


昨年はお世話になりました。

今年もどうぞよろしくお願いします。

今年の抱負はいっぱいあります。
まずは、毎月集まって続けて来た3組の企画会議では、それぞれ何らかの結果を出したい。

5月6月9月10月12月の展示会は毎年決まっていますが、特に六月の六本木の展示会は個展で気合いが入ります。
「平和のOS(方程式)」のAIロボがメインですが、過去に描いたロボットの新作も描いていきます。

「う・そ会」(そばとうどんの会)も今年は足立区で再開したいと思います。

ゴルフももう一度80台を常に出せるよう練習していきたい。
(昨年はコースに一度行ったキリでした)

まだまだやりたい事はいっぱいですが、一つ一つ、少しでも完成度を上げていきたいと思います。

年末(12/31)に親戚(新潟/本家)のおばあちゃん(98歳)が亡くなって、昨日までお通夜と告別式に出かけていました。
前日まで自分の足で歩いていましたし、食事も皆と同じ物を食べていたそうです。

自分もこう有りたいと思うおばあちゃんでした。

今年もどうぞよろしくお願いします。


18.11/25 山本優さんが亡くなった。

山本優さんはガンダムやど根性ガエルなど1970年代から
1980年代を中心に多くのアニメ作品に関わられた脚本家だった。
私も銀河旋風ブライガーで始めてあって、その後魔境伝説アクロバンチや
サスライガーでご一緒した事があるので、訃報を聞いたときはビックリした。

J9の次に会ったのはしばらく間が空いて2000年。
仰天人間バトシーラーで再び関わるとは思っていなかった。業界狭!!と思った。(笑)
(※仰天人間バトシーラーはサブマリンで企画をたて明治製菓にプレゼン)

更に、そこから一気に2010年頃に話が飛ぶ。
が、ここでも突然「会いたい、柏にいくのでどこか場所を探しておいて」と連絡がきた。
その時に切り出されたのが、J9シリーズの再燃の話だった。
三年前に関わったそのジンライガーが最後だった。(イラスト添付)

ジンライガーは志半ばだったが、しかしよーく考えてみると
減煙、減酒もおかまいなしの豪快な人だった(笑)
人生は充分楽しんだのではなかろうか?
山本優さん、冥福を祈ります。


子供食堂終了

新柏の駅前にある「おかちゃん食堂」
(月一回第二土曜日)だけ、「子ども食堂の日」を開催していました。
三年間続いたのですが、今月2018.10月で店じまいするそうです。

私はここで「子ども食堂の日」(月一回第二土曜日)だけ、
お手伝してきました。(毎回子供達と遊ぶだけでしたが(笑)。
最近では「次回もきてね」とか「樋口さん」とか名前で呼んでもらったりとか、
やっと親しくなれたと思ったのに残念です。

その「おかちゃん」が先週土用日、近所の「朋生園」
(18歳以上の方の社会復帰を目指す方々の福祉施設です)
でカレー屋さんを出店したので、お手伝に行ってきました。

年に一度のお祭り(秋の収穫祭的なもの)に来る人は、
子ども食堂とは違いましたが、家族が集まっていろんな
イベントを見たりやったりしているのを観るのは楽しかった。
お手伝い出来てよかった。また来年も来よう。


チマタの噺

先日竹の塚のシェアハウスの入居者がテレビ取材を受け、
その取材が放送されました。

火曜日まで無料視聴が可能ですので、
もしよろしければご覧になってください。

番組の最初、一組目の取材で使われています。

http://www.tv-tokyo.co.jp/chimata/

チマタの噺というテレビ東京の番組で、女性漫画家として取材を受けています。


10/12 久々にゴルフに行ってきた。

銀座「かわうそ画廊」で1週間やっていた「LOVE ME LITOLE」展も10/10日に終わって
昨日某クライアントのゴルフコンペに行ってきた。

前回のゴルフはいつだったか?
調べたら昨年のこのコンペだった。
コースに出たのがまるまる一年ぶりだったのだ。(笑)

其の所為で100はきれたものの結果(スコア)は散々なものだった。
しかし一番の楽しみは多くの人と一年ぶりに会えたこと。
なのでこれでいいのだ。

先日ある人を囲む会の幹事をしているので、
高橋さん(ボトムスの監督)に忘年会のお誘いメールを出したら、
「その日はゴルフコンペなので、残念ですが出られません。
昨年は私がそのコンペで優勝したので、ディフェングチャンピオンなのですよ」
と返って来たので、
「わー、それはすごい。私はここ一年間ゴルフを休んでいました」と言ったら、
「それは、いかんです。また一緒に来春やりましょう」と言ってくれた。

昨日のスコアを乱した原因は練習不足よりは、「欲」だった。(笑)
残り140Y、平らなフェアウェイとか、ワンオンで
「ここでバーディがとれれば
さっきのダブルボギーがボギー(計算)になる」。(心の声)
なんて事ばっかり考えるから、ボギーになってしまう。

体力も限界で、終わったらぐったり疲れ果てていた。
ゴルフバッグも忘れて帰って来てしまった(笑)
来年はもう少しゴルフに行く回数を多くしよう。

今月26日からは池袋の東急ハンズで「行け!!俺のロボット展」が始まる。
取り合えずはここに全力投球。


8月の二人展が終わって・・・やれやれ。

今年2018年の夏は忙しかった。
7月から制作に取りかかってほぼ二ヶ月。
8月の18日から始まった銀座「かわうそ画廊」の二人展に向けて
15点もの絵画を描いていたからだ。
間に合わないかもしれない?と焦り出した辺りで、
はがきを出したり、メールを出すべきだったのだが、
誘っておいて間に合わなかったらどうしよう?
とか思ってギリギリメドが立つ迄出さずにいた(笑)
もっとも途中で間に合わないことに気付き?
11点に絞ったのだけれどね。(笑)


夏休み。

皆さん、もうお盆なんですね〜(笑)
ずーっとアトリエにこもって絵を描いていると、
8/18日から始まる二人展の事ばかり考えていて、
世間の行事を忘れていました。

今回は妻との抱き合わせで何とか美人画に挑戦させて頂いています。
(なんせこの銀座「かわうそ画廊」は美人画専門?のギャラリーなのです)
今回は美人画10点を描いています。

皆さんもうお盆で帰省中でしょうが、
東京に戻って来て暇があったら是非遊びに来てください。


隅田川花火大会7/29

夏は四季の中で一番好きです。
なので、私はあまり「暑い」とは言いません(笑)

そんな中墨田区で花火大会があり、私も行ってきます。
本当は昨日だったのですが台風の所為で今日(7/29)に延期になりました。
お邪魔するのは隅田川沿いのマンション13階にあるお宅です。
もう10年位前からこの日はここに来て花火を観させていただいています。
とっくに主人(Tさん)は7年程前に無くなられたのですが、
奥さんが一人で観るのは寂しいと言う事で、
当時から親交のあった方がみんな集まることになっています。

妻は本来は台湾に言っているはずだったのですが、
台北行き直前に母の具合が悪くなって、ドタキャンしたので家にいます。
花火大会には一緒に行けるか?と思って予定を伝えていたら、
今朝になってまた母の具合が悪くなって病院に行くことになって
「花火大会には行けない」と言っていたのですが、
検査したら「このまま様子を見ましょう」と言う事になって、
また行ける事になりました。
(その度に相手宅にメールをしまくっています。
今はどうなっているか分かりませんなので連絡やめました(笑))

しかし月日が経つとだんだんと人が少なくなるので、
私は新しい友達をすこしづつ増やしています。(笑)
四年前からは花火を見にきたパキスタン人のK君が加わりました
その彼が昨年彼女を連れて来てくれて、
今年はその彼女と結婚して来てくれます。

その他妻と足立区の友達も誘って今日は賑やかな
花火大会になりそうです。(笑)


田舎の事もちょっとだけ。

先日池袋のプリンスホテルで、(2018.7/10)
「五泉市長を囲む会」みたいな食事会があって、行ってきました。
(私は新潟県五泉市生まれです。)

五泉市の活性化のアイデア及び協力をお願いしたいと言う事で、
今回12人が集まったのです。
「お願いしたい」と言う言葉ではいままで私は随分勘違いして、
相手を困らせたり、自分でも散々な目に遭いました(笑)

何でも本気を出しすぎるようです。
例えば、足立区では市長のお願いで生物園の「ナチュラルカード」を作りました。
スタッフに随分助けられました。(笑)
やなせさんの「人生ゲーム」作りでも、やっぱりスタッフや周りの人に
随分お世話になりました。(笑)
ある会社からは「困っているので手伝って」で約半年間収入が途絶えました。(笑)

今回の参加者はほぼ東京にいらっしゃる方で市長の知り合いの方6名、
あとは村松及び五泉出身の私と同学年の6人です。
65歳を超えて漸くそろそろ田舎で何か面白い事をしたいなと思って
きていたところです。(笑)

実は先月も市長とは中野の居酒屋で一晩飲んだ事があったのです。
その時も過疎化の話は聞いていました。
幸い市長も私が10年前に従兄弟の「アロニア商品」のお酒や、ジュースやジャムの
ラベルのデザインを手伝った事は知ってくれていました。

なので、過疎化の問題とは少し違うかもしれませんが、
手伝うとか恩返しと言うよりは、残りの人生、田舎で
もう一度昔の友達及びその子供達と遊びたいな。

それが恩返しになれば幸い、と言う考えです。


いよいよ仕上げのときを迎えました。

昨日(2018.07/13)67の誕生日を迎えました。
いつの間にか年を重ねてきましたが、
年をとると言うのは人との関係を作る事なのだなあと
つくづく感じております。

おかげさまで毎年、多くの好意的にお付き合い頂いている方々のおかげで
楽しい毎日を過ごしております。
今年は色々な雑誌媒体にも取り上げて頂きました。
(写真は6月発売のホビージャパン)

また昨年から世界の平和を目指すならこれしかないだろうと、
「平和のOS(方程式)」のアニメ化を目指しコツコツと企画を進めています。

またロボットアーチストとして(バロンさんの任命(笑))
AIガール(油彩)のシリーズを描いて販売もやっております。

8/18から銀座「かわうそ画廊」で夫婦での展示会もやります。


今後心がける事(笑)

昨年から今年と?一昨年からかな?
自分で誘われたり主催したりして展示会に参加して、
新しい方と知り合いになったりしています。

ついでにアベマTVなんかで発言なんかもして、
自分のはじめた「平和の方程式」の宣伝?なんかもしているわけですが、
たまーに会った人に「時々マンダラみているよ」なんて言われる事もあります。
これはけっこう私には嬉しい事で、
もっともっとここでも発言していこうと思います。

この曼陀羅webの形を作ったときは
周りの島々に専門の住人を置いてもっと頻繁に情報を
アップしていこうと思っていたのですが(笑)
(出版の島だけ今も松木いくのさんに絵本の紹介をして頂いています)
他はナカナカ思うようにいかず停滞しがちです。

「向島」と言う箇所(マンダラ島のマスの1つ)は
2009年と2010年に向島で約40人のクリエーターに集まって頂き、
8箇所でアートイベントを開いたときのものですが、
大きなプロジェクの度に作り変えていこうと思っていたのですが、
自分では修正が出来ないでいます(笑)
(管理者に頼んではいるのですが手が回らないようです)

なので、これからは取り合えずここで話のまとまらない文章を書き始め、
分類できそうだったら(話がまとまりそうだったら)
周りのマンダラに移していきます。
今迄よりは頻繁に更新していこうと思っていますので、
今後もよろしくお願いします。


2018も3月になりました。

毎日楽しさにかまけて過ごしていたら・・・
(これがフリーの特権で、醍醐味でもありますが)
気が付いたらもう3月。

ああ大変。
いろんな事を忘れている(笑)

実は今、毎日美人画を描いているのです。
これが楽しくて楽しくて。

私を知る人は私の事をほぼ「ロボットを描く人」と思って
いらっしゃると思いますが、
(実際それで生活してきましたが)
人を描くのが大好きなのです。

いつからそうなったか?と考えますと、
思えば高校二年生の正月元旦に、私は家でボヤを出しました。
無事火は消す事が出来たのですが、
その火を消すのに一人奮闘しまして、
3ヶ月の入院と二回の植皮手術をしました。

その3ヶ月の退屈な毎日を救ってくれたのが、
看護婦さんからたのまれる似顔絵を描く事でした。
それは病院内の院長先生だったり、歌手だったり色々でしたが、
3ヶ月間たのまれた似顔絵を描く事で退屈をまぎらわしたり
人物の絵を描く楽しみを知りました。

今はAIのアイドル(AIドル)として美人画(美しいAI)を描いていますが、
(こういう駄洒落がオヤジ臭いと妻には不評です)(笑)
描くのは楽しくて、暫く止められません。
(今月3/16日から京橋にある「銀座かわうそギャラリー」グループ展に参加します)

だけど、確定申告が全く手つかずでした。
ワー大変!!!


今年の挨拶(笑)いまごろ・・・

今年は正月からインフルエンザにはかかるし、
携帯は二度も無くすし、踏んだり蹴ったり?でした。

それでもいい事はあるもので(笑)
昨年末には新宿の東急ハンズで「ゆけ俺ロボ展」に
参加する事が出来たお陰で、
イラストレーターの方々や3Dクリエーターの方と
忘年会新年会を通して交流が出来ました。

更にまた新しい新年会では漫画のシナリオを書いている方
及び漫画家の方とも知り合いになれて新しい道も開けそうです。

今年も自分の作品は出来る限り展示して、
自分の意志を表現していこうと思います。
よろしくお願いします。


2日間も寝てしまった。

今日から本気で再始動します。


あけましておめでとうございます。

皆様
あけましておめでとうございます。

昨年は一昨年に引き続き展示会の多い年でした。
おかげさまで多くの方々に来ていただき、
色々アドバイスもいただきました。
ありがとうございました。
さらに仕事に繋がった方もいらっしゃいます。
こうした出会いを大事にして、
今年も一生懸命作品を作って行きたいと思います。

昨年参加したイベントは、
1)柏、柊展参加 グループ展
2)谷中、ハウ・ハウスのグループ展「ゆけ俺のロボ展参加」
3)柏、アートライン柏参加(個展)
4)市ヶ谷、キャラクターアート展参加 グループ展
5)新宿、東急ハンズで「ゆけ俺のロボ展」 グループ展等でした。
(※5)の「ゆけ俺のロボ展」は今月1/14日まで展示しております。
私も明日1/2は行ってみようと思います)。

今年もほぼ同じ展示会に参加します。
「ゆけ俺のロボ展」はありませんが、変りに8月に
銀座のギャラリーで妻と「二人展」をやります(笑)

昨年と同じくらいの展示作品は作りますが、
それ以上にやりたいのが本来のモノ作り(仕事)です。
もう少し計画的にできると良いのですが、(これが一番問題なのです)
今年の課題にして何とか自分で作りたい物を作っていきます。

遊びに仕事に
今年もよろしくお願いします。


2017年皆様お世話になりました。

今年もあと1日。
皆さんの今年1年はいかがでしたか?

私は展示会に明け暮れた1年でした(笑)。
来年はもう少し実績の伴う仕事に本気を出します。
いや勿論「平和の方程式」の展示は続けます。

来年のイベント(展示会)は5月の柊展から始まって、
8月は妻と銀座で二人展。
10月のアートライン柏と12月のキャラクターアート展は
今年もやる事で決まっています。

(まだ何も正式決定していないので動くかもです、
既に私が間違っている場合もあります(笑)。

尚只今新宿の東急ハンズでやっています
「ゆけ、俺のロボ展」には来年1/2日には顔を出します。
(なお「ゆけ、俺のロボ展」は最初「戦え、俺のロボ展」だったはず。
それが何故、「ゆけ、俺のロボ展」になったかは?
展示会場で販売しているカタログに書いてあります)。
興味のある方は買ってご覧ください。

来年もよろしくお願いします。


柏近郊の皆様にお知らせ。

突然ですが今日は「里山を守る会」のお知らせです。
主催者の岩城さんからメールが来ました。

里山感謝祭(豚汁&Miniフリマ)のご案内

いつも応援ありがとうございます。
今年も豚汁を囲んでおしゃべりの花を咲かせましょう。
お誘いあわせの上、どうぞ。

日時: 11/25(土) 10時より 雨天26日
場所: 里山広場
豚汁: 無料
フリマ: 手作り品、雑貨、野菜など
売上げは当会の活動資金にします

増尾の里山を守る会  岩城

増尾と新柏の間にある不便なところですが、
もしお時間ありましたらいらっしゃいませんか。
(ヤマトとエネオス?ガソリンスタンドのある所の向い側に
少し入った所でカカシがいっぱい立っています(笑)
新柏または増尾から電話もらえば迎えに行きますよ。

ついでに私事ですが、先月南柏のカフェ・ド・クリエ+で
ひと月やった個展も終わりホッとしたのも束の間、
今また来月12月2日から市ヶ谷の山脇ギャラリーで始まる
「キャラクターアート展」の出展作品ため毎日アトリエにこもっています。

そんな中妻の個展が今日から銀座のかわうそ画廊と言うところで始まります。
今日は初日で5時からパーティです。http://kawausogarou.com
私よりアーチストとしての活動は長く浸透しています。
よかったらこちらもどうぞ。12月1日までやっています。


近所付き合い

最近楽しい事が続いている。
その内の1つ。

話は飛んで、もう三十年近く前、足立区西新井にいた頃の話。
近所でとっても仲良くしていた2夫婦がいた。
そのどちらの家にも子供が生まれた。
子供が生まれてからも我々はその子らが自立して行く
小学生いっぱいまで、スキーにキャンプに、と一緒によく遊んだ。

その子供から最近(数年ぶりに)連絡がきた。
「今度結婚するので◯月◯日は空けておいて!」と。
三年前はその姉から呼ばれて結婚式に出ていたので、
妹は何時になるのかな?と待っていたのだがやっと来た。
我が子のように遊んだ?子供達の結婚式に呼ばれるとは
本当に嬉しい限りだ。

この話をすると
「親戚でもないのに?友達の娘の結婚式に参加するの?」と言われる。
新潟の田舎とかでは当たり前だったのだが、
確かに都会では少ないかも知れない。
しかし出来れば近所付き合いは(特に子供とは)、
こんな感じで付き合っていきたい。
(いまは都内の足立区と千葉県に離れてしまったが)
今後は新しい家族ともまた距離を保って付き合って行きたい


近況まとめ

アートライン柏の展示会は10/31日で無事終わったものの
(無事も何も時間が過ぎれば終わることになっていますが)
相変わらず忙しい日々が続いています。
いろんなご連絡を忘れている方ごめんなさい。

先月から動き出した元いた会社(株サブ◯リン)に
行って仕事の仕掛けも作っています。
今日はその企画内容を秋葉原のメイドさん達に
確認(アンケート)をして来るつもりです。

で、明日は「アニメルーツ-序章- ジャパン・アニメ温故知新」
のイベントが(文京学院大学本郷キャンパス(東京都文京区向丘1-19-1)であります。
何とここに私が登壇するのです?!(笑)

そろそろ忘年会等のイベントが続きます。
自分が幹事をやっている元◯◯の社長を囲む会も
そう言えば今月10日です。(笑)

更に来週は5社と仕事の打合せが入っています。
なんだかんだ言ってもこれは楽しい悲鳴なのです。
クリエーターは作る事が楽しいのでです。

66歳を過ぎて以前いた会社から頼られたり、
私に仕事を依頼してくれる人がいると言うのは本当にありがたいものです。
この歳になって(と言いながら全く年は意識していませんが(笑))
忙しくなると言うのはけっこう嬉しい事なのだ、
と言う事が最近やっとすこし分かってきました。

さらに12月1日から市ヶ谷にある山𦚰ギャラリーで
バロン吉元先生主催の「キャラクターアート展」が始まります。
勿論私も「平和の方程式」の新作を一点描く気でいます。
「間に合うかな?」少し不安です。

来年は更に良い年になりそうです。
来年の事を今から言って、
いつも笑っているつもりです。(笑)


8月に入りました。

先週と今週の気になった事を5つの項目でまとめてみます。(笑)

前に勤めていた会社に行ってきました。

秋葉原のメイドさん達と飲み会をしました。
(コミケに参加する人が結構多い)

昔クライアントの受付にいた人が
ネットで私を見つけて会いに来てくれました。(嬉)

月1でやっている「子ども食堂」のお手伝いをしました。
(私はカードゲ—ムで子どもと遊ぶ係です)(笑)

そして最後に
コスホーリック21に行ってきました。
これにはビックリ!!
(この事はここではかけません)(笑)

これからは、9/9日から始まる
HOW HOUSEの展示会に出展用のイラスト
「俺の戦うロボット展」の創作に全力を注ぎます。


2017サマーダンスパーティ

先日(7/17)ますやませいきダンススクールの先生に招待をされて、
品川プリンスホテルに行ってきました。
増山さんとは裏の世界で知り合ったので、
こうした晴れの舞台を見れた事でイメージがすっかり変わりました(笑)

午後3時から生徒さん達の発表会が1時間程あり、
次のステージに進む間の休憩時間は文字通りフリーのダンスパーティです。
これが3回程過ぎたところでディナータイム。
さすがプリンスのフルコース。食レポは下手なので控えます(笑)

アマチュアデモンストレーションでは日頃の成果を発表しようと、
皆さんかなり緊張していらしたようです。
徳永英明さんのお母さんが最後を締めくくられました。
フリータイムではデビ婦人が華麗に踊っていらっしゃいました。
さすが元社交界でならしただけの事はある雰囲気でした。

そして最後のお口ならしならぬお目直し?で
先生方のプロフェッショナルショータイム。
これはさすがでした。
最高のおもてなしに少し戸惑いながらも、
(花も持って来ていない、お金は包んで来なければならなかったのだろうか?など)
感謝しながら裏社会で一緒に知り合った美ウさんと一緒に帰ってきました。
帰って話しをしたら妻が
「来年誘われたら私は何があっても行くぞ」
と言っていました。


今日の体調・・・最悪

なつ風邪をひいてしまいました。
今は最悪です。

昨日病院へ行って薬を沢山もらってきました。
「熱はありますか?
「はい、あると思います」
(測ってもらったら38度)
「咳は出ますか?」
「はい出ます」
「だるいですか」
「はいだるいです」
「喉は痛いですか?」
「はい痛いです」
この問答の一つ一つに薬が処方されるのだと言う事が
帰って来て薬の説明書を読んで分かりました。

今回はもう遅いのですが
帰りに薬局コンビニ「マツモトキヨシ」に寄って、
風邪予防グッズ?の買物をしてきました。
(体温計、熱さまシート、マスク、うがい薬、のど飴)
全く家には病人グッズがなかった事を知りました。
まあ健康でいいのですけど。(笑)


浅草散歩で気になった事

昨日浅草に用事があって出かけてきた。
少し早めに付いたので浅草の町を歩いた。
(東京に来た18歳当時、蔵前に会社があり御筋町に
寮があったので、この辺はよく歩いた)
田原町から昔、仁丹塔があった辺りの裏通りを歩いていると
見た目も古そうな喫茶店があったので入った。

もうここで50年もやっていると言うおばさんがいらっしゃった。
(御年75歳)元気な方で私が店に入るなり、TVを指差して
「これからの日本は大変な事になるわよ」と言う。
TVはテロ対策法案の審議を省略して可決させると言う
ニュースをながしていた。

「安倍政権になって日本はおかしくなった」
「安倍さんは身内も含めて日本を好き勝手にしている」と言うのだ。
それは私も同じ事を感じていたので賛同すると、
「さっき帰ったお客さんね、あの人この辺の方なんだけど、
「今の自民党は危ない!これは許せないと」言って、
自分で「安倍自民党の暴挙を許すな」って缶バッジを作って
胸にはって歩いていたら、そのバッジを観たおまわりさんが
「それは何だそんな物は外しなさい」だって。
「今からそうなんだからこれからもっとすごいわよ」
「70年前と一緒よ、みんな読売と産経に洗脳されているんだからだめよ」
となかなか鋭い指摘をなさった。

日本の政治家もマスコミの人も子供の頃はTVの番組を観て、
正義のヒーローに憧れた事もあっただろうに、
いつから「現実的には難しい」なんて言い出すんだろう。
忖度を身につけるのだろう。


政治とマスコミの関係

森友学園も加計学園も問題だが、
一番気になるのは、マスコミの代表でもある「読売新聞」が
(あ、売り上げが多いと言う事で)
一般人のゴシップを流して口封じをしようとした事である。

政府が読売新聞社と仲が良いのは分かっていたが、
(憲法改正にしても読売だけに掲載している。
本来これは新聞各社に掲載されるべきではないか)
これでは戦前の新聞社の動向と同じではないか、
マスコミの言う事が信じられなくなる。

庶民の側であるような立ち場をとりながら
庶民を惑わすような読売新聞はいらない。
政府の公報があれば済むことだ。

政府はこのまま知らんぷり?するつもりなのか。
もしそれが出来るとなったら、
これはもう政府は何でも出来ると言う事になる。
保守党と野党という問題では無い、
政府と日本の一般人庶民の問題である。

このままでは「TPP」や「駆け付け警護」も、
「共謀罪」も「憲法改正」も
何でも政府の強行採決で決まってしまう。
その時に始めて「あれ?いつこうなったの?」と
言う事になるのだろう。

そうならないために、
自分(或は我々に)出来る事は読売新聞を買わない事位しか出来ないのか?!


バッテラ展に行って来た。

昨日4/9渋谷でやっているバッテラ展に行って来ました。
(※バッテラ=バロン吉本×寺田克也の造語です)
前回行った時はバロンさんがいなかったので、
娘のエミリーさんに「父がいる日に又来てください」
と言われていたので昨日は二回目でした。

丁度昨日は二人のライブペイントの日。

前日はバロンさんと寺田さんのトークショーで、
人が一杯だったそうで、今日で良かったかなと思いました。
バロンさんのライブペイントは何度か見ていましたが、
寺田さんのライブペイントは今回が始めて。
下書きも無しで描かれる集中力にはビックリしました。

お二人の本を買ってサインをしてもらいました。
ついでにエミリーさんに写真を撮って頂きました。

すると、そこへ「あの、ひょっとして、樋口さんですか」?
と、声をかけてくれる人がいた。
話して直ぐ気がついた。
向島アート展に参加してくれたイラストレーターのK青年?だった。
そう、お爺さんは「怪人二十面相」の挿絵を描いたあの有名な挿絵画家。

久し振りなので帰りに二人で喫茶店に入って話をした。
ちょっと向島アート展が懐かしくなった。
(もう9年も前の事になります)


野崎家と伸童舎の合同葬

一昨日野崎さんのお通夜に行って来た。
野崎さんは伸童舎の元社長で私がアニメ業界に
デビューするきっかけを作ってくれた人だ。
・・・業績については余りに多いので省略。
(http://www.shindosha.com)
斎場は埼玉の航空公園駅と言うところから車で10分位だった。

祭壇の右側は親族の方々で、
左側に大きなスクリーンがあった。
そこに野崎さんの関わった作品のオープニングとエンディングの
画面が歌と共に流れていた。
鉄腕アトムやジャングル大帝等々。

祭壇に近づいたとき丁度、
009(ゼロゼロナイン)のエンドロールが流れ、
メカデザインの項目でサブマリンの文字を見つけたときは、
ああこれも野崎さんとの仕事だったのだ、
とか宇宙戦艦ヤマト3でもメカデザイン協力で、
サブマリンの名前を見た時は、
一緒に仕事をした時の事をしみじみと思い出してしまった。

野崎さんはまた仕事を通していろんな人に会わせてくれた。
今思えばサンライズの初代社長も二代目社長も、
オフィスアカデミーの西崎さんも(その他・・・?忘れているが)
野崎さんが会わせてくれていたのだった。

斎場は家からはかなり遠かったうえ柏からの出足が遅れて、
一番最後の列になってしまった。
しかし、そのおかげで会いたい人と会えて
話をする事が出来た。

例えば出淵君は宇宙戦艦ヤマトの時に初めて出会った。
(彼は未だ学生だったが、彼もその時の出会いを覚えていた)
その後は大活躍で宇宙戦艦ヤマトの監督もされたと聞いた。

岡本君は私の元部下でアニメやウルトラマン等の特撮ものが大好きな青年だった。
当時のアニメに関しては彼の方が私よりも知識も豊富だった。(笑)
会社を辞めて以来だから、30数年ぶりの再会だった。

野崎さんはまた今回もいろんな人と会わせてくれた。
ありがとうございました。

ご冥福をお祈りします。


あけましておめでとうございます。

2016年の昨年は、いろんな事がありましたが、
全て楽しく過ごす事が出来ました。

2月には車にはねられたり、
9月には少し体調を崩しかけました。
これからはスケジュールと
自己管理をしっかりやります。

年末ぎりぎりで中国からの仕事が無事納品できました。
大変キツかったのですが、最後に
「貴社(日本)の商品作りに対する真摯な取り組み方に感激しました」
と評価してもらえた。

そのほかバンダイのミニプラモの仕事も、
サンライズさんと今迄お付き合いを続けて来たからの結果でありました。
なので来年もますますプレゼンを続けます。

今年は展示会も同じ位やりたいですし、
「う・そ会」も形を変えていろんな場所でやっていこうと思っています。

いつもどこかで皆さんと繋がっていたいと思います。

本年もよろしくお願いします。


2016.12/31 年末のご挨拶

皆様のおかげで、
今年も無事一年終える事が出来ました。

無事どころか楽しい一年でした。
今年は関わった仕事の多くが中国に関係するものでした。

春に関わったAIロボットのデザイン。
このおかげで初めて中国にも行く事ができました。
中国の人は優しいですよ。
(と言うか、私はそういう印象をもちました)

夏にはヒーローもののデザインと、
可愛い系キャラクターのお仕事もしました。
(これは本当にちょっとしたお手伝いだけ)

そして秋から冬にかけては、
ホビー物、これはヘビーだったなあ。(笑)

その合間にプライベートでは、
(プライベートになっていないか?)
春には柊展用に「ブライガー」の二作目を描き、(昨年一作目)
秋には柏で(イデオンがメインの)ロボット絵画展をやらして頂きました。
そして冬、三回目のキャラクターアート展に参加しました。
(ここではイデオン一枚とアクロバンチ一枚を展示)

その中でも秋(10月)のロボット絵画展で描いたイデオンが
バンダイから発売した食玩のミニプラモのタイミングと重なり、
パッケージとおまけのポスターに使ってもらえると言う
非常にラッキーな事になりました。
サンライズとバンダイの関係者の皆様に感謝!
これは五月にファンから情報を頂き半分狙っていたとは言え、
本当に全てが上手くいったと思います。

一年の締めくくりとして、
私は今年65歳を迎えました。
今年から本格的(?)に絵を描く事を決めました。
これからの10年〜(いや30年)が
人生を楽しむ為に残された時間だと思います。
「いつ迄生きるんだお前は!」と言う声が聞こえてきそうです。(笑)

来年がより良い年でありますよう、
皆様のご健康とご活躍をお祈りします。


アトリエ日記8/24

台風が行ったら静かになった。
同時に夏も連れて行ったみたい。

今年の夏は過ぎるのがいつにもまして早かったなあ。
色々仕事が重なって、
田舎にも帰れなかったから、余計そう思うのだ。

まあ自分でまいた(仕事作りの)種だから良いのだけれど。
なぜかそういう時に重なるのが世の常識のようだ。(笑)

10月のアートライン柏「樋口雄一/ロボット展」まであと少し。
頑張って一点でも多く仕上げます。


隅田川の花火大会

4年前に電車の中で
「ハナビハ、ドコニイッタラよくみえますか?」と
声をかけてきたパキスタン人に
「俺についてきたらいい所で見れるよ」と誘った。

その彼が、「今年も花火大会に誘ってください」
と1週間程前連絡してきた。
四年前に初めてあった時は日本に来て未だ一ヶ月だった。
その彼は現在埼玉で自動車の販売会社に勤務している。
日本語もぺらぺらになって、電車の線路も
私よりも良く知っていて驚いた(笑)

遅くなりましたが、
隅田川の花火大会に行ってきました。


アトリエ日記16.08/04

今日は秋葉原UDXでMAGESのベントが秋葉原であります。
一昨年かかわらしていただいたゲームが、
「超銀河船団-1NFINITY-」としてリニューアル配信。
私も行ってきます。


アトリエ日記7/3

漸く下書きが終わり。
先日からトレース作業に入っている。

ラフの段階で何度もデッサンやパースをとり直し、
一応完成した(と思った)後で、
拡大コピーをして、トレース作業に入る。

だが、あきらめの悪い私は、
その拡大コピーを繋ぎあわせる時にも、
パーツを切り刻んで動かしたりする。

何度も下書きを重ねたのに、
原寸になると、そこでもまた気になることが出てくるのだ。

なのでその跡がトレース前の下書きに残る。
いや、ちゃんとした下書きは残っていない事の方が多いが
作業跡は残るのだ。(写真のように)

だが、こうやって作業を進めているときが、
一番楽しくて仕方が無い。
ラフを描いているときは作業が前に進んでいないのが分かるからだ。

今週は楽しい時間が続く。


アトリエ日記6/1

「ぐらこん」集会
昨日は、1年ぶりに「ぐらこん」新潟支部の集会があった。(笑)

※ぐらこんとは、1960年代に虫プロが出版した漫画同人誌的月刊誌「COM」で、
編集部が呼びかけてできた漫画家希望者の投稿組織?
『COM』(コム)は、1967年から1973年まで虫プロ商事から発刊された漫画雑誌。
同時期にガロ1964年から2002年頃まで青林堂が刊行していた漫画雑誌があり、
「君はガロ派?僕はコム派」とか言うように使われた(笑)(私の勝手な解釈です)

私は高校生になってその「COM」の集会に初参加した。
その当時の新潟支部長と副部長とは今でも付き合いが続いている。
もっとも今では私を含むその3人だけになってしまったが
彼らと飲むのはいつも楽しい。

青春時代を語る時この三人は欠かせないのだ。
(一時は三人で共同生活みたいなこともやっていた)
私はイラストレーターになったが、2人はアニメーターになった。
(一人は引退したが一人は今も現役)
この三人で年一回集まって飲んでいるが、
今回その内の一人が、「ぐらこんの集会に行ってくる」と
奥さんに行って出てきたと言う事で大笑い、
その話になったのです。


アトリエ日記5/31

先週末はいろいろありました。
秋葉原でメイドさん達との宅飲み会があったり、
柏にセブンイレブンパーク・アリオ柏店が出来たので(4月/先月)友達と行ってました。

(メイド喫茶に行った訳ではありませんが、
今度此処で知り合った人の店に行ってみようかな)

柏のアリオは勿論北原さんのコレクションミュージアムがねらいです。
一緒に行った人は以前の会社でプロモーションビデオを作った時
北原さんにインタビューをした人?だったか、インタビューした時に立ち会っていた人?
いずれにしても面識がある訳で、いらしたら色々とお話も聴けたのですが、残念でした。
北原さんは前日にいらしていたようです。

展示物そのものも本当に良い展示でした。
昔のアメリカのダイヤモンド店(何店舗か)のショーウインドウには
客集めの為からくり人形?のようなものを置いていたそうです。
その客引きパンダを勤めた?作品の展示です。

当時、毎月一個づつ作っていくつかの店に、貸し出していたもので売り物ではありません。
職人さんの手作りのコレクションです。
そのディスプレイがまた、良く出来ていていくつかのブースが6分置きに動くようになっています。
一カ所が終わって少したつとすぐ次が動き出すようになっている。
結局6分かける5カ所で30分は楽しめるようになっています。

満足して帰ってきました。


5/22 ニッカウヰスキー柏工場 ふれあい感謝ディー

今週末の日曜日、
「ニッカウヰスキー柏工場 ふれあい感謝ディー」がある。
これは年に一回工場の敷地を開放してイベントを行うのだ。

この場所は私が今借りているアトリエ(スペース1033)からすぐの所で、
俺のドライバーでも届くか?というかなり近い距離です。

昔はいつでも?見学会ができたのだけれど、
最近は年に一度この日だけだ。
見学が終わった所で昔はウイスキーが飲めたが
最近は飲酒運転予防の為かアサヒビール
(いつの間にかアサヒビールのグループ)
のノンアルコールビール(子供にはジュース)
が振る舞われます。

イベントは出店やライブも行われますが、
これはそんなに有名人が来る訳ではありませんが、
地元で活動及び活躍している人達が何組も出ています。

是非、週末はニッカウヰスキー柏工場に遊びにきて、
ついでに私のアトリエにも寄ってください。


アトリエ日記(風邪)

久しぶりに風邪をひいてしまいました。
昨日アトリエで仮眠をとった所為のようです。
寒いのか暑いのかよくわからないまま、
そのまますこーし横になっていて、
気がついたら、もう喉が痛い。

それでも午後二時から妻に頼まれた銀座「ギャラリーQ」に、
グループ展の展示会出展用絵画を届けに行ってきました。
(さすが銀座は人が多かった。
特に外国の人((中国の方以外))が多く感じました)
帰りは常磐線のいつもの軌道を逸した寒さも加わって寒気がしてきました。

喉は私のウイークポイントで、
東京に出てきた18歳の時にも、
扁桃腺で文字通り痛い目にあいました。

幸い手術には至らなくて、
注射針で喉にたまった◯◯を吸い出しただけで助かりました。
後悔しているはずなのに、その後も何度か危険な目にあっています。
(此処も文字通り懲りないヤツ)

せっかくのゴールデンウイークなのに
今日はおとなしく家で寝ていようかな。


アトリエ日記 4/25

いよいよゴールデンウイークですね。
待ち遠しい人も多いのではないでしょうか?

我々フリーの人達は、基本毎日が自分のペースで動いているので、
本当はあまり関係ないですが、
社会(街中やクライアント)の雰囲気が変わって来るので
一緒にワクワクします。

そんな中、最近私が夢中になっているのは日曜大工です。
このスペース1033の富澤さんは元々大工さんだけあって、
大工道具が豊富にある為、此処を借りている人達はしょっちゅう何か作っています。
先週は「藤心陶芸教室」の方が「ケリクロ」(足で蹴りながらろくろを廻す椅子とテーブル)を
作っていました。
私は先日アトリエ用のプリンターを買ったので、
それ専用のワゴン(机の下にしまって使う時に
引き出せるもの)を作っています。

アトリエも借りて丁度1周年になります。
今週末は「柏〜◯◯会」でもあるので、
合わせて、何かイベントをしようかと考えています。
お世話になった人に
お礼をしたいと思っていますが、何しようか?
此処に集まるじいさん達はみんな
多分俺より上手くそばが打てます。(笑)

良い季節です。
皆さんも遊びにきませんか?


年末展示会計画

昨日は寒かったねー。
なので、一日中家に籠って仕事をしていました。
ロボットの色指定をしていました。
家にいると楽で仕様がない。

楽が悪いとは思わないが、
あまり楽をしていると作品がたまらない。
作品を残す為にももうちょっと忙しくてもいいかな?と、
贅沢な事を言って見る。

3月は激しすぎた一ヶ月だったけど、
過ぎてしまうとまたやりたくなってしまう。
もともと仕事が遊びになっている人間の性か?
誰にも待たれずにプレッシャーを感じないで仕事をするよりも、
少し催促されている方が終わったときやりきった時の満足感が実感できますね。

さあ、また年末の展示会(個展予定)に向けて
ロボットを描きにアトリエに行って来よう。


アトリエ日記4/10

あー三月は久しぶりに忙しかった。
初めの頃は柊展に出展するブライガーの制作に時間をとられていたから。
後半は中国のある会社からロボットのデザインを依頼されて、
その制作に追われていたから。

そのデザインが終わって最終図面を送ったのが3/31日。
すると4/1日にそのロボットデザインの監修に来てくれと連絡があり、
4/5日から8日迄行ってきました。
一人で海外旅行するのも、中国に旅行するのも初めてでした。

私は方向音痴で道もよく間違えるし、
電車もなかなか間違わずに初めてのところに行けた事もありません(笑)
家族の心配以上に自分自身が、ちゃんと行けるか心配でした。
でも何とかなりましたね。
いくつか危いところもあったのですが。

例えば行きの飛行機の機内に、送ってもらった飛行機の予約の紙、
それと一緒にパスポートをコピーした紙を忘れてしまったり、
帽子は空港でなくしちゃったけど、
携帯をトイレに忘れたとき後ろから大きな声で教えてくれた人がいた。
後ろから追いかけてきてくれた人ありがとう。
おかげで私は此処に帰って来れた(笑)

中国に関しては日本人でもいろんな印象を持つ人がいるけど、
私は元々は何もはっきりした印象を持っていなかったのですが、
今回の旅行で中国にはいい印象を持ちましたね。
また行ってみたい。
この仕事が繋がればその可能性は広がります。


アトリエ日記3/18

いよいよ明日から柏の市民ギャラリー
http://www.stemo.jp/shop/?id=5406
で、柊展(ひいらぎてん)が始まる。

いま私もそこに出展用のイラストを製作中だ。
私の描いているのはもう35年も前にテレビアニメで放映した
「銀河旋風・ブライガー」(ただいまTXで再放送中)

これは私にも思い出深い作品で、
伝説巨人イデオンをやった翌年で身体も気力も疲れ切っていた時に入って来た仕事だった。
・・・・とその当時の事を描こうと思ったが、
そんな時間は無かったのだった(笑)

明日の搬入に間に合うか?
未だ仕上がりは見えていない。
果たして、明日
銀河旋風ブライガーは
「お呼びとあらば即参上!!」
できるか?

確かめに来てください。


アトリエ日記2/5

何か自分の周りで仕事関係にも異変が起きている。

今迄お世話になったクライアントの部署が無くなったり、
ある仕事を一緒にやった人からの、
お金が振り込まれないで困っている。

相手も大変なのだろうが、そんなときは初めに
「申し訳ない。今回の支払はいついつになってしまう」
とお詫びと遅れる理由などの説明が
あるべきだと思うがそれも無い。

これから仕事を一緒にしようと思っているので、
まだそれが誰かは明かさない。
人に弱いところを見せられない質なのかも知れないが、
信用はそんなときでも誠意を見せれるかどうかで、
決まってくるはず。

昨日 土佐堀川(広岡浅子の生涯)古川智映子著 
(NHKあさが来た 原作)を読んでいて思いました。
このままでは信頼関係を結べないな〜。


パソコン修理結果。

今週は色々バタバタしていましたが、
面白い事もいっぱい有りました。
中でもありがたかったのは、パソコンが無事に戻ってきたことです。
しかも無料でして。
一方的FAXをした後、担当者の女性から電話が有り、
色々話を聞いていただきました。
そこで言われた通り受け取り書をまた
折り返しの出来ないFAXで送信しました。
すると私の携帯に何回か電話があったらしいのですが、
気付かずにいました。
折り返し電話しようとすると、
「この電話は折り返し出来ません」になっている。
どうしようもないので放っておきました。

すると家のパソコンメールに、

「本日、受け付けました」

「只今、修理しております」

「本日、発送しました」

とこまめに連絡してきた。
相変わらずこちらからは連絡できないので放置。

すると昨日俺の留守中に東芝から家に小包が届いていた。
引き換え時にお金も請求されなかったというし、
(お金の取引は配送時引き換えでと言う条件にしておいたのに)
中には請求書も無く「このたびは故障でご迷惑おかけしました」との反省文。

これは、ひょっとして、「ココ壱のカツ事件」のお陰か?と思ってしまいました。
先ず、安すぎるパソコンの値段設定。
欠陥有りのシリーズ(本来ならリコールもの)を
安く無名販売メーカーに下取りしてもらい、後で修理費用をもらって対応する。
食材の流通にあんなのシステムがあるのだから、
雑貨や電化製品にもあるのではないかと勘ぐってしまいます。
電話が来たらこんな嫌みでも言ってみようかと思っていましたが、
済みませんでした。

これで、東芝さんのイメージが変りました。
東芝さんは親切で良い会社です。(笑)


メーカーに質問

私及び私の知り合いの多くはMac派だ。
しかし、青色申告会に入って確定申告をするために、
昨年春に初めてWindowsを買った。

本当にそのためにだけ買ったのだ。
青色申告会の方々が「Windowsと弥生ソフトにしてもらわないと
(Macは分からないので)教えられない」と、言われたからだ。
勿論ネットにも繋いでない。

その東芝ダイナブックが昨年の秋に壊れた。
半年も使っていない。
修理に出したら、35.860円掛かると見積が来た。
55.000で買ったのにそれは高すぎる。

何が原因か聞きたくて連絡をとろうとするが、とんでもなくアクセスが悪い。
よっぽどクレームが多くて連絡を取りづらくしているものと思ってしまう。

手紙でも書こうと思ったが修理センターの送り先が、何処にも書いて無い。
爆発物でも送られると思っているのだろうか?
唯一通じたホームページのフォーマットに従った
修理依頼表に自宅の住所を書いただけで集配に来てくれた。

例えば問い合わせの電話窓口はいつも込み合っている。何度電話しても、
「ただ今込み合っていますのであと10分くらいしてから再度おかけください」だ。

メールの対応も一方通行で、こちらからは連絡できない。
見積といつ頃になるかを最初に聞いていたのでそれが一方的にくる。
「このメールアドレスに返信されてもご回答をお送りする事が、できません」と締めくくってある。

電話もできず質問もできないので、FAXで送った。
ただし、「我が家のFAXは送信専用で返信は受け付けられません」として。


成人の日

いつだったか?
俺には無かったのか?
いや、そんなことは無い(笑)
45年前にあったはずだ。
思い起こして見ると、
新潟から東京に出てきて2年目。

すでに仕事は紳士装身具のデザイン室で企画営業の仕事をしていた。
(カフスボタンやネクタイピンのスケッチを描いたり、
試作を作ってはお得意さんに持ち込んでいた)
しかしまだ学生気分(高校生の)が抜けず、
日曜日は水道橋にある講道館に行って部活の様な気分で柔道をやっていた。

いい先輩にも巡り会い、彼女もいたが、
自分のやりたい仕事(グラフィック)では無かったので、気持ちは燻っていた感じ。
通信教育でレンダリングやデザイン&イラスト講座等は受講していた。
レンダリングやデザインは途中で挫折したが、イラストは優秀な成績で卒業した。(笑)

墨田区にアパートを借りて住んだばかりだった。
蔵前の寮にまだ現住所があったので行くなら台東区のどこかだったはず。
だが昼間は絵を描いていて、夜近所のスナックに行って、水割り7杯飲んだ事を覚えている。

これは大人っぽい事をやってみたかっただけだが、
これからは、社会人として責任を取らなければならなくなる
と言うことは真剣に考えた覚えが有る。
当時は真面目な青年だった。(笑)

それから数週間後、
成人式には出なかったにもかかわらず、
台東区から成人認定書みたいなものと国語辞書が送られてきた。

結構思い出すもんだ。
みんなはどんな事を思い出すんだろう?


年始挨拶に行って来た。

まだ仕事関係でも全員に挨拶できた訳ではないですが、
昨日は、昔大変世話になった先輩の会社に
正月の挨拶に行って来ました。
上京してきて最初に入った(紳士装身具のデザイン)会社で、
面倒を見てくれた人達です。
せめて半年に一度くらいは挨拶に行きたいのですが、
昨年は行けませんでした。

思えば私は、このあとも先輩には本当に恵まれていて、
会社を変わるごとに、いい先輩に出合えましたね。
特にグラフィックデザインの仕事をするようになって、
仕事を教えてくれた(強力に記憶に残る)人は2人いて、
二人ともコピーライターでした。
残念な事に今はもう二人共いない。

昨日会って来た人は
私より5歳年上と2歳年上の兄弟ですが、
2人には上京した時からずーっと世話になりっぱなしです。

節目節目に報告に行って話を聞いてもらっているからか、
今でも2人(特に兄)には父親のような気がしています。
この2人にはこれから少しづつ、恩返しをしていきたい。
(ちなみに私はファザコンではありません。(笑))


2016年新年あけましておめでとうございます。

昨年はお世話になりました。
昨年お会いした方も、
お会いできなかった方も
「今年もどうぞよろしくお願いします」。

皆さん、
昨年一年間はどんな年でしたか?
私の昨年1年を一文字で表すと「流」ながれると言う字でした。

クロアチア旅行にも行けましたし、
ジンライガーのアニメ化も決まったり、
色々いい事もあったのですが、
頂いたラッキーが多かったので、
結局は流された1年と感じました。

今年はもっと自分から積極的に、
目的をもって、目標を作り、それに向って、
泳いで行こうと思います。

今朝GHD(現在「気になっている事」を列挙)したら、
あっという間に60個くらい出ました。
あと三日間くらいかけて出るだけ出して、
これらに、プライオリティーを付けて
順番に実行していこうと思います。

何か私と一緒に何かやってみたい
事などがありましたらご連絡ください。
(そう言う話だけでも一緒にする事は楽しいので)

皆さんにとって今年が良い年になりますように祈念します。


年末のご挨拶

2015年もいよいよ本日のみとなりました。

皆さん今年もお世話になりました。
来年もよろしくお願いします。

私はこれから年越しのそばを打ちに
アトリエに常設してあるそば打ち部屋に行ってきます。

来年は何か少しみんなで、
出来る事をやってみたいですね。

また、なにか私にやって欲しい事(イベント)や、
このHPにこうしたらいいとか、ああしたらもっと良くなるとか、
気付いた事がありましたら、ご連絡ください。

また、情報を載せたい人が(不定期のブログでもいいので)
いらっしゃいましたら、お知らせください。


アトリエ日記12/25

皆さんはクリスマスケーキいただきましたか?
我が家は天皇誕生日に全員そろっていただきました。

今年はいろんなことがあったのですが、
まだまだ自分でコントロールできた年ではありませんでした。

なので、意識はもう来年に向っています。

来年はジンライガーもアニメ化になる事が決まりましたが、
それに伴い絵も沢山描いていきます。

まずは、来年3月に柏で「柊(ひいらぎ)展」があります。
ここに参加します。
今年までは、打ち上げの飲み会に参加するだけだったけど、
来年は参加しようと思います。
今年は二度の展示会に参加しましたが、
来年はもっともっと増やしていこうと思います。
来年が勝負の年になる様な気がしています。

アトリエを借りてから、
とりあえず時間が出来たら、
スケッチをして「感」を取り戻す努力をしていました。
スケッチの「感」=「デッサン力」です。
何枚か携帯で自分のスケッチの写真を撮ってみました。
10月からですから、約三ヶ月でだいぶ「感」は戻って来ました。
写真の色が大きく違うのは、写真の向きで部屋の蛍光灯と、
スタンドのライトの違いのようです。

まだまだ上手くはなりますが、似顔絵のスケッチは程々にして、
ロボットを描きます。
来年もこの習性は続けようと思います。

東京に出て来た年に、
1年間365日毎日石膏デッサンして、
漫画家になろうと夢を見ていた事を思い出しました。(笑)


安藤さんのこと。

何度かここでも紹介した気もしますが、
今年2月に104歳になられた安藤さんが倒れた、
と言うことを聞いたのは先月のこと。

柏の定期的に行っている喫茶店で、
「今年10月からお店が閉まっている」と聴いたのは先月。

当然電話は通じない。
心配になっていたがなかなか行けなかった。

先週漸く上井草に行ったついでに神荻窪に廻って、
喫茶店や食堂で聞いたが安藤さんのことは知っていても、
病気の現状は誰も知らなかった。
そこで、輝き停(以前毎月トークショー?をやっていたところ)
に行って聞いて来た。

心臓が原因で倒れたのだが、今は回復に向っているという。
むしろ問題は足で、あれだけ丈夫な足が、
2ヶ月も寝ていたので筋肉が落ちて立てないのだという。

何とか頑張ってアロマフレッシュを復活して欲しい。
安藤さんの元気な姿に多くの人が元気と勇気をもらっているのだから。
なんせ、私の珈琲に目覚めさせてくれた恩人だから。


アトリエ1033の忘年会

昨日アトリエで絵を描いていたら、
時々スペース1033に遊びに来ているSさんが、
「今日これからこの施設内の人と忘年会を開こうという事になったので、
樋口さんも参加してくれないかなあ」と、声をかけられた。

このSさんは4〜5歳年上だが人懐っこいので
ここにきた5月頃から仲良くしてもらっている。

もう四時半で、忘年会場は近いところで5:00からだと言う。
余りにも急だったが、「昨日樋口さん来なかったから」という。
昨日はビッグサイトにロボット展を見に行っていたので、
それは仕様がない。

「夕方妻を迎えにいかねばならないので、
それが終わって時間があったら行く」と伝えた。
妻が能を観終わって帰って来たのは
まだ7:00チョイ過ぎだったので自転車で出かけた。

さすが年輩ばっかりだったが、
地元で身近な人が集まると言う事は
柏で初めてだったので・・・・?なかなか良かった。
(自分の作った「柏〜◯◯会」と柏ビジネス交流会は除く)

いつもスペース1033で見かけても会釈しかしない人が、
裏山の持ち主だったりとか、
同じ施設内にある陶芸教室に二年も通っていた人が
喫茶店「夢」(同じ施設内にある喫茶店)を知らなかったりだとか、
☆いかにこの施設内が分かりにくいかを知る話の1つになります。
添付画像もこの施設内の1つ(笑)
なかなか聞けない話もいろいろ聞けた。

問題はスペース1033の富澤さんの今後の健康だ。
この1年で自分が観た限りでも、
パーキンソン病の進行が早くなっているように感じる。

酒が入ると特に動きが緩慢で危なっかしくなって来た。
まだ70代前半なんだから、
まだまだ頑張って欲しい。


スペース1033 アトリエ訪問

昨日は雨の中を友だちが2人遊びにきてくれた。
そして思った以上にこの場所に興味を持ってくれた。

生憎の雨で施設?をすべて廻れなかったが、
(そんなに広いものでは無いが色々複雑なのだ)
妻が丁度作業場を借りて東京都美術館に今月から飾る額縁を作っていた。
その下にある部屋「男の隠れ家」では、
会員の1人が(40人以上の会員がいるらしい)
納豆のパックのふた開け器具を自作していた。
※これらの施設は数人が(オーナーの富澤さんの許可を得れば)
いつでも自由に使わせてもらえるのだ。

あとは陶芸教室が2つあって、
来月12/5日から1週間ほどだったかな?
このスペース1033内にある
喫茶「夢」で展示即売会がある事などを伝えた。

この敷地内の雑多さ故全体を把握しずらいが、
面白い場所だと言う事には気付いてくれたようだ。
他にも4〜5人が一緒に入れるサウナ付き風呂が有る事など等
未だここには不思議がいっぱいある。

私のアトリエ訪問いつでも受け付けていますよ。(笑)


アトリエ日記

最近アトリエが気に入って入り浸りになっている。
勿論仕事もここでしています。

昨日はいつも(スペース1033)に遊びにきている
Sさん(70)という人を部屋に招待して珈琲を煎れてあげた。

すごく感動して喜んでくれた。
「へえーあの部屋がこんなになったんだー
さすが芸術家はすごいねー」と。
この人はしょっちゅうここへ来て下で
社長の手伝いをしたり飲んでいるうちの1人だ。

ここが物置だったとき、
部屋のなかのものの引っ越しと
掃除をしてくれた内の1人でもある。
彼らが俺の事を芸術家というのは、
デザイナーもイラストレーターも
引っ括めてのことだから仕様がない。

明日はもとクライアント今友だち3人が訪ねて来てくれる。
この車両から見る森の景色は、
きっと三人も驚くだろう。
さあ、今日は掃除しよう(笑)


昨日の仕事

昨日はあるクライアントで定期的な打合せ。
夏にプレゼンしたものが保留になってしまったので、
そこからまた新たにテーマを捜してプレゼン。
改良に改良を繰り返していたゲームの提案。

ここ迄この遊びのテーマは評判悪く、
はっきり言って反対されてきていたのだが、
今回は非常に評判がよかった。
「良いですねー、これは」「発想の転換ですね」
「これなら筐体との連携も出来るし展開が広がります」
と、好感を得た。
が問題は商品化されるかどうか。
幾ら褒められても商品化されなければ役に立たないのと同じだ。
なんとかもう少し内容を詰めて、
商品化迄持って行きたい。


こんな時だから一言。

今国会前では、毎日安保法案に対するデモが行われています。
私は今回一度も行っていないけど心から応援しています。

2015.09/17
日米安保関連法案
私の考え
集団的自衛権を行使できる=戦える国になるという事である。
それを権利だと主張したい気持ちが私には分からない。
戦争を放棄した国=日本でいいじゃないかと思うのだ。

力で国を押さえつける事ができない事はアメリカの今迄やってきた戦争で分かっているはずだ。
日本の原爆、ベトナムの枯れ葉剤、現在のアフガニスタン、イラク戦争の現状。
どれをとっても肯定できる戦争は1つとしてない。

それが分かって日本は戦争を放棄したのでは無かったか?
戦争ができなくなったのはアメリカの決めた憲法だからという人もいるが、それは素晴らしい憲法だった。
(70年も平和が続いた)それをもっと積極的に世界に広めて行けばいい。
そういう積極的平和主義もある。(本来こっちが正しい積極的平和主義と思うのだが)
日本はイスラム教でもキリスト教でもなく、
相手を否定する事もないからどの国とも適意を持たずに交渉ができるはずだった。

日本の政府は70年経って何を学んで来たのだろう?近隣諸国ともまだ仲良くできていない。
相手が悪いというのはどんな喧嘩でも使う常套句だ。
以前あった尖閣諸島で中国がレーダー照射をしてきた事件で
「日本は何にもできなかった」と言う。
その時は日本が戦わない事を宣言しているから何もなかったのだ。
このとき自衛隊が打ち返していたらどうなっただろう。

激しくなれば当然それは戦争になっていた可能性もある。
そもそも自衛隊は本気で中国と戦う気があるのだろうか?中国と戦って勝てると思っているのだろうか?
だからアメリカに守ってもらう必要があるということだろうが、此の場所での戦いは個別的自衛権で集団的自衛権は必要ない。

憲法を変えないで解釈を変えて集団的自衛権を行使する事には反対である。
(国会の審議を聞いていても分かりにくい「安倍くんと麻生くんの話とか、隣の家の火事のたとえとか聞いていて」歴代の首相の歴々より安倍氏が優れているとは思えない。むしろ劣っていると思ってしまう)

十分審議を尽くしたというが、質問には全く答えていなかった。
相手の質問を繰り替えし、意味のない答えで時間稼ぎをしているだけに聞こえた。
特に中谷国防大臣のしどろもどろした返答では、矛盾や言い換えが続いて、
議会を何度も中断させた。彼にはこの職務の荷が重すぎたようだ。
(と言うよりもしっかりした決めごとが何もないのだから、
その場しのぎの答えをしていれば答えが変わってしまうのは仕様がないのだろう)

砂川判決を持ち出して前例が認められているというが、これは(解釈が間違えて捉えている事は脇に置いて)最高裁の判断を基にしているのだ。
にもかかわらず、今回の政府は裁判官が「違法だ」という事にしては、無視している。

何にもまして問題だと思うのは安倍氏がこの夏アメリカを訪問し「夏迄には集団的自衛権を決める」
と未だ審議もしていないうちに約束をしてきた。
事実上立憲主義なんか問題ないと思っているらしく、自衛隊への説明訓練は先に進んでいる。
安倍氏はもはや自分が言ってきた公約、
アメリカとの約束など自分のプライドの為にだけやっているようにしか思えない。

こんな事は前回の選挙で自民党が大量に票を集めた時点で分かっていた。
だから責任は自民党に入れた人にもある。
こんな日に自分も一言残したくてアップしました。

面白いのがネットに上がっていたので添付します。

「超大変だよ。この時代に立憲主義の否定なんて」"ヒゲの隊長動画"に反論動画
http://www.huffingtonpost.jp/2015/07/09/hige-douga-counter_n_7766354.html


「メカニックデザイナーの仕事論」

いま上野の森美術館で大河原邦男展をやっている。
行く前に読んでおこうと買った「メカニックデザイナーの仕事論」
大河原邦男著 を読み終えた。

先日これを読みながらサ◯ラ◯ズの打ち合わせに行き、
「皆さんもうこれ読みました」?
と聞いたら、誰も読んでいない。逆に、
「樋口さん今からそんな物読む必要あるんですか」?と質問された。

実際の中味はよく知らない事ばかりで、
「私が心がけているのは、たとえアニメの世界であったとしても
「嘘のないデザイン」をすることです」
と、大河原さんは書かれています。

僕は最初の頃はそこまで意識していなかった。
新国立競技場のザハさんと同じで、(いや偏見ですが)
「こんな面白い物を考えたので、あとはお願いします」
と言った感じだった。
僕は玩具のデザインしている延長で
アニメの仕事を引き受けたのでその違いもよくわからなかったのだ。
だから描いている物は物で絵ではなかったかも。

大河原さんがこの本の中でも、
「私はわりと早い時期から「玩具とアニメの関係」は
とても大切な物だと感じていました。
そんなことを言っていたのはサブマリンの樋口雄一さんと
ぬえの宮武一貴さんなど数える程しかいませんでした」
と言ってくれている。ありがたいことだ。

アニメをよく知らなかった当時は、
入り口を間違えたかな?と思ったこともあったが、
この入り方が自分の今を支えているのだと思っている。

大河原さんは最近では人生の残り時間を計算して、
「好きなことをやろうと」家の横にファクトリーを
作り、自分の一番好きな「もの作り」を楽しむそうだ。

私も今迄流されるままにいろいろとやってきたが、
大河原さんに刺激を受けて
「なぜこの仕事をしているか」?
もう一度真剣に考えてみようと思う。


お友達の条件?

つい先日(8/27)柏ビジネス交流会があって行ってきました。
まだ二回目ですがこの会自体はもう42回だったかな?
その位回数を重ねています。

毎回50人前後で、そのうち半数はリピーター、
残りは初参加の人を優先的に選ばれているようです。
柏の起業家が集まって名刺交換を行う異業種交流会です。
私は7年前フリーになってから、
今迄何度もこの異業種交流会に参加してきましたが、
一度もビジネスになりそうな事はありませんでした。
なので、この会を私は友だち作りの一環で参加しています。

当然一気に名刺を沢山いただくのですが、
翌日には名刺を見ても名前と顔が思い出せません。
もともと人の名前を覚えるのが苦手でした。
やっとリーダーはどこにいても見つけられるようになりました。(笑)

学生時代の友だちでも毎日一人か二人づつ覚えて、
卒業する迄には全員と友だちになりました。
(はい、少し大げさに語っています)

社会人になって、プレゼンに行って数人と名刺交換しても、
メインで話していた方くらいしか覚えきれませんでした。
なので、私は最近メールに自分の写真を貼付して出す事にしました。
そしてメールは出しても帰って来ない人のアドレスは登録しない事にしています。
名刺交換をして返事をしないってなんだよ?と思ってしまうからです。

あとこれは基本?だと思うのですが、(私の考える)
フェースブック等の申請に一言も挨拶の無い人には、
認可しないことにしています。
何かを頼む?求めるのに挨拶も無い人というのは、
自分の事は知っていて当たり前と思っているか、
誰彼構わず申請しているのだろうと思うからです。

たかがこのソーシャルネットワークの入り口ですが、
自分の感覚に合う人以外と知り合いになる気にならないだけです。
もし、心当たりのある人はどうぞその程度の私なので、
SNSの使い方も分からない、
なんと心の狭い奴だと思って笑って無視してください。

ちなみに今日は夕方7:00から
増尾の駅から1分の所にある(いってんばり)というのみ屋さんで
クリエーター(及び興味のある方)の集まる「柏〜◯◯会」をやっています。
参加者は下記アドレスにご連絡ください。

会費は1000円ですが、その代わりなんでもいいので一品持ち寄ってください。
ここは「持ち込み自由」の居酒屋さんですが「手羽さき」を売られているので、
できれば焼き鳥以外の持ち込みをお願いします)

携帯:090−4930−2805
mobill:mandalaweb@docomo.ne.jp
PC mail:mandala@kcf.biglobe.ne.jp


ニッポンのマンガ、アニメ、ゲームfrom1989

ニッポンのマンガ、アニメ、ゲームfrom1989
の展示会に行ってきました。
月一勉強会の一環です。

会期
2015年6月24日(水)~8月31日(月)
毎週火曜日休館
開館時間
10:00~18:00 金曜日は20:00まで
入場は閉館の30分前まで
会場
国立新美術館 企画展示室1E
〒106-8558 東京都港区六本木7-22-2
主催
国立新美術館
http://www.nact.jp/exhibition_special/2015/magj/
なかなか見所のいっぱいあるものでした。

入場料は1,000円だったのですが、
中を廻っている時すでにこれは情報量が多すぎて、
(特に年表やマンガアニメ・ゲームの紹介)
これは覚えきれないから、後で目録かカタログ的なもの
があれば買おうと思っていました。

出たところで手に取った本が2,500円しました。
ちょっと高いので一旦躊躇しましたが、
他のもの(フィギュアや雑貨やグッズ等)を見た所で
これは書籍を買おうと一気に決めました。
書籍は他のものと比べると(自分の価値観ですが)
情報量が多いのに安いなあといつも思ってしまいます。
(そのせいで家の中で本の整理が付かなくなっていますが)

そのカタログというか書籍は、
メディアアート国際化推進委員会編/国書刊行会
という所から出版されていました。
この業界にながくいるのに
余りにも知らないことが多いので勉強する為に買いました。

来月はギフトショーに行きます。


私の夏バテ対処法?

連日熱中症のニュースが絶えません。

先週(8/5)安藤久蔵さんのところに行って来ました。
(1911年生まれの104歳・現役のコーヒー豆の販売屋さん)
安藤さんの元気の源はなんでしょう?

お店の中にはクーラーも無く、
小さな扇風機が一台廻っていただけでした。
駅から20分程歩いて汗だくになってたどり着いたときには、
冷えた部屋を想像していた私は、
「がっかり」よりも「ビックリ」しました。
扇風機が熱風気になっているのです。

その部屋の中で焙煎をするので、
室温は40度以上になっていたと思います。
焙煎した豆を頼むとビニールの袋に入れてくれるのですが、
その時は(まだ冷めていなかったため)袋が溶けて
下にこぼれました。
そんな店の中で安藤さんは全く元気でした(笑)

安藤さんの元気には敵いませんが、
私の夏の対処方法としては、
(得意なので対処ではないような気もしますが)
夏から逃げない、夏を楽しむです。
(元気だから言っていられる気もします)
美味しい夏の食べ物(スイカ、トウモロコシ、枝豆、ビール・・?)
などをいっぱい食べて、
昼間しっかり汗かいて、夜(クーラーはかけずに)
ぐっすり寝るのが一番のようです。

夏の過ごし方は苦手な人にはこの夏の暑さは苦痛なのでしょうね。


槍ヶ岳

登ってきましたー。

友だちがです。
私は20代に雲取山に登ったのが山登りの最後です。
(情けない)

そんな中、同い年の友だちが、
昨日3日かかった槍ヶ岳登山から無事帰ってきました。

先週の土曜日に電話したら、
「今槍ヶ岳に来ています。最高!生きていてよかったー」
と叫んで写真を送ってくれた。

最近年配者の遭難が多くなったと言われる。
確かに山登りをする人は周りでも多い。

先ずは体力をつける準備(練習)してから
やってもらいたいものだ。
(私の知り合いはみんなやっています)


暑中お見舞い申し上げます。2(アトリエ便り)

皆さん暑い夏を楽しんでいらっしゃいますか?
私は森のアトリエで毎日楽しく過ごしています。

部屋にはクーラーも冷蔵庫もあり、
夏の季節を森の中で満喫しております。
ところが困ったことに、
ここにはいろんな人が集まってきて、
時々は宴会が開かれたりします。

絵を描こうと集中しているのに、
下から声をかけられると、
「ついチョットだけ」参加してしまいます(笑)

ここに集まって来るのは
こうした地元の飲み仲間だけでなく、
(時々道に迷ってあげく不思議な空間に引き寄せられても来ますが)
今日は小学生が集まって
子供の夏休みの工作をやっています。

教えるのはここの富澤さん。
なんせ元大工さんですから道具が何でもそろっています。
竹とんぼを作るのに必要なグラインダーや旋盤もあります。

今回は大工道具を教えてから、釘の打ち方と
竹筆の作り方、竹とんぼ作り等をおしえます。
(私もタカラトミーの「そば打ち名人」を使った
失敗しないそばの打ち方なら教えられますよ)

皆さんも時には遊びに来てください。
その場で挽いた珈琲もお出しできますよ。
いまなら、いつでも冷たいビール冷えています。(笑)


なつだ〜!

25日はこんな格好で、
柏のビジネス交流会のパレードにも参加しました。

柄にも無く永井荷風を気取って本所吾妻橋辺りを歩いてきました。
(みんなには、とらさんを気取ったリチャードギア
・・・を気取っているように見えたようです)(笑)

漸く暑くなりましたが私は夏が大好きです。
最近はニッカの向かい側にあるスペース1033の
敷地の中にアトリエとして借りた一室で絵を描いています。

その部屋の下にいろんな人が集まってきます。
ある人はここの持ち主のTさんを訪ねて、
ある人はこの場所の不思議な雰囲気に迷って・・・

そして、集まった人達でときどき座談会
(昔の女性なら井戸端会議)が行われます。
その場所には業務用の冷蔵庫も冷凍室もあるので、
時々宴会にもなります。
(私もビールをいつも冷やして置いてあります)

みなさんも
休みには是非いらっしゃってみてください。
一歩踏み込めばいいところですよ(笑)
ビールも冷えていますよ〜。


台風一過?

台風も過ぎたのか?無くなったのか?
よく分からないけど、(千葉・柏は)
大した風もなく雨も上がったようだ。

最近打ち合わせ、あるいは普通に会話中に、
スマートフォンや、iPadを持ち出して
話の曖昧な部分を調べながら進むことが多くなった。
(私の話が特別曖昧だからか)これは凄いことだ。

昨日も柏まで営業に来てくれた友だちが、
私の話を聞きながら、
場所や、人の名前を、盛んにチェックしていた。

そうやって見ると
世の中のほとんどの事が順次データーになって、
登録?されていっているということだ。

ちょっと昔のSF映画みたいな時代になってきた。
(このSFという言葉さえも無くなりつつあるそうだ)

曖昧なことが調べられたり、
知りたいことがすぐ分かることはいい。
誰が何を言ったか!?などもすぐに伝わる。

いい方向では今回の国立競技場の建設費が高すぎるという問題で、
白紙撤回まで追い込んだのは、
連日の反対意見がブログやニュースになって
政治家が無視することが出来なくなったからだろう。
(勿論もう1つの問題の世論の矛先を変えよう
と言うこともあるだろうが)

いい方向で?・・・今回の阿部政権が倒せればいいが。

庶民にとって便利なように機能している分にはいいが、
反体制側に廻った時には、恐い気もする。
街の中も定点カメラが設置されて、
立ちションも出来やしない。(しませんが)


御茶日和

昨日は本当に暑かったですね。
でも私はこの夏初めて、暑い中で仕事で
働いていたのでなんか「やった感」がありました(笑)

朝から版下データの納品があって
慌ただしい一日でした。

午前中→上井草→市ヶ谷というルートで廻りました。
市ヶ谷はキャラクターアート展の搬出で、
車で来ていた妻と待ち合わせて一緒に帰ってきました。

市ヶ谷からの帰りは妻とせっかく車できたのだから
「どこかで御茶でもしよう」
と浅草で車を停めたら、目の前に一松という
「料亭カフェ」がありました。
http://www.ichimatsu.co.jp

まだカフェを始めて4日目というところで、
それはそれは優雅な御茶タイムを味わいました。

更に車で南柏に帰ってくる直前、
何回か通る度に気になっていたベトナムカフェが
オープンしていたので入りました。
ご飯もお酒も飲めなかったので、
紅茶をいただきました。
なかなか雰囲気のあるお店でした。

仕事が一段落したため
ちょっとゆったりした一日でした。


7/13誕生日

やっときました誕生日、本日64歳になりました。

最近思っていたことなのですが、
果たして自分の人生は思ったように生きてこれたか?
環境に流されて生きてきたのか?と言うことです。
何とも中途半端な年齢(64歳)ですが、考えてみました。

幸い小さい頃から身体には恵まれて、学生時代はいじめられることも無く、
(私がいじめたかはよく分からない)
親の保護のもとお金で苦労することも無く、
(親が苦労していたかは分からない)
社会に出てもバブル期に入る時期で仕事は自由に選択できた。

かといって好きな業界で働けるかはまた別。
特に才能と起訴能力が必要な業界へは誰もが入れるものではありません。
(所謂スポーツ選手やタレントや芸術家それに起業家)
なので、誰もが努力すれば出来るデザイナーになった訳です。

最初は漫画家になろうとして上京。
漫画家がムリで(ちばてつやさんにアシスタントを断られて)
デザイナーになろうと思ったのですが面接で、
「デザイナーは無理だけどイラストレーターなら採用するよ」
と言われて採用になった。
ここまで考えても、出来ることを選んでいます。

それから、絵が描けるなら、企画も出来るだろうと、
(当時考えていることを先ずは絵にして、それがスケッチ)
いろんなものを描いているうちにロボットを描くようになり、
それがアニメ業界ではメカニックデザイナーと呼ばれた。
決してメカニックデザイナーを目指した訳ではなかった。
しかし、現在その肩書きのお陰で仕事をいただいたりもしている。
まあ、こうした(考えたり、作ったり、やったりする)ことは、
小学校時代から得意なことでありましたから、
好きなことをやりながら、次に気になることをやってきたと言えますかね。

そうやって40年もこの業界で(どの業界だ?)生きてきたのだ。
総括すると、方向は決めていたけれど、
その場その場で少しづつ流されて生きてきたと言えるだろう。
それは今後も続くと思う。
流されたとは言え、目標はあって、
その方向には進んで来たと思う。
そこで出会う人出合う人に恵まれていたことに感謝。

そして最初の自問自答に戻るのですが、
今後は好きなことを好きなだけやる事に絞って行こう
とは思いますが、まだ伸びしろがあるのではないかと思っている。
この辺りが悩みどころです。
しかし、普通に考えてクリエィティブな仕事ができるのは、
あと6年位と思っています。
いや70過ぎても絵を描いたり、近所や或は都内又は田舎で、
イベントをやったり参加したりはしているでしょうが、
一線で活躍できるとしたら70までかな?と思っている訳です。

イベントは儲けようとしていないのでいつも赤字ですが、
それは楽しいので覚悟してやっています。
決してイベントで食っている訳ではありません(笑)


憧れのまんがか集団展示会

5/19日は青砥、立石での打合せを終えて銀座に向かった。
バロン吉元さんの漫画家仲間達が集まる展示会があったのだ。

そこで、森田賢次さん(丸出だめおの作者に握手をしてもらった)
山根青鬼さん(・・・・あかおにさんのよたろう君は良く覚えているのだが、
当時は山根あかおに・あおおに、と覚えていた)
他には一峰大二さん(七色仮面やウルトラマン、黒い秘密兵器等々いっぱいあり過ぎます)
そのた大勢の方の原画が並んでいました。

オープニングパーティだったので
お酒も頂きました。

俺もこの人達の漫画家目指して上京してきた
当時の事を思い出して気分よく帰ってきました。


アトリエお披露目

ほぼ、スペース1033のアトリエが完成した。

昨日は南柏に住む、
友だちをアトリエに誘って
アイデア会議をお願いした。

本人が電車マニアなので、
「この窓いいですね」とか、
散々本体を褒めていた。

それでも無事アイデア出しを終えて夕方別れた。

今日は銀座に行ってきます。


相撲女子と飲み会

先週に引き続き今日もうどんの玄さんと会う予定。

名古屋から相撲女子が来るため
飲み会の場所が両国だったのだが、
本人がドタキャンしたため場所は未定になった。
「そんなら北千住がいい」と言っておいたが採用になるかどうか?
彼女が来れなくなった理由は聞いていないので分からない。

しかし飲み会はそのまま続行。
詩メルのメンバーが数人と「う・そ会」のメンバー数人が集まる。
「う・そ会」のメンバーとは、私が入るので「う・そ会」と言っているが、
実際は、玄さん・たかさん・剛さん・石川さんの
「さぬきうどんをみんなで美味しく食べる会」のほぼフルメンバー。
詩メルのメンバーは、中村さん・他・・・よく聞いていなかった(笑)

玄さんと会うのは
先週決めた7月4日足立区で行うはずだった「う・そ会」を
柏(スペース1033富澤さんの所)でおこなうことにしたので、
その打合せを兼ねて・・・・と言うのはこじつけで、
皆と飲みに行ってきます。

明日はデザインフェスタ、
誰か会える人はいないかな?


「う・そ会」誕生秘話

詩メル(詩とメルヘン)の人は、知っていると思うけど、
う・そ会は「やなせパーティ」が、
無ければありえなかった。

やなせさんの誕生会の二次会で
となりに座ったのがキコさんと言う人で、
玄さんの「さぬきうどんを美味しく食べる会」に
誘ってくれたのだ。

それから、何度か「さぬきうどんを食べる会」に
参加しているうちに
玄さんと「一緒にやってみよう」と言う事になり、
第一回を我が家で行ったのだ。

その時の参加者は、「詩メル」のメンバーだけだった。
20人くらいで、これ以上は我が家では無理だ、
と言うことになって翌年から竹の塚のイベントホールでやるようになったのだ。
(ここからは毎年100人前後となる)

しかし現在も「う・そ会」を続けていて、
引き合わせてくれたのがやなせさんだとすると、
やなせパーティが無くなった今
基本に返って「詩メル」だけの「う・そ会」もあるかも。

そんなとき玄さんが名古屋から埼玉に来て「うどん会」を開く事になっている。
明日行って今年のスケジュールを打合せをして来るつもりです。


アトリエ兼趣味の城

最近、
「樋口さんのHP時々見ていますよー」
と言う人に会う事や、メールを頂く事がある。
なので、そうした人の期待に応える為にも(笑)
なるべく頻繁に更新して行こうと思います。

いやあ、曼陀羅webは一般の人が、
どのくらい見てくれているのかが全く分からないので、
たまにそう言う言葉をかけて頂けると嬉しいのです。

で、最近の私の活動は、
柏のニッカウイスキー工場の向かい側にある、
スペース1033と言う場所を借りて、
そこをアトリエにすべく改良中です。

その場所には元々3両の車両がありました。
元々は電車それがブティックとして使われ、
最後にここに流れてきたのだそうです。

私はその電車の車両一両を借りて
そこを物置兼アトリエにすべく作業をしています。
昨日から、かなり本格的に本を運んでいます。
しかしこれがなかなか進まない。

要は本が多過ぎるのですが、こればっかしは仕様がない。
1000冊〜のゴルフ本は、
この量だから意味と価値があるのであって、
これが10冊や、二十冊ならもう捨てている。

それができないからこの場所を借りたのだ。
だからまあ、あまり急がずに気長にやろうと腹をきめた。

ここをアトリエ兼「趣味の城」にするつもりだ。
置くのは勿論メインはゴルフの本。
他には、そばの本とそば打ちの道具。
更には油絵のキャンバスと作品と位にする。

仕事はこれからも家でやるが、
アイデア出しとかはアトリエでもできる。
スペース1033へ行く機会はますます増えそうだ。


ビッグサイトでオーサさんのトークショー。

先日クロアチアに行ってきた話しをしましたが、
今日はその話しではありません。

その日飛行機に乗り込む前に立ち寄った
成田の本屋でオーサさんの漫画が出ているのを知り
買って読みました。
彼女とは昨年の6月からの知り合いで、
キャラクターアート展で知り合いました。

知らなかった・・・訳ではなさそうで、
何となく知っていたような気もする・・状態。
メールを読み返していたら、
ちゃんと告知してしてありました(笑)

その彼女に本を買って読んだという証拠写真を送ると、
とっても喜んでくれて今2巻目を製作中との事でした。
その彼女の事はアメブロを見ている人には、
知っているのが常識みたいです。

そして本日はビッグサイトやっているコメティアで
彼女のトークショーがあると言います。

スエーデン人の漫画家(アメブロ一位も記録)でも珍しいのに
彼女は美しいのです。
彼女は可愛いと言われるより美しいと言われる方を好みます。
TVに出てもきっと人気は出ることでしょう。
本人も行っている通り問題は年齢(約30?)

先に知っていればそう言う選択肢もあったモノを
少し残念でした。
本日は足立区の竹の塚に行く予定をしていましたので
ビッグサイトにはいけませんが。

ですが今年六月のキャラクターアート展には、
彼女と妻と一緒に出展します。
詳細はまた今度。


事務所を借りる事に。

昨日、物置の本の整理をしていたら、
多過ぎるのともったいないので収集がとれなくなった。

人の物は衣料でも本でもゴミだが、
その人には懐かしい思い出や捨てられない意味がある。
と思う。

私にとってゴルフの本1.000冊以上は、
青春の思い出と辛い時期を乗り切った自分の過去が詰まっている。
そして、私にはその「ゴルフから受けた恩を返す」仕事が残っている。
(ゴルフには「借りた恩は借りた物に返す」というこの言葉がある)

コンテナを借りようとおもったが、
先ずは地元の人に相談しようと
スペース1033の富澤さんのところに行った。

結局そこで電車の一両を月二万円で借りる事になった。
そこは小さな元電車だが、物は全部入れても半分以上は余る。
なのでそこを仕事場兼アトリエ兼物置にする事にした。
本は片側全部並べても余るくらいだ。
本は箱の中に入っていると再読する事も難しいが、
本棚に並んでいると資料として使える。

そして6月のキャラクターアート展の出品作品他
どんどん作品を作って行こう。

先ずは今日は整理した本を捨てる事と、
銀座(ひろ子の二人展添付写真)で待ち合わせ。
仕事の相談に行ってきます。


帰ってきました。

クロアチアに4/9日から19まで行っていました。

15日までドブロクニクのアパートで毎朝絵を描いていました。
ドブロクニクを出たのは
14日のボスニアヘルツゴビナに行った時だけです。

15日からはザグレブのアパートに移り、
そこから4/19帰ってきました。

簡単には紹介できませんが、
本当にきれいな所でした。
絵を描くうえでは何ヶ月ここにいても飽きない場所だと思います。
素晴らしいのは360度が同じレベルの風景な事です。

ただし、20年前まで戦争のあった処ですから、
彼方此方にその爪痕が残っています。
それは大砲のあとであったり、
人々の生活であったり・・・。

それと、安全面ですが、
私自身は全く不安を感じませんでした。
しかし、物を置いて場所を離れてはいけない、
と言うことを強く言われていて、
日本に帰ってきたときはホッとしました。

やっぱり日本は誇れるところがいっぱいあります。
安全面もですが、
70年戦争のなかった日本は凄い。
戦争ボケをもっと世界中に広めていきたいと思います。


いよいよ明日(4/9)クロアチアに出発

ようやく明日となったクロアチア旅行だが、
昨日クロアチアをネットで調べていて
分かった事は、言葉が全く通じそうもないと言う事。
(クロアチア語)

英語でもそんなにしゃべれる訳じゃないのに、
クロアチア語では、お手上げだ。
コミュニケーションがとれないと、
なかなか旅行は楽しめないんじゃないかな?
とちょっと心配もある。

そんな事もあってちょっと不安になり、
計画を立てている妻に予定をさっき聞いた。
それによると今回はホテルではなくアパートを借りたそうだ。

前からヨーロッパの朝市に行って食材を買い
アパートメントで料理をするのを一度やってみたかった。
今回はそれを試すという。
全く言葉の事なんか気にしていない様子。

まあ、ヨーロッパ旅行は俺の初めてなのに対して
妻は何度か行っているので俺は従うしかない。
(本当は1人でゴルフに行きたかったのだが、
 昨今の状況を考えると別行動は控えた方が良いかと思って自粛した)

だから考えを改めて、
せっかく景色と食べ物のおいしい所に行くんだから、
それを楽しもうと思った。
食べ物と景色とかは非常に評判も良く
(載っている写真も)美味しい物はふんだんにありそうだ。
プロシュートが美味しいとか言われているので、
それを買い込んで、やはり評判も良いワインと一緒に
飲み食いを堪能して来よう。

昼間っから酔っぱらい
絵を描いて来よう。


YouTubeの広告で思った事

平日の早い時間や、土日は朝起きるとまず
YouTubeで音楽を聞く(かける)事にしている。

気分によって(&状況によって)クラシック(一番仕事が進む)
JAZZ(ボサノバ含む)や映画音楽などの楽団音楽
(ともにインスツルメンタル)
それからJ-POPや懐メロもたまに聴く。

すると、さいきんは最初にCMが頭についている事が多い。
だいたいは「あと◯秒でスキップできます」
とか、出るのが多いのだが出来ないものも増えてきた。

そうした中で最近よく聞く(?目にする?)のが
茨城県竜ヶ崎第二高等学校の卒業式で歌う「Mai J」の歌う歌だ。
もっとも「Mai J」の歌は覚えていないのだが、
記録映像としてこれは楽しめる。

映っている人の肖像権とか考えたら、難しい問題もあるのだろうが、
本人達の許可さえOKであれば彼ら彼女らにとっても
凄くいい記念になるだろう。

そこで思ったのは、
今年の3月1日の卒業式がその月に放映?されるなんて
デジタル時代でなければありえなかったはず。
ほとんど季節広告は1年前から撮りためて
編集していたアナログ時代と比べたら凄い進歩だ。
(あとauの心温まる新生活応援CMも良かった)

でも、しっかり見てしまうとまた飽きてしまう。
いちいちスキップするのも面倒なのでそのままにしているが、
その内またCMをスキップするソフトなんかが
出てくるのだろうな。

このソフト業界に入る人は
「やっと自分が思い付いたソフトが、
自由に開発できる時が来た」
と思っているのだろうか?

いままで、反射ゲームだけやっていた人には
そう多く望めないが、
あんなもの作りたい、こんなものを作ってみたいと、
イメージがあってこの業界に飛び込んだ人には本当に良い時代になった。
楽しいCMとともに便利で世の中の役に立つ面白いものを期待したい。


今日から1ヶ月クロアチアに行ってきます。

昨日書けなかった、エイプリルフールの一行分です(笑)

本当は4月九日から翌週いっぱい(19日迄)です。
こんな状況で行っていいのか?
と思う事はいっぱいあります。
世界的に時期や事件が起きて不安な状況や、
仕事の流れ的に不安な状況や、
我が家の経済的に不安な状況等々
考えていてもきりがないので、
ここは1つ夫婦で行くのは今がチャンスと思う事にしました。

もっと年を取ったら行くのは面倒になるし、
動くのが辛い状態で海外旅行してもつまらないので、
このタイミングが一番いいかなと思いました。

しかしここで何度も取り上げた、
安藤久蔵さんが85歳まで世界の山に登っていた
と言う話を思い出して
なにもそんなに思いつめる事はない、
単に今回はくじに当たった褒美で行くだけなのだからと思う事にしました。

今日は柏の桜も満開です。
さあ、張り切ってプレゼンに行ってきます。


朝◯◯TV

先週の話になるが、
上井草のついでに西荻に行って安藤久蔵さんの
ところに行ってきた。
(安藤久蔵さん2月4日で104才)

2/4日が誕生日だったので(電話ではお祝いを伝えていたが)
お祝いも含めて行ってきたのだ。
相変わらず元気だった。
3月のハイキングにも誘われた。
今月から毎月山にいくのだそうだ。

お店に入ったときに
「では、また連絡します」と出て行った人は、
朝◯◯TVの人だった。
安藤さんに出演依頼をしてきたのだという。
安藤さんは当然その番組名を知らなかった。

そうだろう、そうだろう、マスコミの人達よ、
今のうちに中国侵略の事とか当事者が、
生存しているうちに聞いておいた方がいい。
と思って聞くと正しくそうだった。

たが、安藤さんは
「あんな人殺しの話、あんまりTVで話したくない」のだという。
そうだろうなあとは思うが、
「今その話をする事はすごく大事な事だから、
出来ればしっかり話をして欲しい」
とお願いだけしてきた。

今は思案中だというが、
104才のリアルな証言を期待したい。


業界話

昨年暮、知り合い(と言っても大先輩)2人が癌で入院した。
そのうちの1人の方(仮にFさんとしておこう)が、
手術も終って退院し、
リハビリ期間も終ったのでお茶でもしようと
3人で上野で待ち合せた。

3人とは、
「Fさんに会いたいので連絡先を教えて」
と連絡してきたMさん。
その三人でルノワールでお茶をした。

(もう1人のKさんは、驚く程元気で、
治療中の正月に病院が休みになったとき「自宅に戻っても良い」
と医師に言われたので一旦帰ってゴルフに出かけ、
ハーフ30台を出して話題になった)

Fさんは思ったより元気でホッとした。
聞けば16キロ痩せたのを、6キロ減くらいに戻したのだという。
彼の口から語られるのは、
モンテソーリーやフレーベルやシュタイナーのこと。
「玩具に携わる人間は知識と技術と研究欲がなければダメだ」、
「経営者は幾らでもいるが、意欲を持った技術者、研究者がいないのは不安だ」
とある玩具会社を心配していた。
この情熱があれば、全然問題ない。

一方もう1人のMさんは
「今月いっぱいで今迄いたゲーム会社を退社します」と、
これからの事を聞くと、
「やっぱり、玩具が好きですから、出来れば玩具をやりたい」。
しばらく就職活動が続くようだ。

ここに玩具馬鹿が三人揃っていました。


私に笑撃を与えた妻の一言(No2)

もう大分昔の事だ。

結婚して三年ほど経って家も狭くなった頃
近所に一戸建ての物件があって見に行った。

するとまだ内装はこれからなので、
「今ならある程度の要望に応えられますよ」
と言うので買う事にした。

引っ越してほぼ荷物も片付いたころを見計らって
妻の両親がお土産を持って新築祝いにやってきた。

その時、妻がとっていた行動は「新築の家の改良」だった。
その部屋は元々和式だったのを
妻がフローリングにしてもらったのである。

押し入れをクロゼットにしてコートを吊せるように、
真中の段をのこぎりで切っている真っ最中だったのだ。

それを見たお父さんが、
「裕子何てことをする!
そんな事をしたら家が壊れるぞ!」と叫んだ。

それを聞いて妻が一言。
「こんなことで壊れたら、クーリング・オフで即返却だ!」


私に衝撃を与える妻の一言(No1)

昨年我が家は2世代続いたゴルフワゴンから、
ホンダの軽に乗り換えた。

税金も安いし、ガソリンの消費量は大違い。
毎日の足代わりに使うには快適である。

内部空間も運転席に座る分には狭さも感じない。
私が後ろ座席に座る事はないのでいい感じである。

しかし、
ゴルフバッグのフルセットが入りづらい。
車内巾が微妙に狭いのだ。

その車で妻と先日近所のスーパーに行った。
その時間は混んでいて屋上のパーキングに止めることになった。
トヨタのクラウンかなにかと
ベンツの間にバックから突っ込んで、
ツラを合わせて止めた。

車から降りた妻が一言
「見栄はったの?」


ギフトショー

毎月一度なにがしかのイベントに出かけている。

それは昨年から友だちと一緒に勉強会として、
始めたものだ。

我々フリーの人は情報が無くなりがちだ。
その為に自分に義務づけて勉強会をしなければならない。

と言うのは昔、イラストレーターの尾崎慎吾さん
(ななはん・アニメーターでもあった)から教わったこと。
彼は4人の同業者と
毎月だったか二ヶ月に一度だったか?
その四人がその日のテーマにふさわしい人を呼んできて
飲み会をしながらその道の専門家の話を聞くと言うものだった。

ある日は日本の先進医療の話だったり、
ディズーニーの話だったり。

そこまでは未だいかないが、その精神は受け継いで、
毎月一回でかける事にしたのだが、
今日、この雪の日になってしまった。

完全武装をして、
気合い入れて行ってこよう。


寒中お見舞い。

我が家は年賀状を出さなくなったので、
寒中見舞いを作って先週末メールで送った。

BCCで送ったので何百人かに送ったと思うが、
返って来るのはほんのわずかだ。

年賀状でもそうだが送るのは一方通行だから、
相手が見ているかどうかも分からない。

メールも同じ事で返って来て初めて繋がっていると感じる。
今日はそんな返事が帰って来た人に会いに行ってきます。


今週の予定

今週の予定
今日は夕方から友だちと飲み会。
4日は告別式。
5日ギフトショー
7日柏アミュゼでおやじイノベーション
8日は元部下の赤ちゃん初見

私の仕事は毎日アイデア
ネタを見つける事。
毎日いつでもどこでも捜しています。

毎日チェックしてます。
タウン誌、
チラシを眺めながらも
本屋に行ったり、
人に会ったり、
歩いていても、
走っていても、
電車に乗っても、
風呂に入っても、
トイレに入っても、
酒飲んでいても、
寝ていても、

時々凄いもうそうする瞬間があります。
ランナーズハイみたいなものですが、
そう言うものは具体的に絵にしていくと
結構難しい問題がある事が多いです。
でも、この仕事は(作業も含めて)
こんな事が大好きです。

アイデアは出るときには、
出て来ますが、
出ないときは出ない(笑)
誰か助けてー
玩具に雑貨にアニメに、
いつでもアイデアは募集しています。


今日のお出かけ

今日の打合せは上井草です。

帰りはまた西荻に行って
コーヒー豆買ってこようかな?

昨年末気がついたのですが(今頃?)
この曼陀羅webも最低1週間に1値度くらいは
更新をしないといけないな、と。

と言うのは、
昨年辺りから時々「曼陀羅web時々見てますよ」
というメールやお言葉を頂いていたのです。

そう言われると嬉しいもので、
俄然やる気になるものです。
このHPは書き込みもコマーシャルも無い状態ですから、
反応もよく分からないのですが、
名刺は毎月いっぱい配っています(笑)

なにせ、
「袖ふれあうのも何かの縁」と言いますが、
私の場合
「となりに座るも何かの縁」と思っていますので、
椅子に座った時、隣の人に興味があったら、
すぐ話しかけます。
皆さん気を付けましょう(笑)

名刺をいっぱい配ると言う事は、
その時だけでも見てくれる人がいる。
とも考えられる訳です。

そう言う人がいつ見ても同じだったら見なくなりますよね。
そんな事を考えたら、せめて
樋口雄一の気まぐれブログで
「今日の動き」程度の軽い文章を
書いていきたいと思います。

※たまにはメールで感想やあなたの近況を教えていただけると嬉しいです。


あれ?休館日!。

昨日は上野の科学博物館のヒカリ展を
知り合いの女性と行く事になっていて、
張り切って行って来たのですが、
・・・休館日でした。(ハハハ)

更に携帯を忘れて、早くついたにもかかわらず、
待ち合わせ場所の改札から動けず、困った。
(幸い暖かかったので助かった)

気を持ち直して、芸大卒業生の卒業制作展を鑑賞。

その後、谷中まで歩いて、開いている店をぶらついた後
彼女の知り合いの店(芸大出身者が集まってつくったという)
レストラン?カフェに・・・
ところが谷中も月曜日は休業店が多いのです。
ここも、あそこも、みんな休業日でした(笑)

仕様がないので開いていたイタリアンの店に入り、昼食。

食事した後、日暮里まで歩いて、談話室◯◯で打合せ。
(◯◯は店の名前、忘れた。古くからある古典的な喫茶店)
ここでの打合せは結構実のあるものになった。
それで良しとしよう。

来月はビッグサイトのギフトショーで会う約束をして別れた。
フリーの我々にとって、何も仕事の予定が無いのは不安だ。
1つでも仕事に関する予定を作って
動き回る事で不安を解消するするしか無いのだ。
(彼女も同じ様な事を言っていた)


今日のお出かけ

今日は上野科学博物館でやっているヒカリ展に行って来ます。
http://www.kahaku.go.jp/exhibitions/ueno/special/2014/hikari/
毎月やっている恒例の勉強会の1つです。

幾つかにた様な事をやっていますが、
彼女と行ったあとで一番多くのヒントがあるのは、
やはり昔仕事を一緒にしていた
(昨年までクライアントでしたが、いまは同業者&ライバル)
だからと言うことでしょうか?

いまは協力しあっています。
今日はその打合せも兼ねて、
寒いですが負けずに行って来ます。


昨日のお出かけ

昨日は妻と2人で都内にお出かけ。

日比谷にあるカタール航空へ行って来ました。
昨年末、知り合いの方からクロアチアのクリスマスパーティに招待され、
そこで、クロアチア行きのペアチケットが当たったので、
その確約とチケットを頼みに行って来ました。

ほとんどチケットを頂いたと言っても良い、
ここの支局長Mさんもいらっしゃったので、お礼も言えました。

帰りは、銀座に行ったら絶対食べるWestのシュークリームを
カフェオレと一緒に頂きました。
ここのシュークリーム(カスタード)は最高!
しかしお変わり自由のカフェオレを2杯飲んでお腹ちゃぷちゃぷ。

そしてここも銀座に来たらまずスルーできない伊東屋と、
Mac館にさらっとよって、博品館へ。

博品館ではアイデアのネタ(アニメ)の資料で使おうと思っている
玩具を捜してようやく買いました。
さすが博品館です。何でもあります。
柏ではいくら捜しても無かったのですがすぐ見つかりました。
(高島屋、ビッグカメラ、ヨーカ堂、他)
しかし残念なのは店員に聞いた時「生憎いまうちにはありません」
と言われたのです。未だ若いので仕様がないのかな、
あるいはメーカーからのお手伝いで来ていて分からなかったのかも。
・・・でもやっぱりそれではダメですね。

その後ギャラリー「ゆう画廊」に行って(知り合いの参加している)
「花の絵展」を覗いて帰って来ました。
昨日は金曜なので知り合いの方はいらっしゃらいませんでした。
1/15~24迄開催中!!

南柏に戻るともうPM8時なので、駅近のラーメン店[ぽーかろう」へ。
(普段はこの時間なら家に帰って食べるのですが、
この日は母から「食べて帰って来るように」と連絡があったので。)

南柏は本当に気に入ったお店が少ないのですが、
(本当に少なくお気に入りは3〜4軒しか無い。)お気に入りのうちの1つがここ。
ここのラーメンは全て創作ラーメンなのですがどれも美味しい。
そして、何を食べても後悔した事が無い。
昨日も店を出た後
「やっぱり美味しかったね」と褒めあいました。

ま、そんなに南柏で外食する事は少ないので、
2〜3軒お気に入りの店があれば十分か。


山本高樹さんと永井荷風と安藤さん

先日、柏の高島屋で「昭和幻風景」(ジオラマ展)があった。

開催時に行って来て近所の友達に、
「あれは絶対見に行って来た方がいい」と
強く進めた人(モデラー)が行って来た。

「独特の世界観は本当に凄いですね~
鉄道模型の良く出来たジオラマとは全然別ものでした!!
いや~ビックリしました」。
と、興奮気味のメールをくれた。

山本高樹さんと知り合ったのは、2009年の向島アート展です。
準備で動き回っていた時、
「私の作品もどこかで展示していただけないですか?」
と連絡があって、当時浅草の展示会場に作品を見に行った。
(結果「東向島珈琲店」に展示させていただきました)

その山本高樹さんの展示図録(山本高樹作品集)を持って
一昨日西荻窪の安藤さん(103才珈琲豆屋)
の所に行って来た。
見せたところ「あ、ヒモが載っている」
永井荷風は当時、学生からヒモと呼ばれていました。
安藤さんはそのヒモの講義を直接受けた人でした。

また1人繋がりました。(笑)


懐かしい家

先日西新井の借家に新しい人が決まったので、
内装を確認しに行って来ました。
ここは結婚して初めての家で、10年近くいました。
懐かしい思い出がいっぱいあります。

その当時の事を妻と話してみました。
すごく面白い事だったので書いてみますね。

(妻)
ここに来た人は変わりモノが多かったね〜
あさっぱらから水業始める人
家に上がっていきなりリバースする人
通りすがりのイラン人
夕方、道でこんにちはと挨拶したが最後翌朝まで家に上がり込んで飲んでいく人
あ〜
そういえば
10十畳ほどのリビングに20ほど人の人が上がり込んでの飲み会とか・・・
二重の車座になってインディアンの儀式状態だったねぇw
三件先の家が放火されたり
家の脇を泥棒が駆け抜けたり
いやいや下町炸裂でしたね。

(俺)
確かにいろんな面白い人達がいたね。
>通りがかりのイラン人はルイーズコルドバッチさん
上野で会社を出たところで突然声をかけられたんだ。
「明日、彼女に会うんだけど風呂に入っておきたいんだ」
と夜中の1:00頃声をかけられて、その時間にやっている銭湯は無いからと
家の風呂に入れてあげたんだ。
義理堅い人でその後でお土産もって彼女と挨拶に来たね。

>夕方、道でこんにちはと挨拶したが・・・
ああ,思い出した、「寅」と呼んでいた人ね。
(あんまりいっぱいいろんなことがあったので忘れていた)
彼は中でも不思議な人で、駅で出会うと家まで荷物を持って
くれたり、家の前を行ったりきたりしながら、
呼びかけられるのを待っていて、
声をかけると上がってきて、珈琲を出そうとすると、
「ああ、いいです気遣いしないでください」といいながら、
ポーチに缶ビールを仕込んでいて、
それを飲んで朝までいたっけ?

他にもいっぱいいたけど、
今頃どうしているんだろう?
(勿論この中で、今でもお付き合いしている人もいます(笑))


浅草寺の母子地蔵

先日年始の挨拶回りの途中
表参道から青砥に向かう途中、
地下鉄で浅草に出て浅草寺に寄ったのでありました。

目的は
昨年暮れキャラクターアート展を主催される
龍まんじさんこと漫画家のバロン吉元さんからお聞きした
ちばてつやさんがデザインされたと言う
母子地蔵をお参りするため。

バロンさんの説明ではちょっと分かりにくかったので、
雷門の脇にある交番に聞いたのですが、
ここでもさっぱり分からず、
向かい側の案内所に行って、
いろいろ聞いてもらって漸く捜せました。

この像は満州から引き上げてきた漫画家仲間が、
同胞の為に立てようと言う事です。
(母子像の顔をちばさんらしい優しい表情が出ています)

会員には、
ちばてつやさん、バロン吉元さんの他には(以下敬称略)
森田 拳次(丸出だめ夫)赤塚不二夫(おそまつくん)、
上田トシコ(フイチンさん)、北見けんいち、古谷三敏、
高井研一、横山孝雄、等々
私が漫画を読み出した頃(小中高校正頃)に
大活躍された方々が非常に多いので驚きました。

現在も先生方は毎年決まった日に、
ここに集まってお参りしたあと、
皆さんで食事会(飲み会)をしていらっしゃるそうです。


2014.12.14第47回衆院選

昨日は選挙だった。
私たちは投票には4日前に不在者投票ですましていた。

俺は頭が悪いから人の事をあまり馬鹿とか言いたく無いが、
え?と驚く言い分だったので言う事にする。
行った人と行かなかった人の言い訳である。

「信頼できる人がいない」
「誰に入れても一緒だから」
「自分の一票位でどうにもならないから」
「政治に興味がない」等等等

これらの人に「ばかか!」と言いたい。

入れたい人がいないとか言う人、
まず、本当に当選させたいと思う程、
その人の政治感及び性格を知っているだろうか?
親戚や友だちが立候補している以外あり得ないだろう。

そう言う意味で言うと大体が適当なのだ。
政治家自身が寝返る場合もある。(沖縄仲井眞知事)
選挙違反を犯す事もある。(小渕優子元大臣)

なのに、有権者は何を考えているんだろう?
そう言う人を落とす事で反省を促す事が出来るはずなのに、
お金問題で辞職した大臣や閣僚はそろって
何事も無かったかのように最当選を果たしている。

これらを見ると本当に国民の意識の低さを感じるが、
仕様がない。
選挙に行く人はお年寄りや保守系の人が強く、
人気者や昔から知っている人に投票するので、
なかなか新しい人は出て来れない。

これって、行かない人は、望むと望まないとに関わらず、
「今のままでいいです」
「いまの政治に満足しています」
って事になってしまう事を知らないのではないか!
おじさんはつい怒ってしまう。

選挙は自分の思った人を当選させるだけでなく、
させない為にも使えるのである。

沖縄を見れば分かる。
自民党は完敗した、国民がノーを突きつけたのである。
それは自分たちに身近な話だからと言う意見もある。

しかし、今回の選挙は消費税の引き延ばし問題で
国民に問う形?となっているが、
果たして本当にこれが対立軸になっているか?
そうとっている人がどのくらいいるか分からないが、
(いない事を願うが)
憲法改正や秘密保護法、社会保障問題etc
は人ごとではないはずだ。
これらの法案がそのまま通ったら(と言うことも無いとは思うが)
その原因は投票に行かなかった人の所為でもある!!
ってことを言いたかった。ふぅー。


同郷忘年会

今日は高校時代漫画家になろうと
新潟から上京してきた仲間との忘年会。

当初10人いたグループの仲間も上京と同時に
バラバラになり、
今でも定期的に付き合っているのは
アニメーター1人と、代理店の仕事からは引退して、
管理会社に勤める友だちと私の三人だけ。

もっとも最初からこの三人は仲が良く、
徹夜の「カン詰めごっこ」
(この頃の徹夜は楽しかったなあ)
をしたりしてお互いの家に泊まりに行っていた。

中でも我が家に泊まりに来るときの2人は
大はしゃぎだった。
いくら田舎でも無法地帯ではなかったが、
無免許でバイクを乗せてあげたり、
貸して田んぼ道を走らせてあげたりしたからだ。

夏には川に泳ぎにも行った。
水泳パンツも持ってきていなかったから
素っ裸で泳いだりもした。

そんな彼らと一年に一度か二度の集合だ。
あ、そうだ今度その当時のことを約40年前に漫画にしていた
友だち(現アニメーター)のコピーがあるので載せるね。


現創展

昨日は妻に誘われて、上野の東京都美術館へ。
http://www.i-jmac.com/2013/11/26/現創展/
いやー楽しかった。
とくにパーティのあとのお茶会では、
四人テーブルの向かいにバロン吉元さんが座ってくださって
一時間近くお話を伺うことが出来た。

色々複雑な所でちばさんややなせさんとのつながりも
確認できて本当に価値の主間を過ごすことが出来た。

現創展は11月26日から12月3日までやっています。
皆様ご存知の漫画家さんも大勢いらっしゃいます。
是非、足をお運びください。


北千住の八古屋

 足立区在住が永かった私は(30年)、北千住で多くの店長や、
(この店長はチェーン店ではないので文字通りこの店の経営者たちです)
そこに来る人たちと知り合いになりました。

 そのうちのお気に入りの1つがここ、八古屋。
素晴らしく楽しいお店です。
 いつも行けば、来ているお客の50%以上が知りあいの人という確率です。

 かといってはじめての人が入りにくいと言うことは無く、
はじめての人もすぐに仲間に加われる「乾杯システム」も人気を呼んで、
渋谷辺りからも話を聞いたという人が時々やってくる。

 この店が気に入って渋谷から北千住に引っ越してきたという人もいます。
知っている人がいつも居る店というのは、なんといっても心強い安心感があります。

 私が「柏をもっと面白くする会」(仮)で、
先日話した内容の1つのイメージになっています。
http://1010iemachi.jp/map/info/yakoya/

ぜひ、一度寄ってみてください。


西新井に行って来た。

西新井は結婚して最初の10年くらいを過ごした所。
いろんな思い出が残っています。

友だちを作ることもここで覚えました。

結婚するまでは、近所に友だちはいらなかった。
会社とクライアントと自分の周辺に友だちは沢山いたから。

結婚した当初、妻は毎日私を見送ったあと、
定期を持って実家に帰っていた。
お昼を食べて夕食を食べてから帰ってきていた。
いつも私が帰宅するのは11時過ぎ、その頃には戻っていた。
しかし、いつまでもこれはまずいな、
と思い地元にも友だちを作ろうと思った。

作り方は簡単。
(友だちを作ろうとしている方覚えておくといいですよ)
最初は地元のお店をあちこち行って
気の合いそうな人を見つける。

狙いをつけたら、
(私の場合はイタリアンレストランをやっていた店長のAさん)
そこに1週間、毎日通う。
出来れば同じ時間で人の少ない時間。
そこに行って少しづつ話をする。

1週間すると名前と顔を覚えてもらえる。
あとは週1回以上同じように行くと知り合いになれる。

問題はこの先。
町内会や、彼が地元で遊ぶときには何にでも一緒に参加する。
私の場合は、スキー、ゴルフ、野球、テニス、ボーリング、をやった。
さらに、クリスマス等店のイベントは必須だ。
すると自然に地元の彼の同級生が付いてくる(笑)

ちなみに彼はテニス部だった。
なのでテニス仲間は多かったが、ゴルフはやらなかった。
私はスキーで知り合った彼の同級生達と行ったのだ。

テニスをやる機会は多かったが、
柔道しかやってこなかった私は球技が下手だった。
(テニス卓球を馬鹿にしてきたつけが回ってきた)
それから二〜三年後、上手くなろうと思って
軽井沢合宿を自分で提案して行ったが、
張り切りすぎてそこでアキレス腱を切ってしまった。
(そこからゴルフ一本道に進むのだがそれは曼陀羅webブログで)

一年間十分に遊んだので、
年末に自分主催でクリスマスイベントをやったら、
彼の同級生が20人近く集まった。
私以外は彼の小学生時代から中学生までの地元の友だちと、
高校、大学時代の倶楽部仲間や、友だちだから全員6歳年下だった。

このグループをまとめるために当時流行だした
ワープロを使って「NPC(西新井プレイ倶楽部)新聞」も発行していた。

そのおかげもあって妻にも女性の友だちはかなり出来た。
日本酒の会(地元新潟の酒を手に入れてみんなで銘柄宛)
もやったが、このとき妻の「ひろこ」と言う人が6人もいて
ビックリしたこともある。

今でもその中の三人は「ヒロコーズ」として付き合っているし、
生涯で一番気の合う友だちができたと言っていたのも
この「NPC倶楽部」中の1人の奥さんだった。

勿論今でも西新井は友だちが多くて、
東京で一番落ち着ける場所かもしれない。
柏もこんな環境にしたい。


安藤さんとまたお会いしてきました。

先日仕事で上井草に行った帰りに
西荻窪の安藤さんに会ってきました。

安藤さんは86才のときに海外の山仲間
(ブラジルやコロンビアの人)から頼まれて、
フェアトレードの店アロマフレッシュという
コーヒー豆屋さんを開業しました。

今でも現役で、一人で仕入れから納品(自転車で配達)までされています。
いつ行ってもバイタリティーがあって
安藤さんと話をすると元気をもらいます。
それに話が面白い。
(なんせ芥川や太宰や小林多喜二と言った人が周りに登場する)

先日行った日は、
朝のTBSのラジオ番組で毒蝮三太夫さんとの番組に登場したそうで、
「朝から四人もラジオを聞いた、と言って来たよ」
と言っていました。
(三月にもこの番組に出たそうですが、
今度は三太夫さんからのリクエストだったそうです)
聞いた人いますか?

来年は友だちの娘(三歳の女の子)が四歳になったら、
(二月五日過ぎたら)誘って高尾山に登ってくれる予定です!!
何故四歳になったらというのかは、
「今までの最年少が4才の女の子だったから」だそうです。
今から楽しみ、
その時は一緒に付いていこう!!


入居者募集

西新井の貸家に20年近く住んでくれた方が、
が今月一杯で出て行ってしまいます。
定年で会社を辞められて田舎に帰るのだと言う。

なので今月一杯で西新井の一軒家が空きます。
(竹ノ塚ではないですよ)
どなたか借りてくれる方いませんかねえ。

15坪ほどの小さな家ですが、
二階の天井裏には?二畳ほどのもの入れ
(納戸)も付いていて
収納スペースは結構あります。

一番のいいところは、
西新井の駅から5〜6分くらいで、
その間にAEON MALLがあります。

かなり便利はいいです。
友だちと二人で借りるとかもいいですよ。
10月から入れます。
金額は要相談です。


何でも自分でつくろう!!

今日は
「毎月一回は一緒にイベントに行こう!」

と約束した元クライアントの女性と
幕張メッセに行ってきます。

今日のイベントは
JAPAN DIY HOMECENTER SHOW
http://www.diy.or.jp
ドゥ一・イット・ユアーセルフ展

面白そうですよ。
皆さんもどうですか?!


夏の定番

昨日の夜(8/10)から吹き出し始めた風は、
今(8/11 AM-4:00)現在も続いています。

9日から夏休みのところも多く、
仕事にはあまり影響がなさそうですが、
夏休みで移動する人にとっては大変なようです。

私はこの暑い8月に
田舎に帰ろうとは考えていません。
帰るなら9月です。

そんな中
いよいよ甲子園が始まります。
やっぱり夏はビールと枝豆と甲子園。

これがないと夏らしく無い。
が、
終ると一気に秋がくるのが寂しい。

皆さんの夏のアイテムは何ですか?


最近のネット問題で考えたこと。

最近ネットに関するニュースをよく聞きますね。
事件にまでならなくとも文章で意思の齟齬が起こる事は、
よくあります。

日本語はビジネス文書以外は、
あまりメールに向いていないのではないでしようか?
とくに口語文で書くツイッターやメールなどは、
幾らでも勘違いが起こる可能性があります。

日本語は主語を表記しなかったり、
イントネーションが伝わらないと、
意味がガラッと変わってしまうこともよくある。
それは知っている人同士でも起きるのだから、
知らない人との間では幾らでも起こる可能性がある。

なので、
私はフェースブックでも会った事のない人とは、
友だちにならないことにしている。

まして挨拶もなく申請をして来る人は、
(たとえ共通の友だちが30人以上いたとしても)
無視をしている。
それだけ、知らない人との付き合いは苦手だ。
ツイッターもする気がない。
わざわざ何で自分をそんなに自分を
忙しくするんだろう?と思ってしまう。

ところで、日本人のネット依存度は世界一らしい。
世界中の書き込みのうち70%は日本語だという。

会話まで文字でするようになったら、
それはそうだろうと思う、
が決して自慢できる事ではない。


暑さに負けるな、この人を見よ(笑)

昨日は上井草で打ち合わせの帰りに、西荻窪によってきました。
安藤さんのお店(コーヒー豆の販売店)
フェアトレードの店「アロマフレッシュ」
に顔を出したかったのです。
安藤さんはここのお店を86才の時開業されて、現在103才。

安藤さんが夏バテはしていないかと心配だったのですが、
「お元気でしたかー」と聞くと、
「俺は夏には強いよ、暑いのは大好きだからね」と
いい顔の色つやをしていらっしゃいました。

今でも月水金の週三日は自転車で
三軒茶屋、下北、笹塚、辺りまでは
自転車に乗って配達に行っているそうです。

元気の秘訣を聞くと
「特別なことはしていないが、
仕事で動き回るのがいいらしい」と云うことです。

元々安藤さんは山男でしたから、足腰は丈夫です。
記憶に残る山は?と聞いたら
K-2とのこと、
「山頂まで行けなくて引き返したから」と云うことで
記憶に残っているが、好きな山は?と聞かれると
「みんな」と答えるそうです。
「どんな山にもそれぞれ想い出があって、
あの山は誰々と行ったとか記憶にあるから
みんな忘れられない」という。

想い出と云ったら、何で奥さんが亡くなられたあと
再婚なさらなかったんですか?(50代だった)
と聞くと、「俺には山があったから」
「結婚すると山に行けなくなるからな」と。

あ、ちなみに富士山は70回以上登ったそうです。
清掃にかり出されてとのことでした。


「集団的自衛権」

「ハァ!?なにその反則技」若手弁護士300人が「集団的自衛権」閣議決定に抗議声明
弁護士を探す 憲法 法律 選挙 逮捕 派遣

集団的自衛権行使容認の閣議決定に対し、抗議する声明を発表した「明日の自由を守る若手弁護士の会」のホームページ
安倍内閣が7月1日に集団的自衛権の行使を容認する閣議決定をおこなったのを受け、「明日の自由を守る若手弁護士の会」は、抗議声明を発表した。
同会は弁護士登録から15年以内の若手弁護士約330人が所属する会。声明は、「政府が憲法の読み方を変えた、なんてありえないっつーの!」など、
若者言葉も交えながら、政府の閣議決定を批判している。
声明の全文は次の通り。
●解釈改憲?ハァ!?なにその反則技。私たちは立憲主義も民主主義も手放すつもりはありませんよ声明
本日、安倍政権は「憲法9条の下でも集団的自衛権の行使は容認される」という憲法解釈の変更を行い、従来からの「自衛権発動の3要件」に
代わる新たな「新3要件」を閣議決定しました。明日の自由を守る若手弁護士の会は、この解釈改憲に強く抗議します。
1.政府が憲法の読み方を変えた、なんてありえないっつーの!
 集団的自衛権の行使は、イコール「他国間の戦争への参戦」。「戦争放棄」「戦力不保持」を宣言する憲法9条を、どう逆立ちして読んだところで、
他国間の戦争に参加してもいい、なんて読めるわけがない。読めないからこそ、9条を変えたいってずっと言っていたジミン党の長期政権の下で、
「自衛隊は戦力ではない」「武力行使をしないからこそ自衛隊の海外派遣が許される」という解釈が強固なものとして積み重なってきたのです。
 それなのに安倍政権は、別な読み方をすることにしたんだっ、と腕力でねじ伏せる感じで、解釈を変えたのです。 
 でも、今まで、集団的自衛権が使えなきゃ日本の未来オワタ、やっぱり戦争放棄はナシで、国家の都合で人を殺せる国になった方がいい、
なんて国民的世論になったことがあったかなー??国民全体がそれを望む現実があるのなら、国会議員も代表者として真摯な議論を重ね、
憲法96条の手続にのっとって憲法改正すればよいだけです。
 そう、だってこの国は、民主主義国家だから!どんな国家へ歩むべきか、それを選ぶのは私たち主権者国民です。そして私たちは時の権力が
決して暴走しないようコントロールするために、憲法を権力に突きつけ、縛っているのです。どんなに「信念を貫くオレ」に酔っていようが、
どんなに「民意」をウザく思おうが、「縛られている」側の政権が独断で憲法の読み方を変えるなんてことが、許されるわ・け・が・な・い。
 現政権は、まさに禁じ手を使って、この国の立憲主義を破壊し、民主主義を終わらせようとしています。 
2.そこにあるのは情念だけ(民主主義が、お嫌いなのね) 
 現政権に、ナチスを真似ようって言ったり、抗議行動をテロと言ったり、「民意」への敵意(おそれ?)があるからこそ、物言う国民を逮捕して
民意そのものを育たなくする特定秘密保護法を作って、さらに自分を縛っているはずの憲法をめちゃくちゃに読み替えちゃっているような気がします。
 理論も科学もないから、笑っちゃうほど空想に近い非現実的な事例ばかり並べ、これに(集団的自衛権の行使で)対処できなければ日本は滅ぶ!
かのような脅しを繰り返すしかなかった。つまり、民主主義も、理論的な議論も、誠実な対話も嫌い、情念だけで政治を動かす政治家が、
国民投票で勝てないって分かってるから憲法改正手続を踏まずに勝手に読み方を変えた。情けないけれど、これが「真相」です。
3.早く立ち上がらなきゃ。まだ、閣議決定だけだから。 
 今、悔し涙を流している皆さん。決して、「これですべて終わった」なんて思わないで下さい。閣議決定されたって、まだ何も具体的に法律が
変わったわけではなく、まだ全然、戦争できる国にはなっていません。閣議決定に基づいた具体的な法律の作成をくい止めればいいのです。
くい止めながら、来たる選挙できちんと意思表示すればいいのです☆彡
 だから、ガッカリしているヒマはないし、ガッカリする必要もない。そのガッカリが招く、「もう何をやってもムダ」という絶望と無関心こそが、
何よりもこの国の、子ども達の未来を壊します。 
 そう、ほんとうに民主主義ってめんどくさいシステム! 
 日常的に政治を見張る余裕はないし、スキャンダルや一時のブームに踊らされることも日常茶飯事です。それでも私たちは、一部の人達に政治を
丸投げしてただ従う、なんてわけにはいかない。民主主義を諦めちゃいけない。この世に1人しかいない誇りある人間として生き続けたいからこそ、
自分のことは自分で決める、自分達の社会のハンドルは自分達が握る。民主主義やーめたという現政権は、国民を誇りある存在として認めていないのです。
それを屈辱だと、おかしいと感じるなら、怒って下さい、アクションを起こし続けて下さい。
 めんどくさいヤツであり続けること、って、ほら、憲法にも書いてあるでしょう。「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力に
よって、これを保持しなければならない。」(憲法第12条)
4.めんどくさいヤツであり続ける決意 
 幾万人からなる怒りの輪が首相官邸を囲む様子を見れば分かるとおり、私たち国民は、そんなにアホじゃありません。でも、なぜ政権の暴走を
止められなかったのか、悔やむ時間は、もうありません。あなたとあなたの大切な人、自分より大事な子ども達のために、「めんどくさいヤツ」
であり続けて下さい。私たち「明日の自由を守る若手弁護士の会」は、解釈改憲という禁じ手を絶対に許しません。声をあげ続ける、すべての
めんどくさい皆さんと共に、これからも「あすわか的“不断の努力”」を続けます。
2014年7月1日 「明日の自由を守る若手弁護士の会」
共同代表 神保 大地
共同代表 黒澤 いつき
http://www.asuno-jiyuu.com/
(弁護士ドットコム トピックス)

※あまり政治的な話はここではふさわしく無いと考えて今まで書かなかったし、載せたりしなかったのですが、
最近のもやもやした気持ちを一番分かりやすく表現していたニュースがあったので転記しました(樋口)


誕生日

昨日、7/13日で63才になりました。
たくさんの方からお祝いのメッセージをいただきました。
ありがとうございました。

普通、「過ぎてみればあっという間」と云いますが、
よくよく考えてみればそうでもなく、
人生って長いなあと思った事も、何度かあります。

やはり一番辛かったのは不安神経症(自己判断)の時でしたね、
幸い、心も体も動かなくなるような事はなく、
不安はあっても体は動いたので、人には知られないよう隠しながら
なんとかここまでこれました。

人並みに怪我もしました。半身やけどで3ヶ月の入院を始め、
網膜剥離や、アキレス腱断裂で二ヶ月ギブス、
腹筋裂傷、これらは手術でなんとか切り抜けましたが、
頸肩腕症候群は24時間激痛があって1週間眠れませんでした。
体が思うように動かせなかった辛さもありましたし、

また、
病気や怪我以外でも、
人生や仕事で出来ると思っていた事が出来なくて、
落込んだ事も何度もありました。
その度に誰かに支えられ
63才を迎えられました。

でもね、
こうしていろんな人と知り合って一緒に何かやれたり、
仕事がつながったり、遊べていられるのは、
みなさんのおかげだと思っています。
(特に数人には本当に世話になって現在も感謝しています)

まだまだ、思った事の半分も上手くいっていませんが、
これからだと思います。
もう少し見ていてください。
一緒にやろうという方はどうぞ一緒にやりましょう。


今日の動き

昨日は久々に池袋で打ち合わせ。
そのあと
ある会社を辞めて、自分で事業を立ち上げる準備をしている人と食事。
話して見れば彼の前歴は同じ玩具業界の人。

しかし先の会社に入ってデジタルの事をやってきたので、
これからはその業界で活躍していこうとしている。
デジタルコンテンツの業界も厳しいのでしょうけど、
仕事は自分で、或は仲間と組んで
どんどん作っていく事が出来るんですね。
ちょっと聞いていて楽しくなりました。

その後神田でカメラマンと打ち合わせ、
「五泉アロニア」の撮影をお願いして帰って来ました。

今日は、上井草で打ち合わせ。
その後荻窪で「タンサー5」
https://www.youtube.com/watch?v=fX9FnIW8KyU
と「アクロバンチ」で
一緒に仕事した四辻さん(当時監督)と久しぶりの飲み会。
何年ぶりだろう?楽しみだ。


5/14ノート紛失。

昨日スカイツリーに行く途中、
電車の中にノートを置き忘れてしまった。

今日になっても出てこない。
多分捨てられたかな。

お金が入っていた訳ではないが、スケジュールと
ディリー(自作:怠惰な自分を動かすための工夫した優れもの?)
あとは日記帳が1冊になったA5のノートだ。

他の人には何の役に立つ物ではないのに、
出てこないのは何故?。

昨日は、14時に南柏から常磐線(千代田線)に乗った。
暑かったので上着を脱いで、膝の上に置いたトートバッグ
の上に置いて日記を書いていた。

ところが松戸辺りでどっと人が入って来た。
その中に生後7ヶ月の女の子を抱っこしたお母さんがいた。
すぐに立って席を代わったのだが
膝の上の荷物を網棚にのせて女の子をあやしたり、
お母さんと話をしていた。

北千住についたので乗り換えるため網棚の荷物を持って降りたのだが、
スカイツリーライン(京成電鉄)に乗り替えてから気付いたので
曳舟で駅員の方にメトロの忘れ物取扱所の電話番号を聞いて連絡した。

「今はまだ届いていないので明日の同じ時間(24時間後)に、
連絡してみてください」と言われたて連絡したが、
まだ出てきてはいない。

妻(ひろこ)に話したら、
「手書きでしょ?だったら、大丈夫だよ誰にも読めないから」
と、変な慰め方をしてくれた。

どなたかどこかに捨てられていたら、
ご連絡ください(笑)


美味しんぼ」問題

久々に政治がらみの事を書きます。

毎日新聞 5月10日(土)0時2分配信に、
<「美味しんぼ」問題>前双葉町長が批判 石原環境相発言
と言うタイトルのニュースが発信されました。

最近話題になっている美味しんぼ問題についての
今日のニュースですが、
医学的に根拠があるのかどうかは実際の所、
私には分かるはずもありません。(鼻血云々の話)
しかしこうやって話題にする事はすごくいい事だと思う。

なんせまだ終わっていないのだから。

すぐに、終わった事として忘れさせようとか、
(従軍慰安婦問題や)
大した事はない或はなかった事として
スルーしていこうとする
(学校のいじめ問題やスポーツのしごき問題)
日本の風土の方が問題をこじらせている気がする。

福島の原発事故も、風評被害として早く片付けようとしていく
動きが気になってしょうがない。

「もう大丈夫」等とだれも言えないはずだ。
まだ終わっていないし分からない事も多い。

なので、不安をあおる事も必要ないが、
三年で原発再可動と推進に切り替える
自民党及びその利権に絡む経済界や政治家の思惑に
巻き込まれてはならない。

と言う意味であのときの事、原発の今も
(多分これから何百年も)残るであろう負の遺産を
忘れないために常に問題提起と事実は
問題にしてマスコミに取り上げていって欲しいと、
自分としては思うのですが。


また桜の季節・・・

二日前と比べるとだいぶ暖かくなってきた感があります。
もうすぐ桜の花も咲くでしょう。
何となくつぼみが色を付けてきたような気がします。
だってもう三月も真ん中ですからね。

今年最初の気象庁?発表の開花予定は3/17でしたよ。
いかに自然界の予測は難しいかが分かりますよね。

以前出ていた地震警報も最近はありません。
しかし地震は突然来るし、昨年は大島の大雨による洪水も
今年は大雪がありました。
結果、予報も警報もあまり役に立ちませんでした。

勿論普段から準備しておく事や、
予測、予報が無駄だとは思いません。

ですが耐震構造だから絶対安全という言い方には、
強い不信感があります。

東北で始まっている高さ15メートルの防波堤や、
「原発再可動を進める」人たちの安全宣言は、
どうも信じる気にはなりません。

(3.11)地震のとき(原発関係者は)何の役にも立たなかった、
と言うのはひどすぎますが、防ぐ事ができなかった人達です。

あれだけの目にあっても未だ自然の力を
人間の力で押さえ込めると言っているように
思えて仕方ありません。

それよりもその予測がはずれたとき、
どうするかを説明して欲しいと思います。
だって絶対安全なんてあり得ないし、
それを管理するのが人間だったら(勿論機械でも)
間違いはあり得るからです。

さあ、原発がもしまた爆発したら・・・・

その対処を分かりやすく説明して欲しい。
福島の現実で予行演習して完成できたら再稼働しても良いと私は思います。

原発ついでに福島の思った事を書きます。
福島の人には申し訳ないのですが、
(政府やマスコミの人が問題なのですが)
福島の生産物はもう安全だという言い方があります。
その理由が、(3.11以後)新たな基準値をもうけました。
それを下回っているからと言って「セシウム検出せず」
と表示して、安全だとしているのです。
これで風評被害は無くなるでしょうと思っている人がいますが、
それでは今迄と多分変わりません。

気にしない人や、福島のためなら死んでも良いという人は
(泉谷しげるのように?)
既にもうとっくに食べているとおもいます。

しかし国が基準を勝手に数倍にあげておいて
「検出せず」というやり方に反対(納得できない)の人には、
この表示の仕方では永遠に福島の産物との距離は
縮まらないと思います。

すべての基準を表示した上で、
この数字は世界的に見てもこれだけ安全なのだよ、
と言う安全基準に対しての知識を国民全体に
同時に教えて行くべきだと思うのです。

何故国は都合の悪い事をすぐ隠そうとするんだろう?
隠す事で「安全だから」と言う事を言い続ければ、
いつかきっとみんな忘れるとでも思っているのでしょうか?
隠す事が不信感を生んでいくと思うのですが。


金銀銅メダル、おめでとう!

雪の被害がすごいことになっていますね。

新潟での毎日の雪かきが思い出されます。
そういえば新潟でも、もう昔のように
毎年が大雪になることは少ないようですね。

雪と言えばソチオリンピック、楽しんでいます。
しかし、
笠井選手の41歳で銀って言うのが
強調され過ぎのような気がしますね。

私は60すぎてからゴルフの飛距離が
のびましたし、周りにも多いです。

サッカー選手や野球選手でも、
40過ぎで選手を続けたい人はいっぱいいます。
しかし続けられない。

が、
続けられない状況の中には、
自分からあきらめる、
と言うのが一番多いようです。


パソコン買い替えました。

イヤー参った。
みなさんおさがわせ(一部の人ですが)しました。
ようやくメールもネットもつながりました。

年末からおかしくなっていた私のPC(マッキントッシュ)を
ついに変え買い替えました。
PCを買い替えるときにおこるいろんな不具合。
(ネットがつながらない、メールがつながらない、プリンターが使えない、など等)
分かっていたので自分としては変えたくなかったのですが、
Macintoshがそうさせてくれません。

昨年11万円かけて復旧させたiMacも一年で、
使い物にならなくなってしまいました。(聞けば寿命だという)

おかげで環境を復旧させるのにカスタマーサービスに電話しっぱなしです。
まあ、5年前のパスワードやIDを忘れてしまった私も悪いのですが、
それにしても大変でした。

Macintoshで二人が代わられて(一人は全く役に立たなかった)
「まずリセットしましょうで」、その他にも今までつながっていた
我が家のWindowsまで切断。我が家のネット回線はAirMacなのです。
その状態で一人目は役に立たず交代。
「これ以上は私では無理なのでエキスパートに代わります」だって。
(これまでの二時間はどうしてくれるんだ?である)
エキスパートだかプロフェッショナルだかに代わってもらって、
ようやくMacintoshのネットだけつながった。

その日は一日中(夕方から翌日までですが)Windowsはネットもメールも
iMacの方はメールががつながらない状態で、出かけてしまったので、
家族からは大ひんしゅく「ネットで落としたい物があったのにー」とかなんとか)

それから翌日またMacintoshに電話してメールを繋いでもらった。
しかし、Macintoshの人にWindowsはまだつながらないと言うと、
「私どもではWindowsのことは分かりかねます」だって、
リセットしろ!と言ったのはMacintoshの人だったのに。

しようがないのでBIGLOBEのカスタマーサービスに
電話して手続きをしたがつながらず、
「その状態はパソコンの機種に問題がないか調べてください」というので、
さらに富士通に電話(ここは一つの質問に答えるのに一回1500円から2000も円かかる。
もっともiMacもこうしたサービスを受けるのに本体を買うときに2万円以上は払っているのですが)
機械に問題がないのを確かめてから、もう一度Macintoshに電話して完了。
ふ〜!。

日本の家電は気に入りさえすれば、(テレビや冷蔵庫等は)
10年でも20年でも使えるのに、
パソコンだけ4〜5年だなんて早すぎる。
本気でWindowsに代わろうか考えちゃいます。

それでもソフトの問題は出てきます。
デザイナーは二つのソフトは必須なのですが、
アドビ社のソフトはイラストレーターもフォトショップも
それぞれ月々5000円もかかります。
1年で12万円です。

だれか、日本の家電のように丈夫で長持ちする
パソコンとソフト作ってくれ!と叫びたいです。


PCの寿命

このところちょっとPCの調子が悪い。
ご迷惑かけている皆様ごめんなさい。

丁度一年前11万円かけて修理したのですが、
1年でまた使い物にならなくなってしまいました。

パソコンの寿命らしいです。
(一年前中古を買ったが、型が古いので、と言うより
パソコン自体の寿命が4〜5年なので持っても2年と言われていたのです)

今週末どこかでパソコンを調達してきます。
暫くご迷惑おかけしますが、
よろしくお願いします。

何故かもう終わりだと言うと、
サクサク動くから不思議です。
自分の境遇が分かるのでしょうか?
何となくもらわれていく犬や猫に似ています。
今日は妙に素直に動きます(笑)


いよいよ明日から始動。

長かった正月休み。
皆さんはいかが過ごされましたか?

旅行に行かれた方も多かったのではないでしょうか?
(私も父が亡くなる迄は毎年新潟に帰っていました)

いよいよ明日から仕事始めの会社が多いですね。

私も久しぶりに(あ、一年振りだ)混雑電車に揺られて、
新年の挨拶回りに行って来ます。

今日はその心の準備にかかります(笑)。

今年のモットーは
「スピード」かな。


明けましておめでとうございます。

暖かい正月でホットしています。

昨年は皆さんにとってどういう年でしたか?
振り返るより今年の方が望んだ1年になるといいですね。

先日正月ばれの中、恒例の「1/2日会」で
最高のゴルフ日和を楽しんできました。

今年も1/2にゴルフが出来たことに「感謝」です。

今年の目標は月に1回はコースを回りたいと思っています。
100を切るのは勿論ですが、
90を切るのを当たり前になるように腕を上げたい。

地元のゴルフ仲間を増やしてコンペをやりたい、
と言うのが近々の目標ですね。

あとは仕事の面で、幅をもう少し広げていきたいと思っています。
一年後には、もっといい体勢になるようにしたいと思います。

今日は(1/3)だらだらと、正月恒例のTV番組を見ながら、
今年の計画を立てたいと思います。

年賀状もたくさんいただいたので、
今から寒中見舞いの用意しています(笑)

今年も曼陀羅web及び、
樋口(妻.裕子含む)をよろしくお願いします。


2013年を振り返って。

昨年を振り返ってみます。
1月、柏に来て三年目を迎える。九段下のマルシェに参加。

2月、伝説巨人イデオンのブルーレイ発売記念トークショーに富野さんと湖川さんと参加。
やなせたかしさんの94歳誕生日パーティに「やなせうさぎクッション」プレゼント。

3月、丸の内マルシェに参加中。小さな女の子を抱き上げて、
ぎっくり腰になる。

4月、新潟に帰った(アロニアの打合せと安中由依ちゃんのライブ応援)が花見は雪で中止。
公園内の愛宕中学校柔道部の同窓会に参加。

5月、足立区、竹の塚で「う・そ会」(うどんとそばを美味しく食べる会)開催。

6月、22年続いている玩具周辺業界の「オネスト・ワン ゴルフコンペ開催。

7月、隅田川花火大会(ゲリラ豪雨?にあう)

8月、「なでなでねこちゃんDX」デザイン完成。CM参加

9月、東京デザイナー学園のオープンキャンパスでゲスト出演

10月、アートライン柏 樋口二人展。やなせさん亡くなる。

11月、元タカラの社長奥出さんを囲む会開催。
中学時代から付き合いのある漫画仲間と新宿で忘年会。
愛車ゴルフワゴン廃車。

12月、一年間お世話になった人、久しぶりに会う人と忘年会。
いつ迄も付きあっていただける事に感謝。

年末に会えなかった人とは年明けにお会いしましょう。


ピクシブ

昨日上野で打合せをしたあと、金華堂(画材店)によった。
PMパッドの取り寄せを頼んでいたのです。
(現在PMパッドは中々扱ってくれるお店がありません)

3Fの売り場に行ってカウンターを覗くと、
漫画教室のチラシが、
聞くとカウンターにいる本人(Tさん)が教えているとの事。

暫く彼の漫画家苦労話を聞いたので、
あとで連絡したいからと言うと、
ピクシブで検索して下さいという。

今年やはり友達の絵を見るのにピクシブに
入会した記憶があったので、
帰って来て彼にアクセスした。
・・・が?
pixivパスワードを入力すると、
パスワードが違うと言う。
????
「え?」
こんな時の為にpixivのパスワードをメモっておいたのに、
それが違うとなると、
まるでどうしたらいいか分らない。

パスワードは自分の名前を入力しているので、
違うはずがないっていうか、却ってほかの
(間違えたと思うスペルの)見当がつかない。

ちなみに新しいパスワードで登録しようと思ったら、
こんどは、
このメールアドレスはすでに登録されているので
使えませんと言う。

これだから一回登録できたパスワードは、
中々変更できないのだ。

今年の11月のゴルフ場のコンペ予約も
ネット(楽天GORA)でしたものの、
1週間前の確認作業に失敗して、
結局はゴルフ場に直接電話で対応してもらった。

今度はそれがきかない。
う〜ん困った。
皆さんはこんなときどうしますか。


忘年会

今月に入って(当然ですが)忘年会が続きます。

昨日は浅草橋で、もとタカラのプリスクールチーム
(今ベネッセ)の人が中心になってやっている忘年会に
参加してきました。

今回は60数人が集まったのですが、もう7〜8年続いています。

初めの頃と参加者は大分変わりました。
もっとも最初は20人ちょっとでしたから、
新しい人が増えただけとも言えるのでしょうが、
その二十人の中で、ず〜っと来ている人はスタッフだけのようです。

でも、新しい人の中には、私の昔の会社の後輩も何人かいたり、
仕事で一緒にやった業者の方がいたり、
全く知らない人だったり、
昨年迄は来ていた人が今年は来ていなかったり。
・・・いろいろです。

パーテイ人数は毎年増えていて、
今年は2〜3人断ったと言っていました。

毎年来る人が変わるのはうそ会も一緒です。
「僕もこんな会をやりたいんですよ」と言って
この会の発起人が相談に来たんで、
うそ会の方がもう数年早くから始まっていますね。
と言う事はもう十年か?
しかも年二回とかやっていたし。

我が家で74人来た時の事も知っていました。
「あれはインパクとあったなあ」と言っていました。
私もあれは覚えています(笑)
借りれる場所がなくて、仕様がない我が家でやったのですが、
お向かいさん、はす向かいさん、両隣さん、
皆さんに協力して頂いて、車庫を借りたり大変でした。

そんな事を考えたとき、
こういう(中華屋さん)でやるのは楽でいいなあ〜
と思ってしまいました

ん?疲れてきた、オレ?


もう三年。

以前の住み慣れた足立区から、
こちら(千葉県柏市)に来てから、
ちょうど三年となりました。

気付けば早いものです。
始めは知り合いも少なく馴染めなかったのですが、
最近では近所を歩いたり自転車で走っていると
時々声をかけられるようになりました。
(これもお喋りの効能だと思います)笑。

この三年でいろんな事がありました。
皆さんの中で一番多いのはあの3.11でしょう。
私にもあの日の事それからの事はショックでした。
それは今もそうです。

しかしもう1つは
私はフリーになっての三年だったので、
仕事の流れを作る事が一番大変でした。
そんな状態でも何とかやって来れたのは、
皆さんのおかげです。
ありがとうございました。

年末も近づいてきましたので、
いちど今年を総括してみたいと思います。


秘密保護法案

秘密保護法案
私は絶対反対です。

秘密はない方が良いに決まっています。
条件は無しです。

国民の知る権利と官僚が隠す権利と比べたら
どっちが大事か直ぐ分かる。

国民は第二次大戦中ずーと騙され続けていた。
日本は必ず勝つと信じ込まされて、
新聞は戦績をごまかして国民を騙して来た。

こんな事がまたおきる可能性が出てくる法案が、
日本の政治家の中から出て来て、
可決することが信じられない。

いくらアメリカから強く言われたからと言っても
(なら尚更言われた事を言って国民に審議させるべき)
ここは聞くべきではない。

野党もなんだ!
みんなの党は、官僚政治反対を旗印にして立ち上がった党ではなかったか?!
それが、「首相が監視する権利を盛り込む事を条件に・・・」
ばかかこの党は!である。

日本維新の会も全く同じだ。
秘密期間を30日から60日に伸ばして?バカじゃないの?
これでは野党の意味がないではないか!

野党は与党の行き過ぎにストップをかける事に意義が有るのではないか?
例えば30年ではなくまずは10年にして、
この十年間に何が隠されたのか?試用期間を設けよう、
と言う風に考えるのが普通だろう。

福島の事もある。(意見を聞く会の翌日強行採決しなければならなかったのは何故か?)
沖縄の事もある。(沖縄県の政治家がそろって県内移設も認めたのは何故か?)
今はそれらが全て隠される危険な時期なのだ。

政治がこんな大事な時に、
マスコミはなんでおとなしいんだ?
福島原発の時もマスコミは黙ってしまった。
一人で言い続けた山本太郎を隠してしまった。
こんなヘタれなマスコミに期待するのは無理か?
今なら捕まるくらいの意見を言うのがマスコミ魂でしょう?
出てこいマスコミヒーロー!!


結婚30周年!

2013.11.18日で、
私達は結婚30周年を迎えました。

色々あった気がしますが過ぎてしまえば、
楽しい事ばかりで、あっという間でした。

妻(裕子)と出会いのきっかけはアニメ制作会社のサンライズさんです。
(当時イデオンをやっていました)
サンライズさんの紹介で私の以前勤めていたデザイン会社に
妻(裕子)が入って来ました。
(面接は私がしました)

当時は来る人は誰でも入れていた?!んです。
当時は仕事も沢山あって(有り過ぎて?!)辞める人が多かったから。

付合い始めたのは、当時私のやっていた、
当時(株)トミーさんの仕事で、
一緒にディズニーランドに行ってからです。

仕事はオープン前のディズニーランドに行って
ビューマスター用の写真
(双眼鏡のようなもので、覗くと立体に見える)
を撮ったりしていました。

そのおかげでプレオープンに呼ばれたのですが、
社内のみんなに「誰か一緒に行かないか」と声をかけたのに、
「はい」と声をあげたのが妻だけだったのです。

そこから付き合いが始まり、
その年の11/18日に結婚式を挙げました。

ディズニーランドとの不思議な縁は他にもあり、
11/18日はミッキーの誕生日でもあるのです。

サンライズさんとディズニーランドのおかげで
私達は楽しく30周年を迎える事ができました。

18日はミラコスタで食事をしてきました。
何でも30周年の印字が入っていて、
まるで我々を祝ってくれているようでした。


もう年末気分

昨日、元タカラボーイズコミュニケーション(仮)
(第4回、Oさんを囲む会)をやってきました。

今回は1985年の元タカラのボーイズ時代のカタログを
スライドで見ながら当時を懐かしんだり、
話を進めようと考えました。

ところが、出かけに私のPCの調子が悪くって、
データーがコピーできずに、
(1時間かかって30%の保存)
これでは間に合わないと諦めました。

急遽当時一緒にTV版ミクロマンの開発を担当した人
Oさんに「なんか面白いデーターを19:00までに用意してほしい」
と頼みこみ、
もう一人のIさん(幹事)にはPCを用意してほしいとお願いした。
(会社のPCは持ち出し禁止なので)

そうしたら家迄取りにいってくれたそうで(早退したそうです。ゴメン!)
ようやく間に合いました。
おかげで楽しい会となりました。

でも何故俺がこんな事をしている?と考えるとおかしいです。

あの、やなせせんせいの誕生パーティも元々詩メルの人達のパーティなのに
いつの間にか私がプレゼントを作る係になっていました。
クリエーターがこんなにいっぱい集まっているのに、
お店で買った物をプレゼント、こんなのでいいの?
と言うのが私が考えた始まりでした。
(それからリカちゃんのお友達サイズでやなせさんのフィギュアを作ったり、
やなせさんの人生ゲームを作ったり楽しい物を作らせて頂きました)

今回の「Oさんを囲む会」の参加者でも
元タカラ以外の人はサンライズの会長と私だけです。
ここでも出しゃばって自分が仕切っています。
(ただおせっかいなだけです、分かっています。)

来年は何を用意しよう。

やなせパーティが亡くなった今、
この会で何か1つ面白いモノを作ってみようかな?
と、今は思っています。


秘密とウソは極力無くそう。

毎日「不適切な表示」のニュースが続いています。

なんかこの表現納得いきません。
緩すぎますよね。

不当表示、虚偽表示でしょう。
でなければ、ニュースにする必要もありません。

以前これで、メグミルクや赤福など
大変な目にあっていました。
(日にちをごまかしたのですが、不当表示でしたが
言い訳が下手だっただけでしょうか)

罰則がないと言うのもおかしなものです。

政府の特定秘密保護法案は更におかしな法案です。
庶民にウソを付く可能性が大になります。
世の中には、
秘密はない方がいいに決まっているし、
(そうでなくても政府はウソを付く)
そもそも国民にウソを付く必要はありません。
(自民党は選挙で大分国民に人気のない部分を隠しました。
TPPでもいっている事は変わって来ています)

そもそもロシアに亡命したスノーデンさんを
どう見るかで立ち位置が変わります。

あなたはどっち?


挨拶のないメール。

最近メールで、名前も書かずにメッセージだけ送って来る人がいる。
昨日もそのメールで、
「今頃になって◯◯のパーティ、申し訳ありませんが欠席します」
と言うのが来た。
これが誰だか分らない。
内容は勿論今週末自分が幹事をやっているイベントだ。
「失礼ですがどなた様でしょうか?」
と返信すると 行き先不明で戻ってくる。
(メールのアドレスが携帯なので自分のPC には登録されていない)

まず、今週末なのだから、
今迄にすでに参加表明していた人なのか、
今迄連絡をくれなかった人なのかが分らない。

相手は(名刺をくれたかどうか知らないが)知っているものと
思ってメールして来ている。
これは、フェースブックの「イイネ!」ボタンや、
ラインや、ツイッター等のSNS文化が育んだものと思う。
思いっきり垣根を軽くして、付合いやすくしようとしている。

確かに、隣りに座った誰にでも声をかける、
節度の無いような自分ですが、
(先週喫茶店で知り合った2歳の子どもとお婆さんが、
昨日は兄ちゃん4歳、妹0歳とお母さんを連れて
私と妻の二人展を見に来てくれた)
それでも挨拶は必要だと思っています(笑)

それともう1つ
フェースブックやミクシーなどのSNSで、知らない人に
自分から友達申請やカレンダー申請する事はないです。
(来るのは無視します)

あまり書き込まないフェースブックですが、
その中にあるカレンダー申請が知っている人からもよく来るのです。
(樋口さんの誕生日を教えて下さい・・・・)
と来るのですが、自分の予定迄知られてどうする!と
思って無視していました。

ところが「あれはFB(フェースブック)の策略で、
FBが勝手に流しているらしくて,
「樋口さんからも来てるよ」との事。
友達から聞いてビックリしました。

私は挨拶もなしに(イイネ!ボタン以外)
「友達申請」や「ポケ」(これもよく分らない)や
カレンダー申請はしていません。

もしどなたかに行っていたらお知らせください。


解りにくい。(廃車処分)

廃車処分に必要な書類の1つに、
納税証明書が必要です。
その1枚をもらいに
昨日はあっちへ言ったりこっちへ来たり。

(前日、柏の県税事務所行って
「ここではなく足立区に行ってください」と
言われたため)

昨日は西新井税務署に行って、
納税証明書をもらって来ようとしたのですが、

ここでも
「それは都の税金だからここでは出せない」
と言うことになって、

「じゃあ何処ですか?」というと、
「私も廃車にしたことないから分らない」
って言われてしまいました。

そこで粘って担当者に調べてもらったら、
足立区には北千住と花畑団地地区に
その事務所がある事が判明。

仕様がないので、北千住を選択。
また北千住に戻って
やっと納税証明書が1枚手に入りました。
「ホッ」

でも未だこれは、所有権解除書類交付依頼書に
添付する書類の1枚でしか無いんです。

まだまだ先は長い。
こんな事をしている場合じゃないんだが。


廃車と一口に言うけれど。

先週車検が切れる話をした。
自動車を廃車にしようと手続きを始めたら大変なことになった。
これは役場仕事よりひどい(っていうか役場仕事の一環なのだろう)

必要な書類が多いのだ。

自動車検査証、これは分かる。
自動車税証明書、ま、これも納得できる。
住民票や印鑑証明までいるってことは知らなかった。
更に
所有権留保解除承諾書、こんな物ある事さえ知らなかった。
が、
それを手に入れるために、
フォルクスワーゲン→トヨタカローラ→トヨタアドミニスタ株
まで移動した所有権解除業務をいたくしている会社に
上記書類一式を用意しなければならなかったのだ。

その後でまた同じ書類を用意して、
買い取り会社に引き取ってもらうことになるのだ。
こりゃ大変だ。


訃報

元タカラ役員であった、小島康宏さんが亡くなられました。
連絡がありましたので、お知らせします。

(他にご連絡が必要そうな方がいらしゃったら、
ご面倒おかけいたしますがお伝え願えればと思います)

以下において、お通夜、告別式が執り行われます。

ご確認、宜しくお願いいたします。
↓  ↓  ↓  ↓ 



 平成25年10月22日

 各位

 総務部



 訃報連絡



 旧タカラ 専務取締役 小島康宏殿がご逝去されました。
 謹んでご冥福をお祈り申し上げますとともにお知らせいたします。

 なお、次第は下記によりました。



                   記


  故人名    小島 康宏 殿 (享年73歳)

  お通夜    10月24日(木) 18時〜

  告別式    10月25日(金) 10時〜12時

  場所     東京都台東区上野公園14-5
         寛永寺 輪王殿
         Tel:03-3821-4433

  喪主     小島 良子 殿 (故人の妻)



  ※参列者については、確認中です。

  ※お香典については、各自ご用意の上、
   下記の日時迄に各担当者宛にお持ちください。


先日やなせさんが亡くなったばかりなのに、
また大先輩がひとり亡くなってしまった。
昔は70越えたら随分長生きしたように思えたのに、
自分が60才を越えたら、70才はめちゃ若いイメージになってきた。
今年は同じ年の人がつぎつぎと亡くなっていく。
毎日を精一杯楽しく生きよう!!


車検

我が愛しの愛車ゴルフワゴンも
いつの間にか12年目を迎えていた

調子も悪くなり乗り換えの時が来た。
(かと言って今は買うお金もない。車につかうならPCを買う)
なので、今月中に今の車は廃車にし、
義妹が車を買い替えようとしているので
その車をいただく事にした。
(これは乗用車の軽だが次の車の資金ができる迄、
 つかわせて頂く事にした)

思えばゴルフワゴンで随分いろんなところに行った。
新潟に通った、ゴルフにも行った。
車の思い出は色々ある。
この車の前の車もゴルフワゴンだった。
色がグリーンから赤に変わっただけだった。
ゴルフにこだわったのは高速(アウトバーン)用に
セッテイングされたエンジンと燃費が良かったから。
(そうはいってもリッター13〜4キロ位だったろうが)

ゴルフの前はスカイラインRSターボや
三菱ディアマンテV4に乗っていた。
これがガソリンを食う食う。
満タンに入れても東京から新潟迄持たなかったのだ。
その分スピードはでたが。
(180キロで走りリミッターがかかった事も何度かあった。)

しかし、ゴルフに変えてからはそんな乗り方も止めた。
燃費も良くなって120キロ〜140キロくらいで走っていれば、
新潟迄行き着いて更に近隣なら一日くらいは走り回れるようになった。

それほど世話になった割にはメンテナンスもせず、
今や車体は中も外もぼろぼろ
査定をしてもらったらゼロ円と言われた。

次にまたゴルフを買った時は大事に乗ろう。


’13.10.13やなせさん死去。

やなせ先生が10/13日未明に亡くなられました。
94才です。

1年くらい前から覚悟はしていましたが、
やはり哀しいです。

アンパンマンの声をやっていらした戸田さんも
「やなせさんご自身がアンパンマンのような人でした」
とおっしゃっていました。

「正義を語る時には気を付けろ」
「自己犠牲が伴わない正義はない」とか
先生の一言には深い意味があります。

毎年やっていた詩とファンタジーの表彰式及びパーティの費用は
先生持ちでしたし、いろんなところに寄付をなさったり、
人生の後半は仕事もただでなさっていました。

「俺のところにくる仕事は予算がないんだよ」
と笑って仰っていました。

先生の誕生日にプレゼントする係に
10年近く関わらせていただく事ができました。
特に強く残っている贈り物は、
あの’11.3.11の年(やなせ先生の誕生日は2/6日)
やなせうさぎのベストです。

(前年にやなせさんの「人生ゲーム」を作ったのですが、
やなせ先生の目が当時からすでにかなり悪く、
人生ゲームのマスの文字が読めなかったのです)

そこで翌年は、2月生まれの先生にあたたかい物を
プレゼントしようと思って、
やなせうさぎのベストを作ったのですが、
演出に失敗して濡らしてしまったのです。

落ち込んでいると数週間経ったある日、
はせがわゆうじさんが四国新聞の記事
を送ってくれました。

それは失敗続きの私のやる事に勇気を与えてくれました。


ビッグイシュー193号(’12.6.15)に注目

添付した雑誌の見開き頁は、
エフ/スタイルの五十嵐さんと星野さん。

前にも紹介したような気がするのですが、
もう一度紹介します。

東北芸術工科大学卒業後の二人が始めた
職人を手伝う仕事と言うコンセプトの仕事。

作っている主な商品には玄関マットの「ハウスドギーマット」
や、足首を締め付けない「ゴムをつかわない靴下」や
亀田の織り物を使った「手提げ風呂敷」等々。
(「」かっこの中は商品名ではありません)

出会ったのは十数年前。
確か銀座、松屋7階の催事場でした。
まだ前のデザイン会社にいた頃、後輩から
「大学時代の友達が新潟から出て来ているので、紹介したい」
と言う事で会いました。

そこでお互いの連絡先を交換してからは、
新潟に帰ると(実家が新潟なんで年に何回か帰るのです)
彼女たちの会社(お店)に行ったり、
一緒に食事をしたりしていました。
(五十嵐さんは「食べ物番長」
:いろんな美味しい店を知っているのです)

その彼女等と数年前食事したとき、
何故か、「ガンダムの監督、富野さんからインタビューを受けた」と
言う話を聞いていたので、
今年30周年「伝説巨人イデオン」ブルーレイ発売記念トークショーで、
富野さんにあった時にその話を聞いたら
富野さんはしっかり覚えていて説明してくれました。
(雑誌の取材だったのです)
そうして彼女等の仕事がこうやって脚光を浴びる
時代になったのだなと言う事を実感していました。

その彼女達の写真をなんと今回は、
トイレの中で読んでいた「ビッグイシュー」で見つけたのです。
193号です。私は上野に出るといつも決まった本屋に
行くのですが、その時には必ず
その店の前の交差点でやっている販売員から
「ビッグイシュ」ーを一冊以上買うようにしているのです。
(勿論出会わない日もありますが)
だけど、暫く読まないで溜まっていました。

それを今頃になって発見しました。
すごい事です彼女等のやって来た事は。
自慢したくなります。
ぜひ皆さんもビッグイシューの販売員のためにも
見かけたら買って読んでみてください。感動しますよ。

(知っているとは思いますが※ビッグイシューとは
:ホームレスの仕事を作り自立を目指す方を支援するために
いろんな人が協力して(タレントや有名人は主に無償で)作られています。
300円で本を売りその内の160円が販売者の収入になると言うものです)


またもメールの不具合

昨日の朝メールを開いたら、
MobileMeの広告っぽいウインドウが立ち上がったので、
即刻無視したら、
まっ白なメール画面が現れました。

つまり今迄のデータが全く無くなった状態。
パニックになったと言うか、
いや、パニックに成る程知識がないので、
これは何かの間違いだ。
時間を於けば治るだろうと思っていましたが、
二日経っても一向に治らない。

取りあえず急ぎの件は携帯で連絡していますが、
携帯の方は通じますので、
私に連絡ある場合携帯にお願いします。


隅田川花火大会

家を出かけるちょっと前に昨年来てくれた
(今日の主の元同僚)人から急遽欠席の電話があった。
その後すぐパキスタン人のCくんも、
大宮の「バイトが終わってから向かうので、少し遅れます」との電話。

私はいつもより少し早く出かけたので、混雑もなく目的の家に付きました。
ココは隅田川に面したマンションの9階。
お隣のオタクでは東北からわざわざ5人の方が見えていました。

そんな中あがった花火(PM 7:05)

花火があがってしばらくしてクルーシーくんが
公衆電話から電話をかけてきました。
浅草駅に着いたら連絡するように言ってあったのです。

「あれ?なんで公衆電話なの?いまどこ?」
「もう15分前に着いて電話しているのですが、通じないんですよ。いま雷門です」

込み合っているところって相変わらず携帯が通じないんですね。
「じゃあ馬道を教えてもらって、こっちに向かって歩いてきて、
右側にセブンイレブンがあるからそこで待っていて、迎えに行くから」と言って電話を切りました。

「じゃあ、行って来ます」とマンションを出たところで、
雨がポツリポツリと降ってきました。
マンションは入るのに呼び出して解錠してもらうのが面倒なのでそのまま出かけました。
ほんの数十mの場所ですが着いた頃にはもう雨が激しくなっていました。
コンビニの中を探しまわりましたが彼がいません。

その時のコンビニの混雑率は200%を越していました。
みんな買い物もあるのでしょうが雨宿りです。
店員は拡声器を使って
「入り口は出る人と入る人がいます。
立ち止まらずに進んでください!」
と怒鳴っているが、だけも動こうとしない。
入り口は通勤電車なみの込み具合。

そこに「ひぐちさーん」と声をかけてきたのは
花火見物の家の奥さん。傘を持ってきてくれたのだ。
「ここにいないので駅迄行ってみます」と言って駅に向かう。
途中も電話はしていたが全然通じない、雨は最大限に降り続く。
もうこうなると傘も役に立たない、ずぶ濡れになりながら
台東区産業会館貿易センター前迄来た時に携帯がなった。

「雨がすごいです。傘もなく雨がすごいので動けません。いま雨宿りしています」
「いま、何処にいる?」
「分りません?ん、ん、(隣りの人から聞いたのだろう)貿易センター」
「じゃあ、目の前に俺がいるはずだけど見えるか?」
「・・・・あっ、見つけました」
と言う事でやっと会えて二人で傘に入り
(傘は気休め程度)マンションに戻ったのですが、
奥さんから、「あ、花火中止になったわよ」と言う事でした。

彼は「今日は花火ではなくて、雨を見に来たみたいですね」
なんて言っていた。CCRの和訳を知っていたのだろうか(笑)

いやー、昨日の雨すごかった。
あんなに激しい雨の中を歩いたのは何十年振りだろう。
多分十数年前台風の日にゴルフをやったとき以来だろう。
(スタート時降っていなかったのですが途中から本来の大風と大雨が降った時)

家に着く迄服はびしょびしょ、
夏なのに身体は冷え冷えでした。


7/22のニュースから。

昨日はニュースの多い日でした。
妻と二人で、部屋に閉じこもって家で絵を描いていました。
いろんなニュースがリアルに飛び込んできました。

キャサリン妃のロイヤルベビーの話題は、
まるで実況中継のようにずっと続いていましたね。
本人はいい迷惑だと思うのですが、
無事男児を出産されたようで良かったですね。

あとは横溝正史の世界へ誘うような山口件であった殺人事件。
犯人らしき人のが断定できなければもっと、
不気味な事件になったでしょうね。
これもはやく原因究明してほしい。

でもね、俺が一番気になるのは
福島の放射能の汚染水が、(今頃になってやっと)
海に8倍の濃度で流れ出ていると言うニュース。
これは今後大変なことになると思う。
福島の人の事をもっと考えてやらないと。
日本全国で災害費を山分けしている場合じゃない!!

だから、「風評被害ではないんだってば」、
現在も進行中だって事を国もマスコミも、
もっと積極的に報道してほしい。
「今日の福島」として毎日のニュースでやった方がいい。
「福島の復興無くして日本の復興無し」と言っているんだから。
地元の人も、国も「ごまかすな」!と言いたい。

ごまかすと言えば、
福島からでた自民党の参議員議員(女性)は
「福島の原発は全部廃炉」!を訴えて当選した。
自民党はその事と
「世界に日本の原発は世界一安全だから、
海外にも売り込む事は矛盾しない」としている。

もし福島の事故が天災であったら、
人間は天災には敵わないのだし、
人災だとしても人のミスはつきもので、
毎日の事故を見ていても分かると言うものだ。

だとすれば、問題はその後の解決をどうできるか?
という事でしかない。
その処理ができていない現在まだ「安全だ」と言い切れる
根拠は何処にもない。

今日も二人で家で仕事しています。
暑くなるようですが皆さんも体調には気を配り、
気持ちよくお過しください。


7/13日62歳になりました。

自分では誕生日はそれほど嬉しい事でもないですが、
やはり、祝って貰えると嬉しいですね。

なのに、あまりミクシーもフェースブックも毎日見る訳でないので、
(そんなものでもやっていなければ人の誕生日は知るわけはありません)
自分は祝って貰いながら、
人の事は見逃している可能性が大きいです。
お祝いの言葉もかけなかった方々すみません。

北原さん(おもちゃ博物館)が持論でいつも
「誕生日は自分の為ではなく母に感謝する日だ」と仰っています。
私も誕生日は自分の為ではなく、
「自分と接してくれる人に感謝する日」だとおもっています。

還暦過ぎて二年になりますが、
毎日妻には今でも
「言葉はキャッチボール、話すときは、代る代る」や
「短気でパニクっても前には進まない」
「自分の意見を言う時に人の意見を否定するな」等々
数えきれない程指導されています。
(欠点だらけな自分だと言うのは分かるのですが、
どこでそれが出るかは自分では気付きません、
そんな事を言ってくれるのは、
大先輩か妻くらいしかいませんので感謝しています)

気がついたことは直してしているつもりですが
なかなか気配りができなくて周りの人に迷惑をかけることばかりです。

これからは人格も少しずつ精進していきますので
今後ともおつきあいよろしくお願いします。

先輩には安藤さん(西荻のコーヒー豆販売所経営者)の
ように102才の現在も元気で自転車に乗って働いていらしゃるかたも、
やなせたかし先生のようにいつまでも
元気を人に分け与えていらっしゃる方もいます。
私も大先輩方を見習って102才迄働くつもりと
85才で(ゴルフの)エイジシュートを達成するつもりで
頑張ります。

現在付合っていただいている皆様、
これからもこの縁を大事にしたいと思います。
この場を借りてお礼申し上げます。


最近のニュースの傾向


昨日ニュースを聞いていて思ったことがあります。
復興庁の水野靖久・参事官がツイッターで、
被災者支援団体などを中傷していたとされるニュースです。

殆どのニュースが問題発言だとした上で、
「けしからん、更迭だ、懲戒免職だ、」と騒ぐ中、
昨日昼のラジオのニュース解説をしていた方一人が
擁護という訳ではありませんが、注意を促していました。

それは、暴言は暴言で注意しなければならないが、
ブログに書いている内容の暴言部分だけピックアップして
する新聞社のやり方は如何なモノか、と
それをスクープしたとされる記者に対してのものだったのです。

水野参事官はやる事はやっていたし、
文脈を見ればまともな事を言っている、
と言って彼の書いた文を紹介していたのです。

夜のニュースでその会議の様子がビデオで紹介されていました。
そこでは、被災者かもしれない参加者が、
「早くやれー」「何ぐずぐずしてるんだ」とヤジを跳ばしていました。
(モンスターペアレンツを思い出しました)
彼の書いた暴言の相手はこれらの人に対してだったのです。

それを見て初めてあの解説者の言っていた事が納得で来ました。
あの立場の人がツイッターで言うべき事ではなかったと思いますが、
会議を進める気の無い人がただ暴言を吐いていたら、
言いたくもなりますよ。

それよりもあのニュースから「部分を切り取る」ことで
「庶民は簡単に操作される」怖さを改めて知りました。
アベノミクスや、いろんな流行語を生み出すニュースは
本当に気を付けてみなければなりません。
現代の記者及びキャスターは必ずしも庶民の側に立った立場で
ものを発信している訳ではありません。
自分たちの利害が最優先の場合が多いからです。


こどもの日

今日は5月5日
今日の5日にかけて洒落でいろんな日が
設定されています。

レゴの日とか玩具の日とか、
わかめの日なんてのもあります。
でも一般にはこどもの日です。

僕はいつから大人になったんでしょう?
勿論成人式(の日)は覚えています。
一人でスナックに入ってお酒を飲んだ記憶があります。

その頃は
墨田区の鐘ケ淵と言う所にすんでいました。
仕事は蔵前で
紳士装身具のデザイン(サンプル作り)や営業、
の仕事をしていましたが、
漫画家になる夢を持っていました。
言わばモラトリアム状態でした。

いつまでもこれじゃいけないと
ちばてつやさん門を叩きましたが、
「漫画家は絵が上手いだけじゃダメなんだ、
 もっと社会勉強をして来なさい」と言われ諦めました。

その後四つ程会社を点々として、
やがてデザインメイトに入り、
子会社のサブマリンが出来てそこに移って
2つの会社あわせて34年。

もう漫画家になる気はありませんが、
(正直漫画家にはならなくてよかったと思っています)
デザインが漫画の代わりになったかと言うと、
なりませんでした。
強いて言うと企画の方が漫画家気分に近かったような
気がしています。

やっぱり何かを作るのが好きなんですね。
それで今こういう状態にいるんだけど、
このままでは終われない気はしている。
この何か欠けている気分状態がずーっと続いていて、
だから未だに大人になった気分がしないのです。

今やっている事が間違っているとも思えませんが、
常にこれで良いのか?って思っています。

いよいよ今月5/18日は足立区の桜花亭で
毎年のイベント「う・そ会」が始まります。
皆さん箸をお椀を持って来てくださいね。
久しぶりに皆さんと会えるのを待っています。


新潟から東京へ。

今朝帰って来ました。

前のタイトルすごいことになっていましたね。
ビックリしました。
26日から23日って。

正しくは、
19日午後から出掛けて行って
20日アロニアの打合せをして、
21日花見(安中由依ちゃんの応援)
22日移動→東京
の予定で行ってきました。

いやー寒かったのなんのって、
雪が降っていました。(ホント)

おかげで21日行なわれる予定だった
桜祭りのイベントは全て中止。
安中由依ちゃんもステージで
歌う事はできませんでした。

私は愛宕中学校時代の柔道部の先輩方が
毎年やっているという飲み会に妻を連れて参加。

柔道部の同期生が一人いたので彼に電話して
飛び入り参加させてもらいました。

柔道部の先輩3人と46年ぶりで会う事ができました。
(一人は10数年前に一度お会いしていたが)
特に一年先輩の主将(キャプテン)には、
大変面倒を見てもらった覚えがあり、
ここで会ってなければ
一生会う事も無かったかもしれません。
誘ってくれた同期生に感謝です。
(写真は前日20日に撮ったもの)


4/19〜22まで新潟。

明日から、新潟に行って来ます。

最初予定は17日から25日までと思っていたのですが、
前後を少しずつ縮めて
何とか4日間で行ってくるようにしました。

やらねばならない事が
東京と新潟にあって身が裂けそうです(笑)

明日納品がすんだら出掛けます。
桜が残っていたら少しは花見気分に浸りたいが
無理かなあ。


東京ディズニーランドがオープン(1983)

今日が30年前ディズニーランドが
オープンした日だそうです。

ディズニーランドオープンと言えば、
私と妻(裕子)が結婚した年です。

「そうかーもう◯◯年になるんだ」。
と言う事を
ディズニーランドが節目の年には
そのイベントやニュースが教えてくれます。

何故かディズニーとは縁が深く、
(勿論当時は仕事もしていましたが)
ミッキーの誕生日(11/18)は我々の
結婚式の日でもあります。
(合わせたわけではありません、
これも後からニュースで知りました)

二人のきっかけは
私が前の会社でディズニーランドオープンに向けた
商品開発をしていたため、
(開幕前の会場に入って写真を撮ったりしていました)
プレオープンに招待されたので一緒に行ってくれる
社員を誘ったところ手をあげたのが、(日曜日と言う事もあって)
妻(裕子)だけだったと言うわけです。

30年前と言えば、
そうです、私は31才裕子も21才でした。
まあ、楽しい30年間だったと思います。

今後の30年間をいかに楽しく過ごすか。
それが課題です。

そうだ、今年は記念日に
ディズニーランドに行ってみるか。
(写真は当時株式会社トミーのスタッフさんから
 お祝いにいただいた人形とほぼ同じもの?)
暇な人一緒に行ってもらえません?


ドラゴンボール展

妻がバイトで今週いっぱい
日本橋高島屋でドラゴンボールの
雑貨販売のお手伝いをやっている。

聞くとその商品めがけて子供からおじいちゃんまで、
普段ほとんど高島屋には縁のなさそうな人達が
いっぱい来るそうだ。

その中でも大きな若者たちは、
売り子の人達よりも情報をいっぱい持っていて、
ある物はいっぱい大人買いしながら、

「なになにはないのか?」
「◯◯はつぎいつ入るの?」とか、
聞いて来るのだと言う。

そんな事を楽しそうにいろいろ話してくれる。

しかし、ほとんどアニメを見なかった俺には
(ピッコロや、ベジータ位は分かるが)
◯◯や何々が・・・と話されても
その空欄が埋められないのだ。
(つまりよく分らん)

一緒に生活していて、
いつそんな事を勉強していたのだおまえは。

(写真は昨日横に止まった車、記事とは何の関係もありません)


ちょっと休養。

先日(3/22)の丸の内マルシェで、
腰を痛めてしまった。

一緒に店を出したお母さんが連れてきた
10ヶ月の子供をあやしていたのが原因らしい。
(可愛かったのだ、つい抱っこして歩き回った)

これで
しばらくはゴルフもお休みだ。
先日誘いがあったがお断りした。
五月か六月になったらまた始めよう。


足立区竹の塚という所

昨日は前に住んでいた家(竹の塚)の大掃除。
借りてくれていた人が入れ替わるので、
引越しと、掃除の手伝いに行ってきました。

柏に引っ越して来てもう二年になりますが、
まだ、やっぱり足立区の方(竹の塚)が落ち着きます。

竹の塚は長かったので友だちも多く、
いろんな場所にも思い出があります。
前に借りてくれていた人も次に入ってくれる人も、
もともと知り合いです。

(だから不動産やさんを通しません。
 良い不動産屋さんとお付き合いしているのでお願いしたいのですが、
入ってくれる人に少しでも経費負担にならないようと思って、
不動産屋さんを通さないのです。友だちだと安心って言うのもありますし)

昨日は行くと直ぐ、向かいのご主人が出て来てくれて、
ニコの話とアーチュリーの話をしてくれたり、
(以前うそ会でニコを弾いてくれた)
息子さんが釣りの話をしてくれたり、(ちょうど釣り帰りだった)
はす向かいの庭の手入れをお仕事にしている奥さんが、
寒いのにわざわざ出て来て、
半日庭の草取りや木の枝の手入れを手伝ってくれたり、
(いや俺が指示された感じですが)
その隣りのSさんの娘さんKちゃんは、
自転車で出かける時わざわざ止めて
「今年成人式を迎えました、今は◯◯大学に行っています」
と挨拶をしてくれた。

やっぱり地元の人達との交流(近所付き合い)が
あるというのはいい。
落ち着ける第一条件ですね。
俺だけ?


毎日のノルマ。

早いなあ、一日の流れが。

大人になれば成る程一日が短く感じるのは、
諸説ある中で、その年数分の一日だから、
という説が一番納得しています。
(なんせ61年分の1の365日分の一なんだから)

20数年前のファイロファックスやバインデックス、等
システム手帳が発売された時期からリフィル作りはして来ましたが、
少しでも流されまいと、
最近は毎日スケジュール手帳を作り、
毎週のノルマを書き込むようにしています。

で、ないと一日中何もしないうちに、
終わってしまうからです。
まあ、今迄退屈をしたことが無かった
という生活はそれなりに充実していたのですが。

問題はまだまだこれから先の話ですからね。
(それに昨日何を食べたかも忘れているしね)

その毎日のノルマに、最近は
アイデア出し、スケッチ、運動(ゴルフ・腹筋)、
今日の体重、今日の出費 etcを
書き込んでチェックしているのですが、
それでもやらない?やれない?日はある。

ノルマをクリアーするだけで、
結構充実感はあるのですが。


新しいプリンター。

先日、壊れたパソコンが直ったので、
(近くの電気屋さんに行ったとき)
ついでにプリンターも買ってしまいました。

(以前企画スケッチを納品した時に、
「せっかく企画はいいのに、この出力じゃ
スケッチが勿体ないからデータ送って!
こっちで出力し直すから」と言われていたので)

昨夜、
曼陀羅メンバーや知り合いのイラストレーターの
作品を出力して(プレゼンのために)持って行こうと
したら、ほんの数枚試し刷りしていたら、
もう、「インクの残量がありません」。
と出てしまった。

確かにプリンターって本当に安くって、
作っている人に悪いな、って思うくらいなのですが、
(他にもそう思う物は他にもいっぱいあります)
そのマイナス分をインクで稼いでいるというのは知っていましたが、
無くなるのがこんなに早かったとは。
(多分十枚も刷っていない)

朝になったら買いに行って、
出力して持って行かなければ。
ああ、今日も楽しく忙しい。


謹賀新年

新年あけまして、
おめでとうございます。

昨年もいろいろお世話になりました。
今年もよろしくお願いします。

昨年末(因りによって12/30)からパソコンが壊れ、
修理に出していました。

昨日(1/4)やっとデーターだけ取り出して
同じ形のMacに移植して帰って来ました。
(12万もかかりました)

本体が替わったせいか印刷が出来ません。
(何故かキャノンのプリンターのその型番だけ抜け落ちている)

なので、未だ復旧作業がしばらく続きます。

まずは挨拶と、パソコンで年末年始に出来なかった事を続けます。


2012年の個人的、10大ニュース。

まだ終わったわけではありませんが、
私個人の本当にプライベート的な今年の10大ニュースは

1. 西荻窪のプラモデル設計会社の顧問を解任された。
 でもまあ、約一年間毎日本をいっぱい読めた事に感謝しています。

2. 30年ぶりにイデオンのイラストを描いた。
  来年ブルーレィが発売されますのでよろしくお願いします。
  2月には富野さん(監督)湖川さん(キャラクターデザイン)と
  トークショーにも参加します。

3. やっぱり30年ぶりくらいで、
  某ゲーム会社のキャラクター(ボスキャラ)を描いた。
  久しぶりにペンを握って楽しかった。

4. 某アニメ会社に玩具の試作を作ってアニメの企画をプレゼンをした。

5. 新潟県五泉市、(株)サンファームの依頼を受け
  アロニアのジャム、そのラベルとパッケージを制作、
  月イチ、丸の内マルシェで販売も手伝っています。

6. 株トレンドマスターの玩具
 「なでなで猫ちゃん」のパッケージ制作。
  10月末発売したばかりで順調に売れています。
  トイザラスや、大手玩具の売り場にはありますので、
  サンプルが出ていましたら、ぜひ手にとってなでてみてください。

7. やなせたかしさんの誕生日に、
  詩メル代表でオリジナルマフラーを作りプレゼントさせて頂きました。
 「お、去年のリベンジだな」と言ってもらえた。
  来年のプレゼント思案中。

8. 新潟で中学生時代の仲間と49年ぶり?の同級会を開いた。
  新潟から東京に出ていった時とほぼおなじテンション?でいる
  自分に比べて皆大人になってしまった感じがして少し寂しい。

9. 6月に足立区で「う・そ会」を開催。
  何とか六月に出来ました。12月の場所探しには苦労しましたが結局ありませんでした。
  相変わらず場所探しに苦労しています。
  公共の場所でこのままのうそ会を出来る場所がほとんど無い。
  (会費安く、食べ物や飲み物の持ち込みOK、うどんとそばが茹でたり煮たり出来る。
   お酒も飲めて、ライブも出来る。大人から子供迄参加出来る100人規模の人が入れる場)

10. 原発反対デモに行った。
  かなり大勢の人の賛同を得たはずなのに、自民党圧勝とは、
  あの人達の票はどうなったんでしょうかね?

(順不同)

この他にも沢山あり過ぎて10に限らせて頂きました。
いずれにしても仕事やイベントや関わってくれた皆様にこころより感謝します。
良い年末をお過ごしください。

皆さんは、如何でしょうか?
よかったらお知らせください。


年末恒例ジャンケン大会。

昨日は夜からタカラ時代の友だちの主催する忘年会。
浅草橋の忘年会会場へ着いたのは8時ちょっと前。

この一年一度も会っていなかった人もいれば、
ときどきお会いしていた人も。
今回は忘年会の日がかぶった人が多く50人ちょっとだった。

この会の面白いのは参加者が、クリエーターだったり、
メーカーの方が多いので、
プレゼントは今年作った自分たちの商品(及び作品)の
持ち寄りで成り立っていること。
最初にプレゼントを提供してくれた人を前によんで、
商品の説明(アッピール)してもらう。

それに続いて
「この商品の欲しい人はいるかー!?」で
みんなが「おー」と言ってじゃんけんが始まるのだ。

最初はプレゼントする人と参加者、
参加者が少なくなると参加者同士のジャンケンとなる。

これだけで結構盛り上がるのだ。
勿論私もアロニアのジャムを持って行き
しっかり説明もやって来た。

写真は、見事勝ち抜いてゲットした
セガトイズのアンパンマンことばずかんDX 英語切り替えスイッチ付と
タカラトミーアーツのうまい棒ワイルドパーティ。


イデオン復活?

先週は1週間程家に籠って
イラストを描いていました。
筆を握って本格的なイラストを描くのは、
たぶん30年ぶり。

そう、30年ぶりと言えばイデオン。

その伝説巨人イデオンのブルーレィが、
今度新発売?されるので、
そのカバーイラストを描いたのです。

約30年前
商売的には大失敗し乍ら、
いつまでも業界に影響を与え続けるイデオン。
(エヴァンゲリオンも庵野監督が
 リスペクトしたという話は有名)
最早その事が伝説になってしまった感があります。

そんなのにメカデザイナーとして
関われたのは運ですね「うん」

私が久しぶりに筆をとったきっかけは、
夏に某ゲームメーカーのキャラクター
のスケッチを頼まれた事がきっかけです。

今年10月、西荻に通っていたある会社の
顧問の職を解かれた所為で、急に時間ができたのです。
そのとき、一番やりたかったのが絵を描くこと。

もともと東京に出て来たきっかけは、
ちばてつやさんのアシスタントになるつもりだった。
なので、絵を描く事は嫌いなわけではありません。
自然に絵を描けなくなっていったのです。
忙しくて描いている暇が無くなった。

なんせイデオンを描いていた頃は、
ミクロマンも同時進行していたし、
忙しい真っ最中でした。

例えば午前中は朝から外に出て営業
(と言ってもクライアントでパッケージやデザインの打合せ)
夕方帰って来て、(なんせ常に10〜20アイテム抱えていたので)
それから部下に仕事を渡したりオリエンしたり・・・
自分の仕事ができるのは夜中しかなかったのです。

なので、イデオンをやっていた時は
2〜3時間しか寝ていませんでした。

今回も最後の二日位は当時を思い出しました。(笑)
それも自分が感を取り戻すための
必要な時間がでした。

久しぶりにリキテックスの色を揃えたし、
描きたい気分は更に高まっています。
勢いに乗ってあと数点描いて、
サンライズに
イデオンイラスト展でも開いてもらおうかな?。

(添付写真は打合せ後に、湧いたイメージを描いたラフ、
この内のどちらかが採用になりました)


中野サンプラザ レストラン121

中野サンプラザ「レストラン121」の
「ヘルシーバランスディナー」
試食会に行ってきました。

一品ずつ食べ乍らチェックをして
アンケートに答えていくのですが、
その度に丁寧な説明をして頂くので、
おあづけ状態が長かったです。(笑)

それでも味は、美味しかった。
ヘルシーメニューとなると、
だいたいが物足りない(食べ足りない)事が多いのですが、
今回は井上正子先生に作ってもらったメニューを、
シェフが作り、その料理をみんなで試食する、
と言うものでした。

すでに何回かやられているこの企画、
このあとアンケートを修正して、
一般の方々に来週から提供するという事になっています。

場所は中野サンプラザの20階に有る
「レストラン121」で、
「ヘルシーバランスディナー」
3800円のコースだそうです。

すでにその広告の為のポスターやチラシは出来上がっていて、
校正をし乍らの試食会でした。

目の前に先生が座られたので、
アロニアの事で、色々アドバイスを頂きました。
また一緒にゲストで参加されたNさんは
いろんな食材を扱っている方。
この人にも色々アドバイスを頂きました。

美味しさよりも色々参考アドバイスばかりで、
お腹いっぱい勉強になりました。


第一回「家そばの会」

文字通り、家の近くの人を集めてのそば会です。

近所の、つくしが丘カフェの夫婦の企画により、
取りあえず第一回をやってみることになりました。

私にとってそば打ちとは、
近所の人や仲間と楽しく話をする為の道具でした。

そばとは元々何処の家庭でも打っていたもので、
プロなみの腕は必要無いと思っています。
そんな私が人の企画に乗ったと言え、
お金を摂ってそばを打つのですから緊張しました。

私のそば打ちは、遊びで始めたもので、
プロになる気もなければ、極めようという気もありません。
道具も妻の父から譲り受けたから始めたようなものです。

初めて自分でそばを打ってみたら、思った以上に難しかった。
本を読んで勉強しているうちにハマってしまったのです。

おかげでタカラトミーで「家そば」というオモチャを作ることができました。
(その時の意味は「自宅で本物のそばが打てる」でした)
(今回の「家そば会」とは・・・タカラトミーで作った「家そば」のネーミングと
 「家の近くの人とそばを食べる会」をかけています。

今後ともこうした会に参加して、
楽しい地域活動の一環になればいいなと思っています。
そばの魅力と来て頂いた方に感謝です。


『猫あれこれ展』

大倉山に行って来た。

向島アート展で知り合った「ふんずさん」の企画展
『猫あれこれ展』と、
彼のギャラリー「ギャラリートウキョウジョウ」を見に。

改札を出て左に回り込んで線路ぞいに、
5分くらい歩いたところにあった。

表からはこじんまりとしているのだが
中と二階にはかなりスペースがあり中々ゆったりしていた。

中には猫の絵画や小物グッズがいっぱい。
向島アート展で知り合った作家の作品もいっぱいあって
見応えがあった。

残念だが最終日なので昨日でお終い。


酒の酒場

北千住で西新井の知り合いと待ち合わせ。
うわさの「酒の酒場」に行ってきました。
今迄二度足を運んだが入れなかった。

旨い!安い!こりゃ混むわけだ。
次回もぜひ北千住は一件目はここで飲もう。


新潟日記

23日の夜中10:00頃に帰って来ました。
さすが、5時間の運転は疲れる。
(いやそう言えば30分休憩はしたな)

この数日間、田舎の出来事を簡単にまとめてみます。

18日の夜に東京を出ていって、
夜中?明け方?2時頃イシモクさんのモデルハウス「アゼクラ」に到着。
なんか我が家のように落ち着く。

19日はアロニア畑をめぐるつもりが、
朝から大雨で中止。
代わりに午前中は室内会議。
今後のアロニアの展開をスケッチブックに紙芝居にしてプレゼン。
午後はいろいろ関連会社の視察。
ハーブハウス「キッツエミサ」さんほか

20日の
五泉市村松町の同級会は45人中10人の参加でした。
昨年来れなかった人で、新しい参加者は二人でした。
二次会はとなりのカラオケ屋さん。
(誰もカラオケはつかいませんでした)
二次会を終えて3人を今俺がお世話になっている、
モデルハウスに誘いました。
はじめて床が桐の家に泊まったみんなは、
家を立てる前に知っていたら検討したんだがなあと言っていました。
翌朝駅迄送って来年もまたあおうと別れました。
(写真貼付/外装・内部)

21日改めてアロニア畑を視察。
お昼を食べた後別れて午後からは
親戚や知り合いの家を訪ねて夜早くねる。

22日は生家に戻って、
家を視察。
家の床を剝いでシロアリの状況を確認。
そのまま使えればここを
アロニアハウスに改造してとなりの畑
アロニア畑を視察に来た人を泊める場所にする予定。


今日から新潟。

今月いっぱいで、今行っているモデル会社の契約も終わり
次の仕事も探さなくっちゃならないと言うのに、
まずは、田舎新潟で同窓会です。

久しぶりに会った仲間は(昨年還暦の会で卒業後初めての同窓会)
中学時代の仲間ですから皆、見た目は派手に変わっています。(笑)

でも彼らと会うとますます、元気になれます。
自分の小さい時の60歳と言ったら「おじいちゃん」でした。

が、いまの自分にはその自覚も、その気もありません。
現在30代の知り合いが一番多いのもそのせいかも知れません。

そんな彼らと同級会を田舎で明後日やってきます。

今日の仕事(打合せ)が終わったら田舎に帰ります。
今晩は加茂の家具屋さん「イシモク」のモデルハウスにお世話になります。
この家があまり良いので実家には帰らなくなりました。
(もっとも実家には誰も住んでいないし、床もぼろぼろになりかけています)

で、明日は五泉のアロニア畑をみて、
今後のアロニアの売り方や、パッケージについて打合せをしてきます。
こっちからの提案(プレゼン)です。
今度ゆっくりここでも説明していきますね。

13日のフジTVをご覧になった方もいらっしゃると思いますが、
今後「アロニア」はもっともっと見直されて?知られてくることでしょう。
研究されればされる程、素晴らしい効能が発見されています。
(若返り、目の疲労回復、などなど)
しかも糖分が少ないのがいい。(ちょっと渋いですが)

帰って来たらまたその報告をします。


十代の夏休み。

友達(高校生)から合宿中のメールをいただいて、
私も高校生のときの合宿を思い出しました。

部活の合宿とか修学旅行とか、学園祭とか、
非日常は楽しい思い出がいっぱいありますね。

私は中学生と高校生のとき柔道部に所属していました。
で、高校の柔道部ですが、やっぱり強く印象に残っているのは
一年生の時の始めての合宿です。

部にはお金がないからと山の中の休校中の学校を借りて、
校庭の草取りをするのを条件で使わしてもらいました。
部活は初日の朝、部の畳を運ぶところから始まります。
お米は勿論持参して、ご飯作りももちろん自炊します。
柔道の合宿なのか、キャンプなのか分からない状態でした。

特に柔道部の打ち上げ(最終日)の夕食は、
未だによく覚えています。
忘れるはずがありません。
俗によく言う「闇鍋(やみなべ)」だったからです。
(昔、漫画の巨人の星とかにも出ていたやつ)

つまりこの学校に伝わる「食の度胸試し」ってやつです。

作るのは2年生が担当になって代々受け継がれています。
当日の朝から二年生は、合宿が終わるのが嬉しいのか、
我々一年生を驚かせるのが嬉しいのか、
みんな機嫌良くニタニタしていました。

そして、夜。
真っ暗な中で1年から三年迄全員輪になって座ります。
二年生がルールを説明し(と言ってもお椀の中のものを全部食えっていう無茶なんだけどね)
そのあと全員で「いただきまーす」の声のもと目の前の大きなお椀に
入ったものを見えないので”勘”でいただきます。

「ん?ん?ん?」なんかよく分りません。
今迄食べた事に心当たりがありません、
めちゃくちゃ気を使い乍ら食べました。

それでも私と、同じクラスの石井君の二人だけがお代わりをしました。
歴代でお代わりしたのは二人だけだそうです。
要はただの負けず嫌いの目立ちたがり屋でした。

話は変わって中学時代の事です。
今回田舎に帰ったとき、中学時代柔道部だった、
友達を訪ねました。
その彼は現在も柔道の大会に選手として活躍中です。
(現在、講道館6段 新潟県の様々な柔道関係の役員をやられています)

約47年ぶりの再会ですがお互いその道一筋やって来たせいか、
(この場合二人とも”好きな事を”の意味です)
一気に中学時代にタイムスリップしてしまいました。

47年ぶりに会った人と一気にずーっと付合って来た友達のように
馴れ馴れしく振る舞うので
妻からは「人間が浅く見える」だの「・・・・」だのと
いろいろおしかりを受けましたが。

不思議なもので、
他の中学の友達とかは今でも”君”か”さん”づけです。

この差は一体何故なんだろう?
柔道部だったからか?
でも特別仲良いわけではなかった、と言うかライバルだったし、
お互い相手に一目置くところもあったような気がしている。

やっぱり、お互い中学時代、そのままの
”子供”で育ってきたからのような気がしてなりません。
つまり、会って”子供に戻った”のではなく、
”子供のまま”だったのではないかと思っています。

それは好きな事をそのままやり続けてきたから、
気持ちが成長しなかった?と言えば問題ですが、
社会に出てあまり大きな転換期をむかえなかったからか、
(世の中に裏切られなかったというか)
お互い人に恵まれ人を疑ったりして来なかったからだと思います。

だから、47年ぶりであっても「よっ!」で、
挨拶が交わせたのでしょう。

彼と彼が集めてくれる柔道部の仲間と今秋か来春に会う事になっています。
今から楽しみです。


今日から夏休みです。

いよいよ今日から夏休み。
これから新潟です。

もう直き出発します。
朝の1:00頃からです。
この時間が道路は空いています。

この夏田舎にはやりたい事がいっぱいあり過ぎます。

一度は川に行って体を焼いてきたい。
中学の友達と
高校時代の同級生とそれぞれ一人づつ
には会ってきたい。
アロニア畑をみてジャムをもらってきたい。
他にも親戚まわりやいつもの友達にも会いたいし
・・・・
一ヶ月でも足りそうもない。
(いろいろ宿題もあるし)

でも来週の火曜日(8/14)の夜には帰ってきます。

あっ今日夕方携帯落としたら壊れました。
明日直してもらう迄電話もらっても返事できません。
あしからず。


オリンピックにもの申す。

毎晩、暑い夏を過ごすのに、
ビールを飲み乍らのスポーツ観戦はたまりません。

ですが、オリンピックの運営自体には疑問や
腹のたつことが多いです。

日本の柔道での金メダルが少ない
のもそのひとつですが(これは単なるわがまま)
審判の判断のまずさが気になるのは私だけではないでしょう。

一番指導が欲しいのは審判にです。

「礼節第一」というのが柔道のおきてですが、
それが伝わっていないのも気になります。

バドミントンの事件や、
(なんかこれはルールに大きな問題があるようですが)

勝つ事にこだわりすぎるといろんなマイナスが吹き出してくる。
マスコミも責任の無いままにはしゃぎ乍ら金の予想をしたり、
負けて涙を流している人に無理矢理マイクを向けたりする。

プレッシャーをかけることや相手の気持ち等気にしていない?
(いやこれはマスコミ会社の方針であり、
そうした流れに慣れてしまったインタビュアの問題でしょう。
視聴者が見たいだろう気きたいだろうという代弁者、気取り?)

これはお金で飼いならされたマスコミの悲しい性?
伝えなければならないことを伝えて、
伝えなくてもいいことは考えて発言できるインタビュアーが増える
時代になるといいなあ。


今日は隅田川の花火大会

近年この隅田川の花火大会には行っている。

数年前、当時クライアントだった彼に誘われたのだ。
元々会社の部下や親戚を集めて
自宅(浅草)のマンションの7階でやっていたのだが、
世の中「忙しい」を理由にだんだん来る人が減っていた。
そこで声がかかった(と思うのだが本当の所は解らない)

「家で花火みようよ、よーく見えるよ。
 みんな集まってくるし、楽しいよ」
というので、彼の部下にも会いたいし、で行く事にした。

ところが、世の中元部下もやっぱり「忙しい」のである。
なのでいつ行っても彼の昔の部下には会えた事がない。
他の人達とは知合いになった。

昨年その方が、楽しみにしていた花火大会前に
ガンで亡くなられた。。同い年である。

なので、もう今年からは無いのかなと思っていたら、

「奥様が、今年も花火大会を自宅でやりたいと言っています。
皆さん集まってください」と、友達からメールがあった。

旦那さんの一番好きだった花火大会をここで見る。
という行事を無くしてしまうのが忍びないという事だった。
本当に花火(この日)が好きな彼でした。

花火がよく見えるという事は、
花火と同じくらいの高さにあると、言う事で、
難は風向きに因ってはススがまともに入って来る事である。

あれから1年また今年も誘いのメールが来た。
今年はスカイツリーとの競演だと言う。

ツリーが出来るのを楽しみにしていた彼は
出来上がるのを待たずにいってしまった。

 彼はスカイツリーよりも高い所から、
集まった我々の顔ぶれや仕草を笑い乍ら見ているような気がする。


はせがわゆうじ絵画展〜風の散歩道〜

はせがわゆうじ絵画展〜風の散歩道〜
7月18日(水)〜24日(火)
伊勢丹松戸店本館9F美術画廊


昨日は夕方から松戸のはせがわゆうじ展に、
・・・飲みに行ってきました。

11人でぎゅうぎゅうに詰め込まれたところで飲みました。
空輸持ち込みののドイツワイン、ベルギーワインもいただきました!
(もちろん隠して飲んだんだけれどね)

昨日は妻と二人して浴衣で行ったんだけど、
二人して浴衣で歩くと、
「あれ?今日何処のお祭り?」
なんて声が後ろで聞こえます。

涼しくて冷やしてないお土産のベルギービールが
かえってのどに気持ちよく美味しかったです。

下駄は少しなれる迄歩きにくかったけど、
松戸だと帰りが近くていい。

未だやっていますよ。
はせがわさんは今日はもういないけどね。
お近くの方はぜひ行ってみてください。


さよなら原発10万人集会

7/16さよなら原発10万人集会のデモに参加して来た。

 個人的なデモは約40年ぶりだった。
当時(1971)学生運動が盛んで毎週末代々木か日比谷で集会とデモが繰り広げられていた。
 夜からが本番で回りに機動隊が取り囲んでいる中を、太い竹竿にしがみつき乍らジグザグに更新していった。放水も浴びるし催涙ガスの洗礼も受けた。
 しかし今回はちがった。
誰もヘルメットもかぶっていないし、道路のレンガをはがすやつもいない。明るく楽しい集会だった。

 12時頃代々木公園駅を降りるときからワクワクしていた。公園に向かって人がどんどん増えていって信号の度に人かさがましてくる。なんかそれが皆同士だと思うと嬉しくなって来たのだ。

 会場に着くと既に演説は始まっていた。
小室等さんらのオープニングライブは終わったらしく神田香織さんの司会で奈良美智さん、坂本龍一さん、大江健三郎さん、落合恵子さん、瀬戸内寂聴さん、広瀬隆さん等の話を聞いた。
(この他にも数名いらっしゃったのですがハッキリ聞けたのはこの人達という事です)
 坂本龍一さんの「たかが電気で命を危険にさらすべきじゃない」で大きな歓声があがったり、瀬戸内寂聴さんが90歳になられた事を知っておどろいたりした。

 なんと言ってもみんなの心にぐさっと来たのは、広瀬さんの原発を止める為の具体的な対策だったろう。
話の内容は「電力会社と今直ぐ取引をしよう」だった。
彼が言うには「もう猶予がない、日本のプレートは危ないんだ」という事。
「電力会社はやはりお金がないと破産する、だから原子力を動かさなきゃと言うことになっている」
「そのためには電気料金は高くなってもいいから原発を止めてくれ、と言う条件を出して飲んでもらう事が一番手っ取り早い」という話だった。
 結局そこで生活している人達の意識は金が無ければ生きていけないと思っている事。だからその利権から離れられないという、平和の日本が作ったお金至上主義の呪縛だ。

 神田香織さんは相変わらずテンションが高くこの場所には合わない感じがした。皆さんの話を聞いてから第一ステージ(サッカー場)を出た。既にこの場所では自販機の中身がすっかりが売り切れていた。
 ベンチで休んで隣りの人に挨拶すると、二人は埼玉から来たという。二人は話しているときは全く気がつかなかったのだが、一人は足が不自由でもう一人の方は目が不自由だったのだ。

 次に話した人は近くに住んでいて毎週来ていると言うSさんという方。
二人で話しているうちに気付いたのは「なんか来ている人達の平均年齢高いですねー」
「みんな昔デモをしたことがある人ばかりじゃないのか?」だった。

 ここからは勝手な僕の意見です。
現代の若者は多くが優しくならねばならない教育を受けて、草食男子が多くなった。?
飲み屋でも街中でも喧嘩は驚く程少なくなったし、安全になったようにも思えるが、
その実はストレスをためても上手く外に出せなくなっているだけなのでは?
 だから一見真面目?だった人が突然凶暴になってしまう、とかも多いんじゃあないかな?。
もっとゲームから離れて、デモに参加したりして怒りを外に出そうよ、
である。

 第二ステージは二時からトークショーやライブが始まっていたのだが、
ライブの途中でデモの流れにのって帰る事にした。 
 デモの流れにそって歩いていると公園の出口に向かう途中で、喉が渇いていたのでビールを一杯。
すると、目の前で客に民族衣装やアフリカからの楽器を売っている人がいた。
巧みにポリネシアのポイと言うヨーヨーのような玩具でパフォーマンスをしている人がいたが、
それを真似て小ちゃな子が演技する。
名前は俊之助(二歳)女の子のように見えるが男の子である。

民族衣装を売っている彼は、実家は静岡だが、静岡にいては食べていけないので、
ここ東京に出て来ては商売をしているという。
金が貯まったら、インドに行ってヨガの勉強をしていると言う。
年に半分くらいはインド生活だと言う。

 デモの途中は猫を探す活動家の人と話し乍ら恵比寿迄デモをし乍ら帰った。
家では久しぶりにお寿司が待っていた。もちろんビールと。
疲れたあとのいっぱいは格別であった。

ちなみにその日会場で発表された参加者は17万人でした。
さて、今度の公式発表はなん人て発表されるんだろう?


すごいひとに会って来た。

現在、月水金と西荻窪に通っていますが、
西荻の事を知ろうと、
最近「散歩の達人」を買いました。

その記事を読んで、
すぐに会いたいと思った人が
アロマフレッシュの店主安藤久蔵さん。

86歳でこのコーヒー豆の焙煎店を開き、
現在101歳で現役。

近所は自転車で回っていられます。

お伺い(珈琲豆を買いに)した時は[Japanist]
の取材を受けていられる最中でした。
(来月6ページの特集だそうです)

遠慮しようかと思ったら、
「いいからいいからここに座りなさい」と椅子を勧められ、
一緒に横に座りながら話を聞かせていただくことになりました。

話は、安藤さんが中学時代、
初めて東京と出会ったときの印象を語っておられました。

日本橋の「三越」に行ったときは、
入り口で下駄を脱いで注意されたこと。
「だって、家の茶の間よりも綺麗なんだもん」とか、
エレベーターを勧められても、
お金の取られるもんだと思って断って
階段で上がろうとした事、等々が楽しく話されていました。

お昼休みに行ったので、
時間が無くなって
「今日は帰ります、改めてまた来ます」と言ったら、
「今度は電話して来て」と、名刺をくれました。

う〜ん素晴らしい、元気印をもらいました。


曼陀羅webSNSの会員にお知らせ

一昨日から、
曼陀羅SNS(曼陀羅webの仕事仲間だけが閲覧できるサイト)
のサーバーに不具合があり、サーバー管理元のMさんが修理中です。

未だ修復にどの位の時間がかかるかメドが立っていません。
ご迷惑をおかけしますが、
大事なお知らせはメールでしますので、
しばらくお待ちください。

なおその期間こちらでブログを書きます。
よろしくお願いします。


五月のゴルフ

5月も半ば、今が一年中で最高の季節と言う人も多いですね。
自然の中を散歩するのは勿論ですが、
街の中をぶらぶらする散歩もいい。

勿論ゴルフもいい。

そう言えば昨日読んだ本に、
ゴルフをやる人にうつ病はいないとか書いてありました。

確かに自然の中をほぼ一年中歩けますし、(森林浴)
歩くのが体にいいのはほぼ公認の事だと思います。

それに、一発打つときの集中力と、上手く打てたときの快感。
意識の緊張と開放が、ストレスを取り払ってくれます。

私事ですが、
不安神経症になった時に、いろいろやった挙句ゴルフを始めて、
だいぶ楽になった記憶があります。
打つ瞬間の集中力にはすごい力があります。

不安神経症になった当時は、それ迄好きな本を読んでも、
映画やテレビを見てても、突然襲ってくる不安
(どこかへ走って逃げ出したくなる衝動)から、
どうやってもぬぐい去れなかったのでしたが一瞬途切れました。

それは不安神経症から私が活路を見出した瞬間でもありました。
そして、ゴルフにのめり込んで(これも良かった)
いつの間にかゴルフとの縁はきれなくなりました。

そしてなんと言ってもゴルフを続けるには、
楽天家であるか、楽天家になるしかないのです。(私は勿論後者ですが)

つまり、自分の性格も変えないと
不安神経症は治らないのだと思います。

これはお医者さんに言われた事ではなくて、
自分で本を100冊以上読んで悟った事です(代表参考本=森田療法)
なので皆さんの中で不安神経症や鬱の方で
悩んでいる方総ての参考になるかどうかは当然分かりません。

ゴルファーの資質は先天的であれ後天的であれ、
スコアーがどんなに悪くても、
次はきっともっとうまくなってやる。

右に左に曲がったボールも次はまっすぐ飛ばしてみせる!
と常に前向きにならざるを得ないのです。

「この素晴らしいゴルフに出会えた事に感謝!!」(故:夏坂健)

ホントこの言葉に感動しました。


最近のゴルフ練習場

昨日も肩を慣らしにゴルフの練習場に行った。

すると、数打席離れた所で、作業服を着て練習しているのがいる。
(ボンタンを履いて頭をバンダナで丸く冠ったようにしばっている)

そこへ、この練習場の常連らしい人が来て
「さすがに今日は止めたよ」と言って、
その作業服の人と話をしていた。
雨だったので予約をキャンセルしたらしい。

ここで、先日書いた気まぐれブログの事が気になる。

何故あとから現れたゴルフの先輩(多分同年輩かそれ以上だろう)は
その若者の格好に注意をしなかったのだろう?
そして雨の日のキャンセルを自慢げに話したのだろう?

服装は少しは気にするべきだし、
雨で止めたのは情けない事なのだ。

もうちょっと本物のゴルファーならこの風潮を止める、
緊張感が欲しいものである。


最近のゴルフに思う。

先週から肩痛で二週間程ゴルフの練習を休んでいた。

しかし来週月曜日(ゴールデンウイーク最終日)
星の宮カントリー倶楽部に行く事になっていたので、
昨日びくびくしながら練習場に行ってみた。

結果は、
少しは痛かったが、なんとかスイングは出来た。
(アプローチだけだが)あと1週間あるので、
あと二回位は練習が出来る。
その内には治るだろうと思っている。

しかしなんでそんなに迄してゴルフに行くのか?
答えは二つある。
ひとつは勿論好きだから。
そして、もうひとつはゴルフとはそう言うものだから。

そう言うものとは、
「いったん場所と時間が決まったら、遅れない、約束は破らない」
と言うのがゴルフの基本だからです。

(これはゴルフだけではなくイギリスの野外スポーツ全般、
サッカーも、ラグビーも或は決闘等にも言える事です)

これが「ゴルフは紳士のスポーツ」と言われる所以です。

この歴史的な背景を知らなければ、
スポーツと呼べるかどうか(ゲームの要素が強い)の
ゴルフにこうは夢中になれなかったでしょう。

ルールにしてもそうした
「誰が見ていなくても、約束を守る」から、
相手に不利(卑怯)な事はしない、が基になっている。

このゴルフと言うごっこ遊びを、本気でやる事で、
世の中の仕組が総てそうした約束事で出来ている事も見えてきます。

何だって、人と人との約束事でしか成り立っていない。
お金の存在でさえ共通の価値を
みんなで共有しなければありえないのですから。

なのに、
その社会の共通の意識が薄れてきているような気がします。
ギリギリになって断ってきたり、
少し痛い位で取り止めたりする人が多くなった気がします。
(出来そうも無い人に無理にやる事を勧めているわけではありません。
出来そうもないときは早めに連絡することが思いやりです)

私はゴルフの約束も、仕事の約束も、
約束は同じだと思っているだけなのですが。


オネストワン復活

昨日久しぶりにゴルフ仲間と会った。

ゴルフ場ではない。
北千住の居酒屋さん。

仲間とは私の主催するオネスト・ワン
ゴルフ倶楽部の幹事3人含むメンバー6人。

昨年春のゴルフコンペを、
あの地震で中止したまま一年半何も活動していなかった。

今年になって
その再活動を望む声をみんなにかけてもらって、
動き出す事にしたのだ。

ゴルフもいいがゴルフを肴に飲むのもいい。
本当にゴルフにであった事に感謝である。


携帯に頼らない日々

携帯を忘れて家を出て、
帰ったのは夜の10時過ぎ。

やっぱりこういう日に限って連絡がいっぱい入っている。
携帯を当てにしない生活をしているつもりでも、
相手があっての電話である。

今日電話をくれた方、
済みませんでした。


一年を振り返って。

 先週、読売新聞が「原発再可動を急ぐべき論」を社説で発表しました。

まだ、福島の処理も今後の見通しも片付いていないのに、
3.11を前に会社の方針を示したものだったと思う。

あ〜4chは完全にその方向に走ったなと。
先日3/11日のTVを見ていて気付いてしまいました。

 あのTVで人気だった「ダッシュ村」
(ずっと見ていた訳ではないので、いままでの経緯はよく分らないのですが)
のドキュメンタリー?ぽい特番で、ダッシュ村の現在の状況調査と、
チェルノブイリまで行ってインタビューしていました。
 その中で感じたのは、プラスの面?ばっかり報道していた事です。
福島はチェルノブイリより被爆量が少なかった。
チェルノブイリではいまだに現地に残って農業を
やって生活している人が多くいる。
(酪農家や畠農家にインタビューしていた)
などなど。表向き発表されていることばっかりのおさらいだった。

 ソ連の政府発表の数十人の死亡説とその他調査機関の数字はかなり差がある。
ソ連政府の発表と日本政府と東電の発表が信用できないことは、
みんな知っていると思ってはいるが、こういう番組でカムフラージュ?
されると裏(本当の事)は見えなくなるんだろうなと心配になりました。

 リスクはとらなければならない。が、果たして東電と日本政府は
ちゃんとリスクがとりきれるのでしょうか?そんな訳がありません。
既に亡くなった人達や、住む場所が亡くなった人達の生活を、
原発事故が無かったら?と言う状況に戻す事はもう絶対に出来ないのです。
 これから起こるかもしれない健康被害の不安を解消する事もできないし、
例えばそれが原因でガンになった人がいても多分責任は取らないでしょう。
(チエノブイリでは平均年齢が10歳も(75から65に)下がったとも言われています)

 だとしたら、そんなリスク回避の出来ないものを、使い切れてもいないのに、
ましてそれが無いと日本は生きて行けないと国民の指導者たる?
新聞社が報道するものではありません。そう考えるのは愚かな事です。

 本当に原発再可動案しか出せないとしたら、それは指導者ではありません。
そんな、未だ安全も確認できない玉手箱に頼るしか無いとしたら、それは無能者です。
それは一か八かの単なる博打です。単なる原発信者です。また神話が発生します。

 最近東電では、補助電源の入れ方も知らなかったり、
いざと言うときの予行演習もしたことが無かったと言う事が分ってきました。
このずさんな管理意識のままで、再可動を推進する読売の社説には反対です。


やなせたかしせんせい祝93歳!

今年もやなせ先生の誕生パーティは大盛況でした。
場所は帝国ホテルで18日行なわれました。

93歳のせんせいは今年も元気でした!

今年のプレゼントはあたたかな手袋付手編みのマフラーです。
(本当は変形させたかったのですが・・・無理でした(笑)

昨年演出に失敗したドライアイスを再度使って(妻が)運んで行くと・・・
「おっ昨年のリベンジだな」と昨日の事のように思い出してくれました。
(このリアクションが欲しかったので、この言葉だけで満足でした)

会場に仕込んだサクラ30人と一緒に1.2.3でクラッカーを鳴らすと、
壇上の左右に並んだ女性二人が踊り乍ら先生の首にマフラーを
巻く演出を考えたのですが、・・・
殺しそうな気がして
さすがにそれは出来なかった様です。

しかし、優しく首にマフラーを巻いてもらった先生は、
あとはいつものように、
しっかり歌で感謝の気持ちを
表してくれました。(笑)

ありがとうございました。
みんな元気をもらって帰りました。


60歳の壁

今年の冬はなんだかいつもの年より寒い気がする。
これだけ寒いとなかなか調子も上がらない。
基本的に7月生まれの俺は夏が好きだ。
それは俺が60を越えたからなのか。

回りから「60を越えると体力の衰えを感じますよ」と
言われ続けて暗示にかかってしまったのか?

ときどきふと弱気な自分に気がつくときもある。
いや,ふだんはぜんぜん気にならないのだけれどね。

気温の所為か、環境の変化か、最近
60歳の壁はかなり高く感じます。
登ってしまえば多分どうってこと無いんだろうけどね。

今年の目標は体力を付ける事、
体重を8キロ落とすのにも弱気になってしまい、
なかなか一歩を踏み出せない。

20年前タバコを辞めようと思ったとき、
「もし辞める事が出来なかったらどうしよう?」と
弱気になったのと一緒だ。

決心するのに時間をかけて、
意志さえ固まればまだまだ一気に出来るはず。
と言い聞かせている。

他にも決心のつかない事は沢山あるが、
まずはこの一歩から始めようと思う。


明けましておめでとうございます。

昨日(大晦日)は我が家も久しぶりに、
全員揃って年越しそばで、
新年を迎える事が出来ました。

年末は何かと忙しく、
皆が一緒に食事する事が出来ませんでした。

忘年会だったり、
忘年会のような◯◯だったり、
ゴルフコンペだったり、
やっと落ちつきました。

昨年を振り返ってみると、
いろいろやって来た事が年末になって、
ようやく実を結びかけている気がします。

思えばこの曼陀羅webのベースになっているSNSも
仕事を創り出す事を目的でつくったものでした。

最初から何も無いところから、
ものを創り出すと言う仕事は、
会社員でいるときは当たり前の事でしたが、
個人となると大変な事でした。

フリーになって一日動き回っていると、
(会社員で給料が自然に入ってくるのとは違い)
一日分のアルバイト代が無くなってしまうどころか、
交通費や打合せで2〜3日分の
出費がかさんで来る事も実感しました。

まあ、そうした中で
サンライズの企画の第一歩
(商品企画)をクリアできましたし、
話を聞いて動き出してから三年かかった
アロニアのお酒のラベルや
一年かかった足立区の生物カードが
商品化に繋がった事で、
ようやく道が開けてきました。

まだまだ、これからではありますが、
今年が来年以降に向けてどの位飛び上がれるかの
大事なジャンプの角度を決める年になるかと思います。
ジャンプの角度は決めていませんが、
一応十年後に最高点に達する事を目指しています。

話は変わりますが、
やなせさんは来年93才の誕生日を迎えられますがなお現役です。
(そのプレゼントのアイデアを今考え中です)
同じ千葉県柏市に住む佐藤安太さんは86才で博士号をとられて、
こちらも、まだ先を目指されています。

この二人を目標に今後も努力していきたいとおもいます。

皆さん昨年はありがとうございました。
今後ともよろしくお願いします。

現住所と全ての連絡先です。

曼陀羅web:樋口 雄一
http:/www.mandala-web.info/
mail: mandala@kcf.biglobe.ne.jp
〒277-0072
千葉県柏市つくしが丘2-12-8
mobile: 090-4930-2805
mandalaweb@docomo.ne.jp


安中由依ライブ

安中由依さんとお友達の舞さんのクリスマスライブ。

http://ameblo.jp/the-life-map/

が、新宿であります。
私も顔を出します。

時間のある方、
ちょっと新宿に寄る用事がある。

と言う方はぜひ立ち寄って参加して下さい。

あるいは近くに来た人は、
私に連絡だけでもください。


家に帰ると妻が必ず死んだ振りをしています。

って、いうタイトルの本ご存知ですか?

私は先日行った柏の本屋で知りました。

タイトルの面白さに誘われて手に取ると、
つい面白すぎて、
立ち読みで読破してしまいました。

なんかネットではすでに有名らしくて、
横を通った高校生のペアも女の子が男の子に、
「これ、本当の話なんだよ、

帰ってくると奥さんが死んだフリしているんだって、
それをヤフーの知恵袋に、
『どうしたら止められるでしょう?』って
書き込んだことから始まったんだよー」

って説明していました。

一時の「生協の白石さん」みたいですね。

このタイトル程ではありませんが、
私も結婚当時、妻の性格が理解できずに
困っていた事がありました。

●帰ってくると家具の色が変わっていた。
●帰ってくると和室が無くなっていた。
●帰ってくると押し入れが無くなっていた。
●帰ってくるとキッチンがタイルばりになっていた。
●帰ってくると新しい家を買ったからと言われた。
等々。

まあ、私の場合は毎日ではなくて、
あいだが空いていたので、彼程ではなかったですが。

結婚当初「妻が何を考えているのか分らない」
というのはどこも同じでしょうが、
世の中にはおかしな奥さんもいるもんだなあと感心しました。


本日午後3時から日本橋。

本日午後三時から,
妻(裕子)と二人で
日本橋(茅場町)アートラボにいます。

場所
ArtLabTOKYO
103-0026
東京都中央区日本橋兜町16-1
第11大協ビル3F
tel 03-5847-5884
http://art-lab.jp

道に迷ったら私にお電話ください。
mobile 090-4930-2805(樋口)


中学時代の同級生

今晩から新潟に帰ります。
46年ぶりの中学校の同窓会があります。

みんなお互い覚えているのだろうか?
みんな髪の毛が無かったらいやだな。
心配です。

自分のクラスに連絡してくださいとあった
1〜6クラスの名前に心当たりがなく、
(当然自分のクラスも覚えていない)
適当なカンで電話した。

元気で大勢集まってくれる事を願って帰ります。
皆と連絡がとれれば田舎が近づきます。
また強い絆ができ、何かやるにも心強いです。

今晩夜中に帰るので、
宿は加茂の桐の家具屋さんイシモクさんのモデルハウス 
あぜくらを借りることにしました。
(http://www.ishimoku.co.jp/showroom.html#modelHouse)

この家は。
桐で何処まで出来るだろうか?
と言う事で実験的に作ったのと、
桐を多くの人に知ってもらうには、
住んでもらうのが一番だと言う事で、
出来たモデルハウスです。

前にも泊めていただきましたが、
桐床に慣れている私は落ちつきます。

宿帳?寄せ書き帳?には中尾ミエさん等
芸能人の名前も見られ、
社長のおつきあいの広さが伺われます。


ホットスポット

柏に移り住んではや10ヶ月。
あっという間でしたね・・・
と言うのは年末にしましょう。

ご存知のように千葉県はホットスポットと喚ばれ
放射能濃度の高いところ。
ウオーキングの途中でいろいろと計ってみました。
大体この近所は0.07〜0.17くらいまであります。
(家の中も外も変わりなくなってしまっている)
でも0.07と言うのは(この計測器では)都内の室内でも
同じようなものです。

実際に8/21日から計測してみると
積算で162マイクロシーベルトになりました。(10/2現在)
毎日3.95の影響を受けていると言う事です。かな?

ところが近所の公園では問題にならない位高いところがあるのです。
先日行った公園では1.07と言う数字が出ました。
そこには小さな子供を乳母車に乗せて散歩している方や、
子供が芝生の中で寝転んでもいます。

が、先日母に言われました。
「そうやって地元の放射能を計ってあそこは高い
何処は高いって言われると、
地元に住んでいて動けない人達は
自分たちの事を否定されているようで哀しくなる。
やめてください」
って、全く福島の人達と同じ気持ちですね。
よく分ります。

でも、思わず「そっちはあぶない!」
って叫びたくなるのをこらえるのも?良心の呵責に耐えません。

こんな日本に誰がした?!


吉祥寺

最近私は吉祥寺近辺に、よく出かけます。

先週は3日は駅前のハーモニカ横町に展示即売会をやっている
「トウキョウジョー」と
「ハンサム」と命名した個展をやっていた
オープニングパーティに行って来ました。

すると驚く事がいっぱいあります。
人の密度が半端でありません。

勿論その分お店も沢山ありますし、
駅前なんて隙間がない位
ぎっしり並んでお店が建っています。

銀座のように大きなビルはなく
そんなに高級店もなく
こじんまりした個人商店が多いようにみえる、
のも魅力の一つでしょうか。

同じ種類のお店も多いせいか
それぞれのお店がいろいろ個性を出していて
楽しいのです。
それでワクワク感が湧くのでしょうね。

最近の住みたい町ナンバーワンなのも分ります。

そんな場所でさらに友達のイベントがあります。
私は16日頃行って見ようと思っています。
http://www.mandala-web.info/contents.php?id=9#tag_583


’11.08.27隅田川花火大会

隅田川の花火大会に行ってきました。

今年は一月遅れのせいか、過ごしやすかったですね。
大勢の人が夏休みの〆にと参加されたようです。
ゆかた姿も通年より多かったような気がします。

私も昨年と同じ場所
(浅草のマンションの9階にあるTさんのお宅)
に行って見てきました。

しかし残念な事に今年は、
ご本人はいらっしゃいません。

2年間の癌との戦いの末、今年6月24日永眠されたのです。

主人のいらっしゃらない花火大会になりますが、
毎年この日を楽しみにしていた我々とご主人を偲んでと、
奥さんが私達をよんでくれたのです。

花火は我々の気持ちと関係なく、
夜空に大きな花を咲かせていました。

思わず「千の風になって」の詩を思い出しました。


田舎帰り。

お盆休み、新潟に帰っていました。
意外と短く忙しい1週間でした。

親戚の人や義理のある人にはぎりぎり会えましたが、
まだまだ会いたかったのに会えなかった人も
たくさんいます。
ぜひ秋の帰省時には会いたいものです。

写真の順番はばらばらですが、
一応取って来たものをアップしました。

アロニアはこんな暑い日差しにも負けず元気に育っています。
その真ん中になぜかピザ釜が?

金鵄盃酒造に行きアロニアのポスターを
10枚ほどいただきに行きました。
絵を描いた妻の紹介を兼ねてです。

それを持って町外れにあるイタめし屋さん
「オネオネ」に。
このお店も最初のころは、
ただでさえ民家の少ない町なのに、
町の外れにお店を開いたときは
みんなに呆れられたそうです。
そのドアにアロニアのポスターを貼ってもらいました。


市営プールに弟とその子供(姪)が行ったら、
ほかに誰も泳いでいなく、
姪一人に四人の監視員が付いてくれたそうです。

五泉の粟島公園で
由依ちゃんの参加する野外ライブを見に行った。

夏休み最後の日、
田舎で新たに町おこしの準備を始めた従兄に連れられて、
現在使われていない資源を見に行ってみました。

御神楽岳入り口(上川村)には、
今は使われていない登り釜や、バンガロー、
ライブ会場、などなど埋もれている宝(設備)がいっぱい。

そのほか、従兄の作ったお寺の庭を見に行ったり、
いつもお世話になる家具屋さん「イシモク」に行ったり、
あっという間の一週間でした。


夏休み。

いよいよ今日から、
私は夏休みに入ります。

田舎(新潟県五泉市)に帰っていろんな所へ
顔を出してきます。

昨年は一度も帰らなかったので、
行きたい所もいっぱいです。

まずは、両本家(父と母の実家)に顔を出して、
みんなに挨拶したら、
スイカとトウモロコシが食べたい。

それに枝豆とビールが出てくれば最高です。

五泉のアロニアの畑を見に行ったり、
その後の展開も聞いて来ます。
楽しみです。

あとは友達に会って情報交換して
田舎のことも少し調べてきたい。
(と言っても飲みたいだけだけれどね)

では皆さんも残る暑さを、
元気に楽しんでください。!!

では、今晩から行ってきます!

樋口 雄一
mail: mandala@kcf.biglobe.ne.jp
〒277-0072
千葉県柏市つくしが丘2-12-8
mobile: 090-4930-2805
mandalaweb@docomo.ne.jp


上野恩賜動物公園

久しぶりに上野動物園に行ってきました。
スケッチをしながらちょっと
動物のことを調べたかったからです。

動物園内は子供が多いのに驚きました。
元気に遊ぶ小さな子供や、
乳母車から無邪気にはしゃぐ
赤ちゃんを見ていると、
いくら楽天家の私でも放射能のことが気になります。

とくに今私が住んでいる柏市はホットスポットと言われて
放射線量の多い所です。

今直ぐに影響は無いと政府や東電は言っていますが、
今までのウソをついて来た経緯を見ても、
(原発のウソ:小出裕章 福島原発の真実:佐藤栄佐久)
信用できるものではありません。

かと言って今すぐ私に出来ることは何もなくて、
ただただ子供を見守るだけです。

やがて動物好きな子供は、
自然にも興味をもち環境にも感心を持つことでしょう。

そうして、
人間が一番環境を壊していることを知って驚くでしょう。


暑気払い、同窓会。

7/16日同郷(新潟県五泉市)の同窓会が中野であり行ってきました。

今回また初めての人二人と知合いました。
一人はウエッブデザイナーのIさん。

そしてもう一人はお店のご主人。
「百人衆」(http://ameblo.jp/hyakuninsyuu/)の山田さん。

ウエッブデザイナーの彼女は、
他の人には全く忘れられてしまった、
同級生のT君を覚えていてくれたので、
彼の話で二人で盛り上がりました。

他の人がT君を覚えていないのも無理はありません。
T君は手塚治虫さんのアシスタント
になるため高校二年で学校を中退したため、
ほとんどの人には1年の記憶しかない訳です。

ところが、Iさんにはあるエピソード(内緒)と
一緒に記憶に残っていたのです。(笑)
僕はその年(高校二年生)の夏、Tくんを訪ねて
友達3人と上京し手塚治虫さんに会わせてもらうことが出来ました。
T君の勧めで?先生が起きてくる間、当時連載中だった「火の鳥」の
鳳凰編?に記念にとペン入れをさせてもらいました。
もう時効でしょう(笑)

T君とは当時虫プロで発行していた漫画雑誌
COM(コム)の新潟支部で知合いました。(他にも10名ほどいました)
ですが、その後連絡をとれないままで心配しています。

もう一人は、ここ中野駅前の居酒屋「百人衆」のご主人山田さん。

ここのお店は、新潟の酒造会社「金鵄盃酒造」のKさんから
「是非一度行ってみてくれ」と言われていたので、
何時か来ようと思っていたのですが、
丁度良いタイミングで同窓会があり、やっと来れた訳です。

その金鵄盃酒造のKさんの話をして、
自分がラベルを担当させてもらった「アロニア酒」の話に及んだとき、
ビックリしました。山田さんから、
「あれは地元五泉市の街おこしに同級生がやっているのですよ」
「えっ、それじゃあサンファームの樋口紘一さんも知っていますか?」
「勿論同級生ですから」
「彼は僕の従兄です」・・・ということで、山田さんはそのまま
僕の前に座ってしばらく話をしてくれました。

その話の途中で、そばのニューウエーブを起こしたと
言われる「竹やぶ」の阿部さんも同級生だったことを知りました。

世の中、話をしないと分らないことがいっぱいあります。
まして話を出来る所まで、自分で歩いていかないとそのきっかけも掴めません。

今回はとっても楽しい同窓会になりました。
勿論創作料理も美味しいですし、
お酒も美味しいのが揃っていました。
今回は新潟の「菅名岳」をいただきました。
あー美味しかった。


いよいよ七月!

今月いよいよ還暦を迎えます。

今迄はあまりと言うか全く年齢的な衰えは気にしたことがなかったのですが、
60代と言うと健康や体調に少しは気を使わなければなりません。

今年に入って近い年齢の人が、
いろいろな病気で亡くなったりもしています。

元気な方でも同年輩や少し年輩の方と話すと、
直ぐに体調の話が出てきます。

今のところ僕はまだ血糖の心配ないし、
血圧も120ー72で安定しています。

が、
今迄のように飲み過ぎやオールは
控えようと思います。(自戒の念を込めて)


「全米オープン」

 第111回全米オープン。
昨日ようやく終わりましたね。
面白かった〜。

 今年はメリーランド州コングレッショナルCCで開催され、
北アイルランド出身のローリーマキロイ選手が優勝しました。

 選手の名前も(マキロイ選手は昨年から知っていたけど)、
知らない選手がいっぱい出てきます。
(基本的にあんまり人の名前を覚えないし
テレビ中継も昨年までは見ていなかったので
詳しい人にはこんなのも知らないのか?!
って言われそうですが)

 とくにここ最近ヨーロッパの人たちの活躍を目にします。
「全英オープン」に比べると、
途中雨と雷で中断されたものの選手からすれば
風や気温など全体的な気候の条件はだいぶ楽でしょうね。
(芝やラフの状態は分かりませんが)

 マキロイ選手はいつも(地元ヨーロッパツアーでも)
あんなに高い球を打っているのでしょうか?
 そんなことを感じながら選手のスイングを見ていると、
みんな綺麗なスイングで、簡単そうに振っています。

道具(クラブ)の所為でなんか打ち方が、
大分変わってきたのが分かりますね。

 勿論石川遼もよくやった。
最終日今大会初の60台をマークして30位タイに食い込みましたね。
一気に崩れた昨年とは違い最終日にスコアを伸ばしてのフィニッシュは見事でした。
今後の活躍を見ていきたいですね。

【最終結果】
優勝:ローリー・マキロイ (-16)
2位 :ジェイソン・デイ (-8)
3位T:ケビン・チャペル (-6)
3位T:ロバート・ギャリガス (-6)
3位T:リー・ウェストウッド (-6)
3位T:Y・E・ヤン (-6)
7位T:ピーター・ハンソン (-5)
7位T:セルヒオ・ガルシア (-5)
9位T:チャール・シュワーツェル (-4)
9位T:ルイ・ウーストハウゼン (-4)

30位:石川遼         (+2)


虹をわたるクロフカ/22話が更新

虹をわたるクロフカの22話が
アップされました。

出版 印刷物からごらんください。


虹をわたるクロフカ

虹をわたるクロフカの二十一話をアップしました。
出版 印刷物からごらんいただけます。


虹をわたるクロフカ(二十話)が更新

虹をわたるクロフカも、十九話、二十話が更新され、
いよいよ架橋に入ってきました。
ここらで今までの分をまとめて一気読みしてみたら如何でしょうか?。

http://www.mandala-web.info/contents.php?id=4#tag_391


嬉しいお知らせ。

今年2月6日で92歳になられた、やなせたかし先生ですが、
毎年赤坂プリンスでは、詩とファンタジーの授賞式と一緒に、
先生の誕生日パーティがあります。

今年も2月4日に赤坂プリンスでは最後になる
(取り壊しになるので)
誕生日パーティーが開かれました。

そこでは、元「詩とメルヘン」の受賞者(星屑同窓会)が、
主体となって毎回誕生日プレゼントを贈る事にしています。

僕も、はせがわゆうじさん(実行委員会の副会長?)の計らいで
8〜9?年前から
お手伝いスタッフとして参加させていただいています。

いままで、やなせ先生のフィギュアとか、
131人のイラストレーターによる巻物とか
やなせうさぎの人生ゲーム、
などプレゼントしてきましたが、
今年の二月は一段と寒かったので暖かくしていただこうと、
やなせうさぎをデザインしたキルティングの
ベストを作ってプレゼントしました。

いつもと比べて何か物足りないと思った僕は、
ドライアイスの演出を思いつきました。
ベストを隠した箱の中に
大皿を敷きドライアイスを入れ
渡す直前に水を注いでプレゼンテーターに渡したのです。

しかし、暗いところでの作業だったため、
水を注ぎ過ぎこぼれてしまい
ベストを濡らしてしまったのです。
このときのことが気になっていたのですが・・・

はせがわゆうじさんからこの事が載った新聞の記事を送っていただきました。


虹をわたるクロフカ(第十七話)

月之宮成子さんの
「虹をわたるクロフカ」
(第十七話)をアップしました。
どうぞごらんください。


皆さん無事ですか?

東北地方は悲惨な事になっています。

3月の11日地震当日
私もアルバイトで上野にいました。
皆さん(都内にいらした方も)いろんな苦労をされたようですね。

私は今年から柏に移っていたので、
どうやって帰ろうか迷ってしまいました。
妻と妹が銀座にいたので迎えに行く事も考えましたが、
なんせ携帯がぜんぜん繋がらないのですれ違うことを考えて諦めました。

三ノ輪にいる友達から自転車を借りて、西新井まで行き、
西新井の友達に車を借りて妻を向かいに行こうと考え歩きはじめました。

しかし三ノ輪まで行っても携帯が繋がらないので諦めて、
そこから水戸街道に向かいました。

歩くのが苦にならない私にはそれほどでもなかったですが、
一緒に歩いていた方々の中には、ヒールの高い靴を履いた女性やら、
高齢の方、或は乳母車を押した女性も一緒でした。
皆で声を掛けあいながら?
(私が勝手に話しかけながら)歩きました。

乳母車を引いた女性は三ノ輪から亀有に向かう途中まで
一緒だったのですが、南柏の方でした。
亀有でバスに乗るか電車の回復するのを考えていたようです。
私もそのつもりで歩いていました。

しかし水戸街道に出た所でそれは諦めました。
道路がまるっきり流れていないのです。

結局最後まで歩いて帰りました。
柏の家までは7時間半かかりました。
17:00から歩きはじめて00:30に家に着きました。

途中でみんな休まれたりしたので
最後までは一緒でなかったのでよくは分りませんが
相当大変だったと思います。

取りあえず私の親戚関係は(岩手も含めて)
安全な事を確認して安心しました。

しかし友達や知り合いの中にはまだ家族の安否確認が
できないでいる方が何人もいます。

早く無事でいることが確認出来ることを祈っています。


虹をわたるクロフカ/第16話アップ

皆様長らくお待たせしました。

月之宮成子さんの
「虹をわたるクロフカ」第16話をアップしました。

出版印刷物の島から入ってごらんください。

感想を頂けたら嬉しいです。

mail: mandala@kcf.biglobe.ne.jp


向島昨今

昨日は今年一番の良い天気で?
向島のブックマルシェに行ってきました。
(来月4/1〜3が本番で昨日はプレオープンです)

天気が良かったせいか、
大勢の方に来ていただきました。

知り合いの方も大勢来ていただいて久しぶりに
お会いする事ができました。


充実して、柏の家に帰ると
一通のお知らせメールが来ていました。

一昨年向島で第一回アート展をやった時
向島のアート展*にいらした「アートギャラリー石」からです。

僕はオーナーの方しか知りませんが、
その時銀座の画廊状況を教えて頂いた
アートギャラリー石のオーナーが
御亡くなりになっていました。

どなたか展示を計画中の方がいらっしゃいましたら
声をかけてみてください。


(向島アート展とは一昨年昨年と曼陀羅webで主催してやった、
向島界隈のお店(喫茶店や雑貨店ギャラリー)9店舗を御借りして
30人から40人の作家が集まってやった展示会)

以下メール文です。
******************************************************************************************

樋口さま

銀座の“アートギャラリー石”です
ますますのご活躍のこととお喜び申し上げます
お引っ越しで新しいご生活は如何ですか

是非、ギャラリーをご利用頂ける方のご紹介をお願い致します
昔の銀座のまま、時の流れが止まったような奥野ビルの雰囲気を気に入って頂ければ幸いです
ご連絡をお待ち申し上げております
今後の、ますますのご発展をお祈りいたします
p.s.
本年正月にオーナーの母が亡くなりました
母の遺志を継ぎ,創作の世界の方々の応援が出来ればと
引き続き頑張っております

アートギャラリー石
中央区銀座1-9-8-208
080-5506-6565
石渡


住めば都

此処に来てもうすぐ2ヶ月。

まだ片付いていないものも多くありますが、
ほぼ毎日の生活は落ちついてきました。
その証拠に二ヶ月で3.5kも太ってしまいました。

引越しで見失ったものも多くあります。
(まだ全部の荷物を開いた訳ではないので)
例えば、Zライトの取り付け部、デジタルカメラのPC接続コード等々
これらが無いとカメラのデータが取り出せません。

アルバイトをしながらも企画書はどんどん進んで、
以前よりも生産性は上がっているかも。
やるべき事もやりたい事も少しづつ多くなってました。

再来月5/14日は「う・そ会」を
足立区竹の塚で開く予定です。

参加者募集中です。
参加ご希望の方はご連絡ください。


引越ししました。

2010.12.30より二十数年間住み慣れた足立区を離れ、
千葉県の柏市民になりました。

年末から今迄引越しやら何やらで
他の事に手が回らず何にもできませんでしたが、
ようやく少しずつですがものも片付き
必要なものが使えるようになりました。

このパソコンもそう、
接続に随分時間がかかってしまいました。
(NTTとルーターとプロバイダーの間でたらい回しにあってしまいました)

TVや携帯やパソコンに成る可く依存しないように
と思って使っていましたが、
TVは兎も角携帯とパソコンには
もうすっかり依存しまくっている事が分かりました。

こういう事って使え無くなって解るんですね。

メールアドレスも変わりました。

(旧)mandala@adachi.ne.jp
(新) mandala@kcf.biglobe.ne.jp

改めて今年もよろしくお願いします。


引越しします。

長い間、
更新をお休みしていました。

しばらくおつきあいの遠ざかっていた方には
突然ですが、
今住んでいる足立区竹ノ塚から千葉の柏に
今月の23日に引越しをします。

引越しを済まして落ちついたら
また改めて2011年の計画や今考えている事を
まとめて発表します。

それまで、このwebの更新も少しお休みします。
ご迷惑をおかけしますがよろしくお願いします。

※メールアドレスは今月いっぱいで通じなくなります。
(今迄足立ケーブルのアドレスを使っていたため)

が、携帯や携帯のメールアドレスは今まで通り使えます。
御用の方はこちらにご連絡ください。

携帯電話番号090-4930-2805
携帯アドレスmandalaweb@docomo.ne.jp


では、みなさん、良いお年を・・・


携帯が帰って来た

壊れた携帯を修理に出したら、
10日程度できれいになって戻って来た。
(外のカバーまでとり変えてくれたドコモさんありがとう)

その間も借りた携帯を使っていたので
実際はそれほど困らなかったが。

まだ登録していない人のメールが来た時は困った。

「今から行きまーす」
「今何処ですかー」
というふうに突然用件だけが入ってくる。

アドレスに名前が入っているなら
(あるいは約束している人なら)分かるが
登録していない人からのメールだと、

「了解、ところであなたのお名前は?」となる。

PCのメールでもそれはあるが
極めて少ない。

手書きの手紙やはがきでは絶対なかった事である。


携帯壊れました。

携帯が壊れた。 

文字通り何の反応もしない。

自分的には何も困りはしないのだが、
今は向島アート展の開催中である。

チラシに携帯のメールアドレスも載せている。
友達にも来たら電話して、と言ってある。

携帯を買ったショップに修理に行くと
知らない間に400人以上のアドレスが登録してある。

時代の要請なのか
あんなに携帯嫌いだった自分が
いつの間にか携帯に頼った生活をしている。

携帯とPCを使いはじめてから、
私の生活が随分変わった事に気付いた一日でした。


向島アート展開催中!

 向島アート展(開催中)のお知らせメールを送っていたら、
突然(トラブルはいつも突然ですが)送れなくなってしまいました。
なので内容をかいつまんでお知らせします。

 最近ますます、アーチストやクリエーターの活躍する場が少なくなってるようです。
そこで自分たちで仕事を作ろうと始めた企画です。

「歌舞伎の世界にもスーパー歌舞伎ができたり、柔道も青色の道着が定着した。
そんな激しく時代が変わる中で美術館や展示会の手法が昔からあまり変わらない」
そんな話しも聞きました。

 そこで美術館や一般のギャラリーの堅苦しさを取り払って、
参加者みんなで一緒に楽しむ、そんなアート展があってもいいじゃないか。
場所は向島辺りがいい。(向島にはアートを身近にする雰囲気があります)。

 普通展示会は終わったら何も残らないものですが、
今年は作品集(カレンダーつきポストカード)を作りました。
 (昨年の展示会で地元をテーマにした作品を商品にしています)。

 買ってくれた人に思い出ができ、
地元の作品が売れる事でお店の人も喜び、
作家に還元される仕組み、そんな事を目指しています。

(※写真は、向島アート展(2009)作品集です)。


 昨年の向島アート展の中から、向島をテーマに描いてくれた人、
中村豪志さん、はせがわゆうじさん、長縄キヌエさん、加藤龍勇さん、秋元理恵子さん、
牛山歩さん、撫子凛さん、樋口裕子さん等の作品が収まっています。

「カレンダー」としても、
「ポストカード」としても使えるよう
1つにファイルした「作品集」!。
 1200円(12枚)で発売中!です。

曼陀羅web・向島アート展実行委員会 代表 樋口雄一


向島アート展開催間近!

暑い日もだいぶ和らいできました。
皆さん今年の夏は如何お過ごしたでしょうか?

さて、いま迄なんどもあちこちで言っていましたが、
いよいよ来週(9/13日・月曜日)から、2週間墨田区で
第2回向島アート展を開催します。

昨年に引き続き今年で二回目になる
向島アート展ですが、

平成のシンボルともなるスカイツリーの麓
昭和の雰囲気が残る向島界隈(押上から曳舟)
のお店9店舗を借りてアート作品を展示しております。

今年は40名の作家が参加してくれました。

イベントも2週間毎日やっています。
是非一度見に来てください。

昨年の展示会から生まれた作品集
(カレンダー付ポストカード)も発売予定です。

(今週一週間は墨田ケーブルにも出ております。笑)
1 番組名   J:COMすみだ(2チャンネル)ウィークリーすみだ
2 放映予定日 平成22年9月5日(日)〜9月11日(土)
3 放映時間  各日 午前9時・正午・午後3時・午後8時の4回


夏の終わりに

九月に入ったせいか
何となく日差しが弱くなって来たように感じるのは
私だけでしょうか?

一日に6リットルの飲料水を飲んだ
7月末のような勢いはないです。

確かにまだ35度なんて言っていますから
暑いし、猛暑日なんですが。
暑さに厚みがありません。

力の無くなった日差しに少し寂しさを感じるのは
自分が夏が好きなだけでしょうか。

もうじき向島アートの秋です。
http://mkjart.blog88.fc2.com/


直せない欠点

言われても言われても(注意されても)
直せない事ってありますよね。

人の性格とはいつ頃から構築されるのか、
生まれてくる前から決まっているのか、
その人の環境によっても変わるものなのか?

僕はいくつになっても気付けばある程度は直せる
(他からはそう見えるようにできる)とは思っているのですが・・・。

しかし
ゴルフの練習場で時々気になるのが、
人の直せない欠点を指摘する人。

いますね、そう言う人。

今日もいました。

それが言われてすぐ直るような事とかだったらいいのですが。

「◯◯さん最近飛ばなくなったねえ」

「打ち方変わったね、勢いがないよ」

と、人の心をくじくような事を平気で言う人がいます。

こういう人には友達がいるのだろうか?
心配になってきます。

多分親友のような人がいないのだろうなあ、
いれば注意するだろうし、

と思うと、
自分の言動も気になってきました。

ねえ、ぼくみなさんに迷惑かけていないですよねえ。

(なんかJAROの広告のようになってしまいましたが、
 心配になってきました。)


暑さの所為?

このところ続いているうだるような暑さに
マイっている人も多い事でしょう。

自分にとって久しぶりの休日だったので
いろんな事をやろうと計画を立てました。

が、さすがの僕も暑さに負けました。

これじゃしょうがないプールでも行って身体を冷やそうと
近所の区民プールに行きました。

が、休業日だった。

こんな事はよくある事ですが、
帰りに寄ろうと遠回りした喫茶店は18日まで夏休み。

他にも会いにいった人が避暑で都内にいなかったり、
コンビニに食べたいアイスがなかったり、
何故か自分の欲求が空回りする事が多い日があるものです。

昨日はそんな日でした。


夏休み終わり。

あっという間に田舎で過ごした3日半の
夏休みも終わりました。

正直、今回はお墓掃除だけのとんぼ返りだったので、
温泉にも行っていないし、
ゴルフも満喫したとは言えず、
(とは言っても早朝気味のショートコースには一度行きました)
余り休んだ感じがしていません。

でも、昨日今日から田舎に帰る人の渋滞を考えたら、
これで良かったかなと思います。

これから、
アロニアの販売用の袋をつくったり、
向島アート展の準備をします。


今晩から新潟。

向島アート展の準備も思ったように進んでいませんが

妻の絵の搬入
http://www.mandala-web.info/contents.php?id=9
があって、それを済ましたら、
そのまま新潟に帰ります。

新潟ではアロニア畑をみたり
安中由依さんと会って今後の打合せをしたり、
おじいちゃんおばあちゃんと温泉に行ったり、
短い滞在期間の割にはやる事がいっぱいです。

それでも行こうかなゴルフ。


夏休み。

今週初めは妻の実家(柏)に行って夏休みの前半を過ごし、
今週末は新潟の実家に行って後半を過ごす。
(とは言っても両親はとっくに亡くなってしまったが)

夏休みほど楽しいものはないとおもう
感覚的なものは子供の頃から変わらない。

多分生まれ月の所為かもしれないが、
7月で59歳を迎えた僕は来年還暦である。

「どうも実感がわかない」と
同じ世代のみんながそう思っているのは、
元気な証拠か?
自覚が足りないせいか?


村松高校同窓会

昨日、
新潟の地元高校を卒業して関東に出て来た人達の同窓会があった。
今回僕は昨年に引き続いて二回目の参加。

昨年間違って参加した高校の同窓会であったが、
(僕だけ中学の同窓会)
新たな友達二人(勿論僕とは中学の友達でその後村松高校に行った人)を
誘った事もあってどんどん知合いが増えて行く。

また、今回ゲストでいらっしゃった
オペラ歌手の丹藤亜希子さんは、話を聞いたら高校が同じだった。
マイクを1m以上も離して聞かせる「荒城の月」は絶品だった。
何よりも良く笑う元気な笑顔が魅力の女性でした。

二次会では安中由依さん(これまた五泉高校)と
二曲だけのライブを行った。

不思議な縁で、この日二次会の司会をしてくれた人は
実はなんと、由依さんのおじいさんの弟さん。?!

更に僕が由依さんの紹介の為に舞台に立って自己紹介のつもりで、
自分の出身地を言ったらそれを聞き逃さなかった人がいた。

小学校のときよく遊んでくれた隣りのお兄さんだった。
およそ50年ぶりの再会。いやあ嬉しかった。

由依さんのライブは一次会の会場と違って、
(持ち込んだ音響設備でやったため)
若干(かなり)音響に問題はあったが、
暖かい対応と、アクシデントに強くなった?
安中由依さんの度胸で無事終了。

予定していたCDも完売してまずまずの盛況でした。
来年は頑張るぞ!と終わってから
吠えた僕と由依さんでした。

また、挨拶に来てくれた人に
由依さんと地元新潟でアロニアライブを
企画しているんですよと、話をしたら、

サンファーム泉さんの事も金鵄盃さんのことも良く知る人で
年末我々を呼んでくれるかもしれない、
と言う嬉しいおまけ迄付いた楽しい会でした。

お世話になりました皆様
本当にありがとうございました。


ゴルフの楽しみ。

毎朝ゴルフの練習場に行くのは、
ただ練習をしに行くだけではなく、
知り合いになった人と挨拶する事も楽しみの1つです。

7/1にコースに行って来た76歳のYさん
(ちびまる子ちゃんのお爺ちゃん似)に
「昨日の調子はどうでした」?
と聞くと
「いやー、ラフが深くて参っちゃったよ。
キャディーがちゃんと見てくれていないと、すぐ
ロストになっちゃうんだよ」
と言う。

(彼は、コースでルールを厳しく教えてくれる人を
 ”うるさい人”と言う人だ)。

「じゃあ、いっぱいロストしたんですか」?
と聞くと、帰って来た答えは、

「いや、俺は1ッコしか拾えなかった」

誰も拾った話は聞いていないのに。

Yさんのゴルフに対する姿勢は、
僕の漫打等ゴルフより更に
ゴルフの楽しみはスコアだけじゃない
と言う事を物語っている。


う・そ会準備。

今週土曜日はいよいよ「う・そ会]です。

もう返しは作ったし、(返しは最低でも1週間から2週間は寝かせないといけません)
そばの発注も済ましました。(そばはぎりぎりに引いてもらったものを使います。金曜上がり)
出しは前日に作ります。(出しは寝かすと悪くなります)笑

金曜日に(粉の質を見るため)少し練習を兼ねて家でそばを打ちます。
まあ、討ち入りと試食会みたいなもんです。

そばは、こんな事をいうと食通の人に失礼ですが、
つけ汁で味の評価が変わります。
つまり、しっかりそばが打てて、奇麗に切れて、ちゃんとゆであがったそばは
そばの味よりも汁の味の方が、味の評価に繋がるのです。
(勿論今回も良いそば粉を使っていますよ)

しかしそば会を家でやっていて思ったのは
そばは味ではないなと言う事でした。
つまりもてなしがどの位完璧に出来たかなのです。
そしていつも悔いが残ります。

それで次はもっとうまくもっと上手に、
と言ってハマってしまうのですね。

一度でも参加した事のある人は知っていると思いますが、
う・そ会は正式には玄さんの
「さぬきうどんをおいしく食べる会」と
「僕の家でそばを食べる会」の二つが一緒になったものです。

玄さんは自分の病気(筋ジストロフィー)と闘いながら、
毎月第一と第二の週末は自分と同じ病気をもっている人のいる人の病院を廻って
うどんを振る舞っています。
その他の週は誘われると全国何処でも出かけていきます。

僕は義父が生前、退職して趣味で始めようと用意していたそば道具を
形見分けにもらって始めたのが最初です。
上手くは無いが精いっぱい打ちます。

今年も多くの人に来てもらおうとメールを出しました。
が、メールの返事の返って来ない人も何人かいます。
みんな楽しみにしていたはずなので、
返信も出来ないほど忙しいのかなあと思うと少し心配です。

2010.06.22


先月の終わりに

新潟県五泉市の高校生が上京して来ました。

その時に僕も一緒に相談を受けていたのでした。
昨日の朝日新聞に取り上げられています。

果たして、本当に東京より田舎の方が
仕事はないのだろうか?
(農家の跡継ぎも含めてですが)


東京で仕事を探す場合、
大手企業の就職や、技術職の仕事には
専門職が濃くなっている分だけ、
普通高校の卒業生が昔程気楽に
職種を選べなくなっているかも知れません。
(絶対そうとは言えませんが、面倒な時代になっています)

僕の過ごして来た業界の話になりますが。
僕は絵の勉強もしたことがなかったし
デザインの学校も行ったことがありませんが、
面接ではスケッチで通りました。
(専門学校にも行っていないので作品と呼べるものもなかったのです)。
当時はそれが通用しました。

絵で「飯を食べる」と言うことだけで考えると結構仕事はありました。
漫画家、アニメーター、イラストレーター、画家、デザイナー、等々です。
(今まで僕はそれらを1つ1つ仕事で学んで来たのですが?
今は最初からそれらを絞ってかからなければなりません。つまらない話です)

でもねえ、僕の本心は
本当は特別野望があって出てくるのでなければ
みんなに田舎に残っていて欲しいと思うのですよ。
(田舎を飛び出して来た僕が言うのもなんですが)

これからの日本の経済を考えた場合
農業は絶対重要な職業になるとおもうのです。

田舎で土地を使って行政を巻き込んで
新しい仕事は作れないのだろうか?と思いますね。

例えば田舎で従兄が始めた「アロニア栽培」とか、
それを山いっぱいに植えて新しい産業にするとか。

もっと他にも探せばいっぱいあるはずです。
農業を経済と一緒に考えたら、
新しい仕事が作れるかと思うのですが。


田舎で思う。

僕の田舎は新潟です。
帰る度に思うのは景色の素晴らしさと人間の暖かさ。

なのに何で東京にいるんだろう?

僕の実家は父も母もとっくに亡くなっているので、
家はあるものの荒れ放題。
友達とも連絡をとっていなかったので、
帰ってもいわゆる同級生とも会っていません。

家の修理に帰るわけでは無いので結局は親戚の世話になります。
本家(親戚の家)で三食いただいたりする事もよくあります。

でも、20年前頃、親の見舞いがてら帰る事が多くなって、
その度に新しい知り合いが少しずつ増えていきました。

知り合いは、やがて友達や親友になっていきます。
すると田舎に帰るのが少し楽しみになります。


何で田舎を飛び出したか?

それは漫画家を目指した、と言う事も勿論あるのですが
もう1つは新しい事ができにくい保守的な環境にもあったと思います。
(実際、イラストレーターや、デザイナー、アニメーションには関わって来ましたが、
漫画家にはなっていません)

今回田舎でよく聞いた意見は、
「政府は(自民党でも民主党でも)もっと農家に金をばらまかなけりゃ日本の農家はダメになる」
と言うものでした。
田舎の環境がよく伝わってきます。ショックでした。
自分たちでは何もできない、政策に寄って生かされている感じがします。

減反政策で骨抜きになった農家は(今は老人が多いのです)
もう新しい事にチャレンジする気力を無くしています。

たまに集団で米つくりに挑戦するグループがいますが、
(個人で勝手に米を作る事はできず、減反の報酬は地域に対して行われます)
結局潰されてしまいます。(こういうところにこそ政府はお金を出して欲しいものです)

米を国内で作らせないで米を海外から輸入しています。
この矛盾にだれも楯つけません。

そんな田舎を早めに捨てた僕ですが、
もし僕が田舎に残っていたとしたらどんなコトができただろうと思う事があります。
(思うだけですが)

自分のできる事は限られていますが、
田舎で新しい事をやろうとしている人や、
田舎が好きで好きで休みさえあれば田舎に帰っている友達もいます。
そんな人の協力は惜しみません。

田舎の人達が集まる同窓会や同郷会が毎年都内でありますが、
あれは田舎でやるべきだと思います。
(僕は田舎の「好き度」を測るのは、年に何回帰るか?を単位にすればいいと思っています)

そうすれば、田舎を知る人が田舎に帰っていろんな情報を流すし、
地元で集会を開けばそれだけでもお金は地元にながれるし、
田舎はもっと活発化すると思います。

最近の田舎に対する悔しい思いです。


五泉アロニア

一年ぶりに新潟に帰って来た。
最近は新潟に帰る事も随分楽しくなってきた。

今回はアロニアづくしであった。

ここで(曼陀羅webのお菓子の島で)何度もお知らせしたサンファーム泉さんの
アロニアの発売ルートを作るために文字通り走り回ってきました。

おばあちゃんを連れて温泉に行くと言っては
うららの杜で美味しいと評判のケーキ屋さん「エリカーノ」さんで
「アロニアの美味しいお菓子作ってください」とお願いしたり、

地元の金鵄盃酒造に行って、打合せをしたり
(アロニアのリキュール酒とにごり酒を既に発売しているところ)
新潟はローソンとスーパーさいとうにありました。
東京では新潟のアンテナショップ「ネスパス」にあります。

豪農の屋敷、五十嵐ガーデン(ビール工場)に頼んでみたり、
地元大手の代理店に相談しにも行来ました。

更に東京で歌手活動をしている
安中由衣さんにアロニアコンサートを新潟で開きませんかと頼んでみたり

東京への帰り道でもカフェ「石木」さんに寄って
アロニアのジェラード作りを頼んできました。

「アロニア」を全て同じデザインの「五泉ブランド」として出したいと思っています。
そして五泉の村おこしになればいいなあと思っています。

昨日知り合いから、
「2〜3日前の新聞に載っていたよ」と言っていました。

もうじきアロニアが大きなうねりになってくるような気がしてきます。
楽しみです。


気まぐれなブログ。

一寸ビックリ
いくら気まぐれとは言え
二月からこの気まぐれブログ更新していなかったのですね。
自分でも少しビックリしました。

まあ、ゴルフのことは毎日でも書けるのですが
(それは時々スポーツの島で書いています)
ブログで自分の近況を書くとなると、
書くことより日々動くことの方が多くなる訳です。
なんせ、今でも体育会系なものですから(笑)

なので、ツイッターとかできません(悔)

今年はやなせさんの誕生日プレゼント
(やなせうさぎの人生ゲーム)を作ったあとは
少し、休養?して
ライブに行ったり本を読んだり人に会ったりしながら
いろんな妄想を掻き立てていました。

人にはものすごく会っています。(ほぼ毎日)
人と会って得られる情報はたとえその情報が
テレビからの情報であっても
(僕はテレビを殆ど見ないのですが)
テレビの影響を知る意味でも参考になります。

でも、テレビの話しはどうでもいいです。
皆もっと自分の話しをしようよ、
です。
政治の話しや事件の話しは
みんなニュース解説そのままで意見は言えるが
解決案がない。

意見を言うのに責任をもっていないのは
テレビの受け売りで自分で考えていない所為だと思う。

でなきゃ、小泉さんや、鳩山さんを選んでおきながら
いまさら・・・
と思います。

そんな中で
足立区の主催する異業種交流会に
ひょんな経緯から参加することになりました。
商品開発を提案して採用され現在進行中です。

スカイツリーの中のお店のコンセプトワークも頼まれ提案しました。

人と会っていると(勿論出会いは時間もお金も使いますが)
いろいろなものが入ってきます。
情報はその人のやる気だとか、勇気だとか、思慮深さだとか、
を一緒に伝えてくれます。

今までであった人に感謝、そして
また今日もいい人と出会えますように。


やなせたかし91歳誕生日パーティー

昨日やなせたかしさんの誕生日パーティーに行って来ました。

やなせさんも元気で歌をうたいっぱなしだったし(毎年ですが)
いやーたのしかった。
元気もいっぱいいただきました。

思えば8年前、
妻の「詩とメルヘン」の受賞者達の主催?した誕生日パーティーに
連れ添いとして参加させていただいたのが最初でした。

当時は妻の陰に隠れて?の参加でした。
その時のお手伝いは屏風の後ろに隠れて、マイクロフォン渡す時
「ハイ」と言う言葉に合わせてスイッチを入れる係でした。
(マイクに巻かれたイルミネーションのスイッチを入れる役)

それがだんだん出しゃばりはじめて
昨日は8年目にしてはじめて壇上にプレゼンティターとして上げさせていただきました。
(「詩とメルヘン」の受賞者でも無いのに)

今年のプレゼントはやなせさんの91歳の誕生日にちなんで
「やなせうさぎの人生ゲーム」です。

やなせさんの作ったキャラクターが誕生日ごとにDP(ドリームポイント)を貰って、
91歳の誕生日に向かって走ります。

DPを一番多く集めて誕生日会場に駆けつけた人の勝ちというゲームです。
(はい勿論タカラトミーの人生ゲームのパクリです。でも絵もコピーも全て「詩とメルヘン」の受賞者達が力を出し合って作ってくれました。僕も構成を手伝いました)。

「やなせうさぎの人生ゲーム」をやなせさんに説明をすると
「さすが詩メル(詩とメルヘンの)の作家達だ。みんなの実力は素晴らしい」と褒めていただきました。(※この詩メルの人達は、曼陀羅のメンバーにもなっていただいています)

この褒め言葉は、その前日迄みんなボロボロになる迄徹夜で作業をした事も吹っ飛んでしまいました。記念になる作品です。


無駄の効用。

僕はあまり時事ネタは書かないようにしているのだが、
最近のラジオのニュースを聞いていてちょっと気になった事を書いてみよう。

それは「世の中厳しくなったなあ」という事です。

僕はいい加減で曖昧な男です。
効率化だとかシステムだとかエコだとか合理的だとかがあまり好きではありません。
人生はこれからも遊びながら生きようと考えています。
無駄な事などこの世に存在しないとも思っていま。

みんな不景気で心にゆとりがなくなったからなのか、
自由になり過ぎた時代を反省する風潮が蔓延しているのか分かりませんが、
「なあなあ」を許しません。(マスコミがリードしていると思うのですが)

朝青龍の事も国母和宏選手のこともそうです。
「先に言わなきゃ分からないでしょ」とは思うのですが、
やった事に対しては騒ぐ必要はないと思います。
むしろニュースにする必要はないと思っています。
(TVを見ない僕には知らなくてもいい事だったのです)

手が悪いのにモンゴルでサッカーをやったとか、巡業中に酒飲んだとか
(暴力は否定しますが)果ては引退してすぐハワイに行ったとか
(傷心の力士も北に行かなければならないのか!?とつっこみたくなります)

朝青龍の日常を追い回してニュースにしてきた今迄の報道には
記者の質が堕ちたと言うか相撲に対しての愛情どころか
悪意に満ちていたように思います。

相撲協会も国技でもないものを国技のように言い、
日本人に帰化したわけでもない外人をどんどん土俵に上げ、
星の分け合いを許さず(神事だとするならそれでもいいじゃないか)
ガチンコで、勝った弾みでのガッツポーズを批判する。
あれじゃ選手はどうしていいか分かりません。

スポーツ選手の取材は報道する人の意志でどうにでもなると思う。
(実際取材なんて、言葉を繫いで局の主張するように編集しているではないか)
スポーツ選手のどうでもいいような悪いところを見せるのは
僕は百害あって一利無しだと思っている。
(例えば国母選手の服装の乱れなんか今の若者に対する見せしめのようにしか思えない)

それより(注意するのは陰でしておいて)活躍しているカッコいいところを見せておけば
子供はその人に憧れて目標を持ち上を見て育つだろう。
この夢を次の世代に伝えると言う使命を最近の記者は忘れている気がする。
それより「今売れる記事」を作る事だけ考えているのではないだろうか。

スポーツ自体が子供に夢を与える使命を持っていると言う事を記者なら分かっていてほしい。

その人物の実像でなくとも僕は構わないと思う。
一寸前の亀田選手のデビュー試合から何試合かの時も、なにも常識のない生意気な部分を本人らしさと言う事なのか
(多分生意気の方が評判になって視聴率が上がると思った局が何も注意しなかったどころか歌迄歌わせて煽っていただけだろう)
早めに注意をすればああは成らなかったと思うが、今はその回り道も良かったかなと思っている。

そう言う意味でも僕はいい加減が好きで、
無駄な事などこの世に存在しないと思っているからだ。
朝青龍も国母選手もこの無駄な事件が有意義になってくれる事を望む。


アートバースディ


1960年代に1/17日をアートディと名付けた人がいて
それから毎年1月17日をアートの日として
世界同時パーティをやっているのだそうです。

僕はその日東京の日暮里にあるパーティーに行ってきました。
  そのもようは各国からリアルタイムでwebで発信されていたようです。
  バンクーバーから来た方も中国茶のティーセレモニー
  をやってくれながら配信もしていました。

写真はアーチストのカメラマンが連れてきた
ロリータファッションのモデル達。

ロリータ、ゴスロリ、コスプレの違いを教わりました。


ちょっと前の事。

今さらですが、
昨年末(実はクリスマスの日)竹ノ塚の元渕江公園脇にある
石釜ピッツアのお店「エックイ」に行ってきました。
http://r.tabelog.com/tokyo/A1324/A132404/13024842/

我々夫婦にとってはクリスマスは
どうでもよかったのですが
イルミネーションを見る事を理由に
歩きたかっただけなのですが、
時間が遅すぎたのか公園は真っ暗でした。

なので、急遽予定を変え「エックイ」で食事をする事にしました。
寒い外を歩いて温かい店に入り
熱々の釜焼きピッツアを食べ、
ビールで喉にながしこむ、
最高です。

実はピッツアも美味しいのですが、
此処に来た目的はもう1つあって、
オーナーは美術にも興味を持っていらして
妻の展示会に何度もきてくださっていたのですが
お会いした事が無かったのです。
(勿論お店には何度か行って食事をした事はあったのですが)

そこで、この日挨拶しておこうと
思って寄らしていただいたのです。

自己紹介したら、早速話しが合い
「琳派」の話しで盛り上がりました。
おかげでお宝の尾形乾山の器まで見せていただきました。
ワインもごちそうになり満足した一夜でした。

とってもいいプレゼントをもらった気分で帰りました。


明けましておめでとうございます。

皆様、本年もよろしくお願いします。

いただいた方々に出す年賀状の返事が未だ出来ていません。
ただいま準備をしています。
しばらくおまちください(汗)

メールで挨拶をした人も
アドレスが変わったのか、こちらの入力ミスなのか
40人あまりの方のメールが戻ってきています。

改めて確認してみますが、
お心当たりのある方、ご連絡いただければありがたいです。


昨年は「向島アート展2009」に明け暮れた年でした。
初めは五月からはじめるつもりで、
一月から準備を進めていましたが、
準備不足で9月に成りました。

その間何度も向島に通いました。
作品を飾っていただけるお店を探して、
何度か通いお店の人と仲良くなったところで
お話をさせていただきました。

おかげでお店の方達や地元の方達とも
近しくさせていただき少しは向島通にもなりました。
その他イベントのやりかたもいろいろ教えて頂きました。

すべて経験しないと分からない事だらけでした。
すごくいい勉強させていただいた一年でした。

また、年末にサンファーム泉便りでもお知らせしましたが、
アロニアの実がアロニア酒として商品化できました。

これは、私の故郷、新潟の五泉市で従兄が
村おこしのため同級生8人(みんな63歳です)と五年前から植樹していた
ものが実を結んだはじめての商品です。

私は三年前から従兄から
「アロニアの商品ができたらデザインをたのむ」
と言われて田舎に帰る度アロニア畑に行って
見たり話をきいていました。

今回最も信頼できるデザイナーが
裕子の絵を使って素晴らしい作品に仕上げてくれました。
今年の年末にはアメリカでの発売も決まっています。

そんなこんなで昨年は過ごしてきましたが、
今年は昨年以上に具体的な物作りに挑戦して
結果を出してくつもりです。

今年もよろしくお願いします。

曼陀羅web 代表 樋口雄一


打ち納め

昨日から始めた大掃除が未だ終わっていません。
が、仕事納めならぬゴルフの打ち納めに行ってきました。

(来年こそ70台を目指そうと思っています)

今日で毎日通っているゴルフ練習場は今年最後なので
毎朝会う人に「良いお年を・・・」と挨拶してきました。

自分の数年前となんと言う変わり様でしょうか。
練習場に知り合いができるそれまでは
隣りの人とも口もきいた事がなかったのに。

ゴルフの練習場を道場と考えるのと、
社交場と考えるのでこうも変わるとは。
自分がビックリです。

来年はスコアでもビックリさせてみたいなあ。


12月23日の事

昨日(念を押しますが12月23日)TBSラジオを聞いていたら、

カッキーンで
「今日はクリスマスイブ・イブ特集・・・」やっていました。

いくら何でもこれってひど過ぎると思いません?
昨日は天皇誕生日ですよ。

イブイブってつまりは何にもないってことじゃないですか。
(この弁でいくとその日が何の日でも関係なくなっちゃいます)

たとえ天皇誕生日特集じゃ無くても、テレホンカードの日(1983)、ふみの日(毎月)等でも良い訳です。

僕はキリスト教の信者でも右翼でも何でもないので、
クリスマスイブには家でじっとしていなさい。
とも思わない、どころか
日本の商業を盛り上げるこの時期のお祭り騒ぎはあっても良いと思うのですが、
いくら何でもこれはひどいなあと思いました。

TBSはわざと「天皇誕生日」と言うのを避けているのかと不自然に思いました。

何度も何度も意味のない「クリスマスイブ・イブ」を連呼し、
「今日は天皇陛下の誕生日ですが、・・・」とのフォローもない(笑)

初田啓介アナウンサーのこの日のタイトルにはウンザリしました。


ゴルフの戦略

今年最後のゴルフに行ってきました。
皆川城カントリー倶楽部です。

今回のテーマは「戦略」。

実力を知り戦略さえしっかり立てれば、
アベレージゴルファーなら
10打くらいはすぐ縮められる、
と倉本プロも言っています。

僕も本当にそう思ってスタートするのですが、
一度「あれ?」という球がでると
パニックになってしまいその事を忘れてしまいます。

今回も出足のホール(ティイング・グラウンド)で、
パターの練習グリーンにポーチを忘れてパニクってしまいました。

結果、息を切らしながらスタートしました。
すると、引っ掛けたり、意識しすぎてプッシュアウトしたり
「あれ?」「あれ?」という負のスパイラルが始まります。

こんな事では冷静な戦略なんて立てられません。
おかげで前半はスコアをまとめる事ができませんでした。

午後は(こういうときは気分を変えるのにお昼のあるのがありがたい)
ゆったりした気分でスタートしました。

パー5は、100Y(ヤード)又は50Y(自信のある距離)を残して戦略を
立てると非常に安定します。

するとバーディも取れるしパーが簡単に思えてくるから不思議です。

いつも終わる頃になってからそれに気付いているようでは
僕もまだまだです。
それだけ伸びしろがあると思えばまた次に期待できます。

今年のコースにでる予定は終わりましたが、
なんか上手い人とコースにでると気付く事が多くあって
(僕は練習でも「球の数より気付きの数」が大事だと思っています)
今から来年が楽しみです。


西新井商店街

29日は西新井商店街のイベントに行ってきました。

西新井は僕ら夫婦が十年前にすんでいたところです。
早朝ゴルフで餅つきの話を聞き、
あんころ餅に誘われて行ってきました。

フリーマーケットもあって
大変にぎわっていました。

そこでサクラちゃんと知合いになりました。
未だ二歳ですが、箸をつかって焼きそばを食べる姿が
とっても可愛いかったので写真を撮らせていただきました。


ミッキーの誕生日

おっとー。
うっかりしていました。

昨日11/18日は我々の結婚記念日でした。
(ミッキーの誕生日でもあります)。

妻が覚えていてシャンパンと
ケーキを買ってきてささやかな祝い事をしました。

昨年は僕が覚えていて、
夕食の時間になったので電話したら、
妻は知り合いと既にごちそうを食べていました。

我が家は記念日を覚えていたら何かやりますが、
忘れていたらそれでもいいか。
で、いままで過ごしてきました。

何でも気楽に考える事が
長くつづく秘訣かもしれません。

因にディズニーランドの開園年が結婚した年でもあります。


曼陀羅web会員 橘 智哉さん個展

今、目黒のギャラリーU
(http://www.sugino.ac.jp/gakuen/facility/gallery_u.html)で
曼陀羅web会員の橘さんが個展を開催されています。

僕が昨年一目ボレしたエンジンギターの制作者でもあります。
その時のコンセプトは、
「内燃機関なのにその激しさが表からは見えない、それをギターで表現した」と
言うものでした。
その
エンジンシリーズの作品を主として展示する予定だそうです。

金曜と土曜日はいらっしゃるそうなので、皆さんも是非行ってみてください。

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品川区上大崎4-6-19(杉野学園のギャラリーです)
http://st-t.net/new/index.html
(展示情報の欄)

11月9日(月)から11月21日(土)  15日(日)は休廊
12:00-19:00 最終日は17:00まで
会場には、金・土しかいないのですが、お時間ありましたらよろしくお願いします。

橘 智哉
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日本酒の季節。

寒くなってきましたね。

我が家はもうストーブの登場です。

快適な環境作りには誰にも負けないと自負する妻が
(暑いのや寒いのに我慢しないタイプなので)
出してきました。

我が家の一階はガスストーブにしてますが、
二階の仕事部屋はアラジンストーブを使っています。

このストーブは手入れは面倒なのですが、
炎が見えてあったかいです。

蛍光灯に対しての白熱灯のような位置づけでしょうか。

ストーブと言えば日本酒の季節です。

もうじき僕の田舎、新潟の五泉市で作っている
「アロニアのお酒」ができます。

ここでも紹介してきたアロニアを金鵄盃酒造さんが
お酒にしてくれたのです。

年内には新潟県内から販売される予定です。

ラベルのデザインをやらせていただきました。
早くお見せしたいのですが、もうしばらくお待ちください。


昨日デザ・フェスに行って来ました。

何人かの曼陀羅メンバーや、そのお友達、昔お世話になった会社の方々に
会って来ました。

その他五月のデザ・フェスで会って
九月の向島アート展に来ていただいていた方や、
今回の出展の連絡をいただいた方に
あにゃ飴を届けて来ました。

更に気になった作家には声をかけて名刺交換した方にも
あにゃ飴を配って来ました。

ついでにコンパニオン?らしき人にも
「あにゃ」飴をあげて宣伝をして来ました。

昨日飴を配られた皆様
私は、怪しいものではありません。


五泉応援団

私の生まれは新潟県の五泉市(ちょっと前迄は村松町でした)。

その五泉市に住む親戚に勧められて昨年入ったのが「五泉応援団」。
http://www.city.gosen.lg.jp/7/2368/002370.html

(五泉市はいま従兄が町おこしでやっているアロニア畑のあるところです。
年末にはそのアロニアを使って日本酒を市販する予定です)

「五泉応援団」は毎年秋に飯田橋で行われていたようです。
今回は11回目です。
私も故郷に対する愛着はありますので、誘われたら理由が無い限り行きます。

昨年始めて参加したのですが、内容があまりないので、
これから少しずつ変わっていけばいいなと思っています。
五泉市長と観光課長にはメッセージを送っているのですが・・・

つまり今は、お年寄りが多く、ただの慰労会みたいになっています。
それでいて「若い人が入ってくれないのが悩み」だと関係者は言っています。

夏に間違って行った村松高等学校の同窓会もそうでしたが、
(私は村松高等学校の出身者ではない)
200人以上いて、私(58歳)が一番若い方のテーブルに付くのだから信じられない。

この一年で私が知り会った人は約100人位だと思います。
その内80パーセント以上は30前後の人でした。

デザイン、アニメ、おもちゃ、音楽など業界の所為はあるかとは思いますが、
それでも今一番活躍しているこれら20代から30代の人を呼ぶ為には、
8000円の会費は高過ぎるし、村松甚句も必要無いと思います。

若い人を呼ぶには、内容を若くすればすぐ集まると思います。
(お年寄りもその方が楽しいのに)
タレントもっと若い人で東京で頑張っている「これからの人」を呼んで
みんなにお披露目をした方がず〜っといい。

だって、五泉応援団なんですから。


久々の楽しいゴルフ!

昨日久しぶりにゴルフに行って来ました。
以前私が住んでいた足立区西新井の町内会のゴルフコンペ(7組)に参加させていただいたのです。
十年前に住んでいた所ですから幹事さん他数名の方に知り合いがいます。

場所は栃木の大日向カントリー倶楽部です。日曜日ですが、倶楽部から迎えのバスが来てくれて帰りの弁当も付いて15000円ちょっとです。バブル期から見たら考えられない値段です。もっとも今は平日ゴルフに行けばその半分位ですけれどね。

風も殆どなく、秋晴れのいい天気でした。
私はコースプレーが久しぶりで、新鮮で充分楽しめました。

久しぶりとは言っても練習は殆ど毎日やっているのでドライバーも真っ直ぐに打てましたし球もよく飛びました。
昨年と比べたら10Yから20Y位は飛んでいたと思います。
友達から「いつも同じでつまらないでしょ」と冗談を言われたくらいです。
アイアンショットもほぼ思った通りに打てました。
バンカーにも一度しかつかまりませんでした。

何が変わったかと考えるとタイミングが良くなった事と、クラブの芯に当てる事が上手くなったからだと思います。
(そうは言っても私のレベルはまだボギーペース(90)ですからそれ以下で回れればOKなのです)笑

しかしショットは良いのになんで80台の後半なのかと言うと、パターが問題なのです。(アプローチではありません)。
私のレベルではグリーン回りから1ピン程度に寄れば上出来ですが、そこから2パットするのでは、やはり問題です。

「漫打等ゴルフ倶楽部※」のパット編をもう一度読み直して修正しておかなければなりません。
(※私がライフワークにしている、ゴルフの本を読んでまとめているノート。漫打等ゴルフ手帳の事)

来月にも楽しみにしているコンペが一つあります。
今度はパターの練習をしっかりして、もう少し上を目指して頑張ろうと思います。

今から楽しみです。


向島アート展打ち上げのお知らせ。

イベントと重複しますが、向島アート展打ち上げのお知らせをします。

曼陀羅会員の方には一応お知らせしましたが(もれていたらごめんなさい)
ゲストの方やお手伝いしてくださった方々で連絡できなかった人も
いらっしゃいましたのでここで業務連絡させていただきます。

10/17日向島でアート展の打ち上げをやります。
「あにゃ」の今後も含めていろんな話をしましょう。

今回出展をしなかった方、及び参加に関われなかった方でも
知り合いの方で参加希望の方は、僕宛にメールでご連絡ください。

15日のお昼で締め切りとさせていただきます。
(現在24人位?)

場所と時間等詳しくはメールでお知らせします。
(樋口)


あにゃと小学生

  昨日向島に行ったら、小学生の2クラス(63人)の生徒が、
事務局前をあっちにちょろちょろ、こっちをきょろきょろ、
画板を持って動き回っていました。

何しているのかを聞くと「向島を調査に来ました」と言います。
近所の小学3年生らしい。

そのうち一人の男の子があの井戸のポンプで遊んでいるうちに
指を挟んで
「◯◯ちゃんが血を流しました〜」
と女の子が先生を呼びにいく。
僕もバンドエイドを持って一緒に走り出す。

先生が指を抱え込んだ生徒に「手を出しなさい」と救急キットを
出して対応していたので安心して事務局にもどる。


そのあと小学生の内の何人かが興味深そうに
「ここで何しているんですか」と店の入り口で話しかけてくる。
  (授業中のせいか先生の指導が良いのかみんな行儀がいい)

鈴木荘の成り立ちと向島アート展それにスタンプラリーの話してあげると、
「あにゃかわいいー、スタンプを押したい」!というので一人にOKを出したら
次から次に入って来て店が一杯になったところで先生が来てストップ。
  小学生にも「あにゃ」は受けそうです。

子供に「あにゃ」の説明をしながら「あにゃ飴」をあげるのを
  我慢していた僕は先生に、
「あにゃ飴を生徒にあげてって言っても先生は受け取りませんよね?」
と言ったら
「いえ、喜んでいただきます」!って
にっこりした顔でいわれるので嬉しくなりました。
  勿論全員分お渡ししました。

子供達の調査が終わって帰る時、皆が並んで店の前に立ち
  先生の号令のもと、大きな声で

「あにゃ飴ありがとう」と言ってくれました。
  嬉しかったですねえ。

「あにゃ」これで、約70人の知るところとなりました。

  ※「あにゃ飴」は「工房鳩の目」に置いてあります。
  7個入り200円で発売中。


あと一週間

向島アート展も
いよいよ残り約一週間になりました。

しばらく楽ーな生活しかしていなかったためか、
日曜日もない状態に
疲れもピークにさしかかっています。

ですが、連日訪れてくれる人に
元気をもらっています。

昔からの仕事仲間から、向島アート展をやっていなければ
一生会う事のなかった人
いろんな方がやって来て元気を付けてくれます。

楽しい方や、不思議な方にもお会いして
また一つ友達ネタが増えました(笑)

未だ来ていらっしゃらないかた
あと一週間ですよ〜。
待っていますよ〜。


向島アート展18日目

昨日は憤頭さん(書で参加している作家さんの一人)が楽しい仲間を連れて
向島アート展に来てくれました。
(残念ながら紹介者の加藤さんも着てくれたのですが、すれ違いで会えませんでした)

憤頭さん含むお友達の衣でたちは三人が着物着ています。
(男性は袴をはいています)。
一人は普通の格好ですが一緒にいると不思議です、とけ込みます。

その四人が一緒に歩くと異様な気もするのですが、
不思議なほど危険な香りはしません。逆に癒し系です。
(すれ違う人に振り向かれるのはざらで時々写真も撮られるそうです)
※皆さん勝手に写真を撮るのはやめましょう(笑)

その人達と記念写真を撮っていただきました。
(いずれアップできると思います)
にゃわさんに記念写真を撮ってもらう時に
「樋口さん馴染んでいますよ」って言われました。

憤頭さんは自分のブログに向島アートの事を載せてくれています。
http://blog.goo.ne.jp/gallery_tokyo_joe/e/96bd68f61ba2826...

今度のうどん会には僕も着物着ようかな?なんて思いました。

また
チャリダーの井原くん達も友達と二人で北海道から16日かけて
チャリンコで来てくれました。
自分の旅グログでも紹介してくれました。
http://www.lococom.jp/article/A13/07/107/33094/623269/L/

他にも飛行機でわざわざ八丈島から来てくれた人がいるかと思えば、
裏にすむ外人(男性・多分イギリス人)は通りがかりに来てくれて、
絵はがきを三枚買っていってくれました。

残りの日にちもまだあります。
これからもできるだけ多くの人に会いたいですね。


向島アート展中間報告。

 今日で16日目、早くも中間地点を折り返しました。
毎日いろんな方が訪ねてきてくれます。
昨日は昔TFなど男児玩具の企画でお世話になったYさん。
現在モデラーの方がきてくれました。(もっとも曼陀羅メンバーなのですがね)
 
 折角なので東向島珈琲店に「山本さんのジオラマが展示してあるよ」と言うと
「もう見てきました、思っていたよりも良かった」と言ってくれました。

 更に昨日は新潟からアロニア酒の打ち合わせで、従兄が金鵄盃酒造の方二人を連れて
ラベルの打ち合わせでやってきました。

 僕が「食品の島」で紹介している「サンファーム泉便り」のアロニア。
最初の製品はアロニアを使ったお酒から販売のようです。

 デザインはまだこれからですが、順調に行けば今年の年末には赤いアロニア酒を
新潟のあちこちで見かける事でしょう。


豆本教室

さかいやすこさんの豆本教室を
向島アート展期間中、急遽開催決定!!
9/21(月・祝)13時〜の回 15時半〜の回
※予約制(お名前と御連絡先、どちらの時間帯に参加希望か、
アート展事務局まで御連絡下さい。お席に余裕のある場合は、当日参加可能)

各定員6名
参加費¥1000
会場 向島アート展事務局(墨田区向島5-50-3)
※手ぶらでお越し下さい。

さかいやすこさんの豆本作品は、工房鳩ノ目にて展示中です。


本日オープニングパーティー開催

本日9/5日は向島アート展のオープニングパーティーです。
3:00頃からゆるゆるとやっています。

今回参加した作家が大勢集まります。
その人達とゆっくりお話しできる得点?もあります。

都合のつく方は、どうぞお友達でも誘って、
作品を見にいらしてください。

「あにゃ」(向島アート展公式キャラクター)
もお待ちしております。

パーティーは3:00からです。

※食べ物飲み物は各自持参でお願いします。
できれば会場近辺の食料品店で、「向島アート展で使うんだけど」
と言っておもとめください(笑)

会場:事務局
東京都 墨田区向島 5-50-3 鈴木荘 1F
電話 09-4930-2805

向島アート展公式ブログ
http://mkjart.blog88.fc2.com/


向島アート展3日目

火曜から始まった向島アート展ですが、
暇かな〜と思っていたら、
初日、昨日と結構人が来てくれています。

六日にまたパリに出発する凛ちゃん(曼陀羅メンバー)も
明日アメリカに行く小川圭介くん
(先月は60数人で二子玉川から無銭で富士登山した無茶好きの若者)も
友だちを連れて来てくれました。

通りがかりの人が覗いてくれたり、作家さんが友だちを呼んでくれたり
来てくれる人は様々ですが、
また、新しい人と知合うチャンスです。
楽しみです。


オープニングパーティー

いよいよ明日から、向島アート展が始まります。

そこで、今週末の土曜日(9/5日)事務局で
オープニングパーティーをやります。
3時頃からの予定です。

時間のある人はぜひいらっしゃってください。
友だちもつれていらっしゃると楽しいですよ。

早い時間ですとスタンプラリーをやっている
他のお店(ギャラリー)も回れますよ。


ポスター

いよいよ9/1から始まる
向島アート展(http://mkjart.blog88.fc2.com/)
のポスターができました。

メンバーの一人が作ってくれました。

勝手に出力して、
あちこち貼ってください。笑


ブログがスタート

9/1日から始まる「向島アート展2009」のブログがスタートしました。
http://mkjart.blog88.fc2.com/

これから向島アート展の情報はこちらにアップします。
イベントの詳細等は都合により変わる場合があります。
出かける前にご確認ください。

「向島アート展2009」のイメージキャラを決定しました。
名前は通称「あにゃ」ですよろしく。


今週火曜日(8/11)朝日新聞に載りました。

来月から墨田区向島でやる、「向島アート展2009」のことです。

ここで何度もお知らせして来ましたが改めて説明します。

■向島・アート展2009
■日時:2009年9月1日(火曜日)から30日(水曜日)まで(一カ所10/15まで)
■場所:墨田区向島界隈のカフェギャラリー。

********************
■向島アート展とは・・・

向島が好きだったり向島に何となく興味があったりする人が
「向島に来る人に見てもらう作品を作ろう」と言う事から始まった展示会です。
(その趣旨に賛同してくれた人にも参加していただいています)。
主催:曼陀羅ウエッブ

■曼陀羅webとは?・・・商品開発プロデューサー・樋口雄一が「“楽しい”をデザインする」をモットーに、様々な分野で活動するクリエーターを集めて立ち上げた集団。
コミュニケーションの中から飛び出したアイデアを“カタチ”にし、さらには商品化への展開を企画していきます。

朝日新聞の記者さんが
非常に良くまとめてくれたので、まずはごらんください。
http://mytown.asahi.com/tokyo/news.php?k_id=13000430908110001
(浴衣は持参して撮影の為に着替えました)。

これから細かい事は決めていきます(イベントも考えています)。
ここにもアップします。

※9月中は向島の鈴木荘(一ヶ月限定)におりますので、
いつでも遊びに来てください。


メディア

先月、妻(裕子)は銀座で展示会(企画展)を開いて頂きました。
その後半に千葉TVの取材がありました。
その時の放映が明日だそうです。

MCは岩本くららさん(写真右)で一緒に記念写真。
キュレータはカンマさん
妻の作品を妻より良く理解してくださっているそうです。
この業界(現代アート)に誘ってくださったきっかけもカンマさんでした。

放映される番組は
千葉テレビ「アート夢ポケット」
8月2日(日)11:15〜30
ケーブルテレビからでも見られそうです。

そう言えば私も先週来月から始まる
「向島アート展2009」の取材を朝日新聞社から受けました。
(負けず嫌いなもので)

今週か来週には掲載されるそうです。


漫打等ゴルフ倶楽部

私はほぼ毎朝、ラジオ体操の時間(6:30)に
近所のゴルフの練習場に通って打ちっぱなしの早朝練習をやっています。

ゴルフを「毎日やっています」と言うと、
すぐに言われるのが「お金がかかるでしょう」?または
「幾つで回られるんですか」?と聞かれます。

私の一ヶ月の練習場でかかる費用は約10000円です。
一万円でプリペィドカードを買うと1200発使えます。
この1200発を一日50発と決めて打つと×24日かかります。
当然休む事もありますから一ヶ月で約一万円で済んでいるのです。
(コースは別費用ですが今年は4回です)

毎日練習場に行くのはラジオ体操と全く一緒で毎日のリズムを作るためです。
それが続くのは毎日会う人と挨拶をする楽しみがあるからでしょうか。

私はゴルフを始めた20年前に一冊のノートを作りました。
(なんでもすぐにノートを作るのですが)
それは練習の成果をノートに付けるというのではなく、
ゴルフの本を曼荼羅というマスにまとめていたのです。

今まで買った(読んだ)ゴルフの本は1000冊を越えました。
これをまとめたのがたまってきたのでここで少しずつ発表していきます。
ジャンルも歴史、ルール、理論、練習、実践、健康、倶楽部、文学、と
曼荼羅と同じで八方向に伸びているからです。
(漫打等としたのは宗教とは何の関係もない事と、
ゴルフが漫画のように楽しみながら打つこと等から来るからです)

スコットランドの諺に
「飛ばすが自慢の幼稚園、スコアーにこだわる小学生、格好が命の中学生」
と言うのがあります。つまり、ゴルフの楽しみはスコアだけじゃないってことです。

なので、スコアが縮まないからすぐ「やめた」というのでは、
ゴルフの八分の一も分かった事にはなりません。
たぶん、おつきあいや接待で初めてそれで終った人達でしょう。

ではなぜそう言う人が多いのでしょう。
それは日本のゴルフの発展史に問題があったのです。
(これはあとでゆっくりと説明したいと思います)

TVで野球やサッカーを楽しむのと同じで、コースに出た事が無い人でも
(出る気がない人でも)ゴルフは楽しめますよ。


妻(裕子)の個展に思う

明日から妻(裕子)の個展が始まる。

このところしばらく徹夜での制作が続いていた。

始めの頃は寝るのが深夜二時くらいだったのが、
だんだん遅く三時、四時になり
最近は五時に起きる私と入れ違いになっていた。

それが今日やっと終った。


樋口裕子個展「吉祥の系譜」

2009/6/29(月)~7/11(土)
15:00〜20:00(最終日18:00)日曜休廊

Gallery GINZA ART LAB
http://homepage3.nifty.com/ginken/


考えたら妻の作家生活はここに来るまで
(コンテンポラリーアートにたどり着くまで)
紆余曲折があったようにも感じるが
それが良かった事はハッキリしている。

結婚する前
妻は最初はデザイナーだった。

結婚してもしばらくはカットの描けるデザイナーのような仕事をしていた。
そこから漫画家を目指した。
ある日
「漫画描いてもいいかなあ」というので
「描いてみれば」と言った。

コミックモエに応募したらわりとすぐに採用になった。
それから2年間だけ漫画家になった。

しかし、二年経ったある日。
編集者から二つに分けてある束ねたはがきを受け取った。

それは全く同じ位の量であるが、
片方はファンレター「絵がきれいだ」「面白い」といったもの
そしてもう一方が「何が面白いのか分からない」「見にくい」といった
批判ものだった。

私はこの批判読者を少しでもファンに変える事が出来れば
これは大きなファンになる、と励ました。

しかし
「好きな漫画を描かされるのはいやだ、やめた。
今度は色を使えるイラストレーターになる」
と言って、やなせたかしさんの編集する
「詩とメルヘン」に投稿した。

ここでも一回か二回目で
牧野鈴子さんと宇野 亜喜良さんに選んでもらえて入賞した。

ずば抜けて運がいいのである。

そして今回もこの企画を仕掛けてくれた菅間さんと
出会えていなかったらここまで運は巡って来なかっただろう。

作品は本人の思い込みや技術の向上もさることながら人との
縁と運も非常に大事な要素であると思った次第です。

今から搬入である。
やっと今晩からしばらくはぐっすり眠れるだろう。


ナイスミス。

いくら気まぐれブログと言っても、あまりにも気まぐれ過ぎるので、
せめて月一(それじゃまだ少な過ぎるか)頑張って二週間に一度くらいは更新してみようかと思います。

先日一枚のファックスが家に届きました。

中学のときの同級生でO君からでした。
15年前の同級会で一度会ったきりです。

私の田舎、新潟の五泉市(合併前は村松町)では、卒業後の24年目、
つまり42才になる年(厄年)に同級会を開くと言う習わしがあったのです。

何で急に?
と思ってよく見ると、高校の同窓会のお知らせです。

「まだ事務局には返事をしてないらしいけど樋口くんは来ないの?」
って、手書きで書かれ、その下に自宅の電話番号が添えられていました。

私はすぐに電話して

「高校は君と違うんだけど私も出席していいかな?」

「え?あ、やっぱり?!」

「でもその高校なら同じ学年の8割方知っているから」

「なんか、高校で会った事ないなと思っていたんだけど」

「じゃあ、頼むね」

「うんわかった、幹事に話してみる」

彼は昔からいいやつでした。よくみんなの使い走りをしていました。

その後でOKがとれた事と
「NやSやTら(中学の同級生)が楽しみにしているよ」。
と言うファックスが入って来ました。

私には楽しみな中学の同窓会になりそうです。

よくやったOくんよ!


山北パーカッションライブ終了。

昨日、山北さんとの始めてのコラボライブ「山北健一パーカッションライブ」が無事に終了しました。

来ていただいた皆様本当にありがとうございました。

予想通りのいいライブになりました。

山北さんも「いい演奏が出来て、お客の反応も良かった」と喜んでくれました。

カフェ・クレールのマスター滝沢さんからも「また次も何か企画して一緒にやろうよ」と言っていただきました。

そして、なによりも来ていただいた方に喜んでいただけたことが最高です。

久しぶりにお会いした方とお話も出来て嬉しかったですね。
「次は何をやるのか楽しみにしています」と言ってもいただきました。

自分も楽しんで、みんなが楽しんでくれる事が仕事になった、1つの理想の形が見えました。


はじめまして。

樋口雄一です。
簡単な経歴を紹介します。

1951年 新潟県 中蒲原郡 村松町(現五泉市)生まれの農家の長男です。
小さいときから絵が好きで小学生の時に、漫画家になる事を決めていました。

中学三年生で手にした漫画投稿雑誌?COMの(グラコン)がきっかけで、
新潟在住の同じ目的(漫画家やアニメーターを目指す)の友達と知り合いました。

そのグラコンには約十名ほどの会員がいましたが、そこでは既に(高校3年生)で
漫画をCOMに掲載されている女性がいたり、
その後手塚治虫さんのアシスタントになった同学年の友達がいたり
(おかげで手塚さんに紹介してもらい会う事が出来ましたが)
石井いさみさんのアシスタントになる友達がいて、
漫画家との距離がわりと近く感じられました。

私が啓蒙したちばてつやさんには
「樋口くん、漫画は幾ら絵が上手くてもそれだけじゃだめなんだよ、
社会勉強が大切なんだ」と言われ、
高校一年のとき負った大火傷の手術をした時、
手術の過程を自分の目で確かめようと麻酔を拒否して
痛い目にあった馬鹿な私でした。(勿論途中でギブアップしました)

高校を卒業と同時に上京して、アクセサリーデザイン、エディター、
スポーツ店店長、チラシデザイン、など様々な経験しながらいつも絵を描いていました。

1974年デザイン会社に入社。
おもちゃの企画やスケッチ、及びパッケージやパンフレットのデザインをしました。

関わった作品は(株)タカラのミクロマン、シリーズやリカちゃん、せんせい、チョロQ、や
(株)チェリコのビッグレーシングなど玩具の商品スケッチやパッケージデザイン等々。

また、タンサーファイブ、伝説巨人イデオン、銀河旋風ブライガー、ワンダービートSなど
アニメのロボットや乗り物の企画と基本設定(デザイン)も経験しました。
また企画だけしたものもあります。

いずれにしても、商品企画は(アニメーションもそうですが)一人でできるものではありません。
それが作品になるにはいろんな壁や山があります。
何人も関わってきますし、意見が通らない場合も多々あります。
商品化及びアニメ化になるというのは大勢の意志が関わっている事なのです。

そんな経験も活かしながら、新しい事、楽しい事を、
どんどん仕事にして行こうと思っています。


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